『東京の坂、日本の坂』その223。不忍通りを渡り、雑司ヶ谷墓地の脇の道を歩く。
細くくねくねと曲がっていて方向感覚が狂う。墓地の中は碁盤の目のようになっているにも関わらず、なぜか周囲の道は農道のように曲がっている。高校生の頃に友人のKくんの下宿がこの辺りにあり、道に迷って往生したことを思い出した。
当時は携帯電話もスマホもなく、今自分のいる位置が判らずぐるぐる回っているうちに都電の雑司ヶ谷電停に出て、そこまで迎えにきてもらったことを思い出した。この坂巡りもスマホで地図を見ながら歩けるからこそできるのである。
雑司ヶ谷霊園は1874年に開設した歴史のある公営墓地であり、それ以前は御用地。3代将軍家光は薬草を栽培する御薬園、8代将軍吉宗は鷹狩の鷹を飼育する御鷹部屋として使われていた。歩いていた道も『御鷹方御組屋敷道』として使われていたという説明板もあった。しばらく歩くと左に管理事務所に向かう道が出てくる。
墓地の中の道はまっすぐでわかりやすい。中央通りと付けられた道を歩き、いちょう通りを左に。確かにこの通りにはいちょうが植えられていて、少し葉も黄色くなり始めていた。
この辺りに夏目漱石の墓があるはずだが、判らず歩いていると竹久夢二の墓を発見。『竹久夢二を埋む』とのみ彫ってある墓碑が印象的であった。
少し戻り、雑司ヶ谷墓地南側に出て右に曲がる。すぐのところから下り坂となっていて右手に清立院というお寺が現れるが、この坂道が『清立院坂』である。このお寺は雑司ヶ谷七福神の毘沙門天が祀られている。
坂を下りて四つ辻を左に歩く。道が台地の下にあるため、薄暗い。さらに道も狭いため、4m道路の確保ができないためなのか、古い家が多い。しばらく歩くと左から下り、さらに右に下る道と交差する。この坂道が『南坂』である。
色々ネットを探したが、この坂道の由来はわからなかった。(以下、次回)