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いよいよ古墳散策、まずは最も近くにある瓦塚古墳の周りを歩く。全長73mの前方後円墳だが、出土した遺物などから6世紀に作られたと推定される。ただ、未発掘のため、近づくことは出来ずに周りを歩くにとどまった。
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県道を渡ると二子山古墳。全長132mの前方後円墳、武蔵国最大規模で古墳の周りに堀、さらに周囲に土手が作られ、二重構造となっている。古墳の周りの堀には現在は多くの水は張られていないが、古墳が作られた当時もなかったものと思われる。
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本格的な発掘調査が行われておらず、あまり詳しいことは分からない。作られたのは6世紀はじめ。図でみると大仙陵(仁徳天皇陵)によく似ている。
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二子山古墳の周りを歩き、右に曲がって将軍山古墳に向かう。全長90mの前方後円墳で明治27年(1894年)に横穴石室が発見され、多数の副葬品が出土した。また、石室には千葉県富津市で産出される房州石が使われていて関東内での交流の跡をみることができる。
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古墳には展示室が設けられ、どのような形で埋葬されていたのかを復元されている。武具なども中世の鎧や鞍などかなり似た姿であり、また、副葬品の中には馬に付ける鉄製の馬冑といった珍しいものも含まれている。
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続いて稲荷山古墳、ちょうど鍵穴のような形をしていてる全長120mの前方後円墳。1968年の調査で2つの埋葬施設があり、多くの副葬品が出土、先程訪れた博物館に展示されている鉄剣(国宝)もこの古墳から発見された。
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前にあたる四角い部分から階段を登り、古墳の上に登れる。真ん中の継ぎ目の部分は少し低くなり、さらに丸い部分は登っていく。
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丸い部分の埋葬施設があった部分を示す印があり、個人的に不思議に思っていたこの大きな古墳のどの部分に埋葬したのか、という謎が解けた。
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丸い部分から階段を降り、お隣の丸墓山古墳に向かう。目の前に見えるのだが、草が茂っていてどちらに行けば到着するのかを少し迷う。ようやく取り付け道路に出て円墳に登るが、先ほどの稲荷山古墳よりかなり高く、19mもある。
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直径105mある日本最大級の円墳であり、出土した埴輪から6世紀前半のものと推定されるが、今のところ埋葬施設は確認されていない。
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99段登り、頂上に立つと先程訪れた古代蓮の里の展望台がよく見える。また、山頂には桜の木が植えられていて春には絶好の花見場所となるであろう。なお、丸墓山古墳には次に訪れた忍城攻めの際に石田三成が陣を置き、水攻めを掛けたことは有名。たしかに頂上からは忍城がよく見渡すことができた。
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それにしても古墳は大きい。周りを回るだけでもすぐには終わらない。わずか5つの古墳を回っただけでもいい運動になる。また、まだ発掘調査が終わらない古墳も多数存在しており、これからの調査で思わぬものを発掘することができる可能性を感じた。