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『東京の街をぶらっと』その1。このブログも始めて8年以上になり、まもなく3000回を迎える。このタイミングで原点の『街ブラ』を久しぶりにしてみようと思う。世の中は第4回目の緊急事態宣言の真っ只中、ロードマップも示さず緊急事態と騒がれても気が抜けている。但し、ブログを書くために新しい街を歩く気が持てない中、まずは近場の人形町1丁目からスタートした。
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日本橋小学校が起点。古めかしい太田寿司の横の路地を歩く。ここは最も人形町で風情がある路地、よし梅はなれ、きく家、いわ瀬、高はし、川清など料亭が並ぶ。そのうちの一軒のよし梅はなれの前には『道祖神』の石像。鉢植えなどとともに雰囲気を醸し出している。
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路地を抜け右に曲がると郵便局、そのお隣の歯科医院には何故か『フクロウのブロンズ像』。知恵のシンボルであるフクロウなのであろうか。
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人形町には喫茶店が多い。向田邦子が愛した大正8年創業の喫茶去快生軒をはじめ、この周辺にいくつも看板を見ることができる。そのうちの1軒が喫茶レモン。
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その看板は『ドクターペッパー』のビンが描かれている。いや、懐かしい。カレーライスは500円で食べることができる。
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左に曲がると老舗料理店の数々、甘酒横丁の信号から喫茶去快生軒(創業1919年)、洋食の来福亭(同、1904年)、鳥料理の玉ひで(同.1760年)、洋食の小春軒(同、1912年)と東京でこれだけ老舗が並ぶところは中々ない。
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老舗ではないが『谷崎』というレストラン、ここは谷崎潤一郎の生誕の地である。石のレリーフには『1886ー1965』と刻まれている。
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次の交差点には『クジラ』の石像、以前は背中から潮を吹くように水が出ていたが、今は出ていない。この像がなぜ置かれているかを書いた『クジラと海と人形町』という説明書もある。人形町には芝居小屋が並び、そこで使う人形を作る人形師も多く住んでいた。文楽の人形を操る際に微妙な動きを出すクジラのヒゲが必要であり、その縁でここにクジラの像を設置した、という内容である。
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像の向かいには魚の味噌漬・粕漬で有名な『魚久』本店があり、ランチを食べることもできる。右に曲がるとスタート地点の日本橋小学校に戻るのだが、日本橋小学校は明治初期に西郷隆盛の屋敷があった場所、それを示す説明板もある。
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わずかな距離を歩くだけでこれだけのものを見ることができる町、それが人形町である。