hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ザ・博多

2016-02-09 05:00:20 | 日記

アンテナショップ巡りその21。有楽町駅前の交通会館にはアンテナショップが多数集まっている。1階に北海道、大阪、全国各地の市町村を集めたものの3つの大規模なアンテナショップが元々あったが、最近は地下に小規模なアンテナショップが増殖中。

今回訪れたのは『ザ博多』という福岡県の自治体非公認のアンテナショップ。入り口には博多華丸・大吉のポップが立っており、あまおうを使ったスイーツが並ぶ。

民間だからか売れ筋の商品が揃っている。明太子のやまやが明太子の漬け汁を利用して作った『メンツナカンカン』(中身はツナ、305円)。

博多ではだれでも知っているインスタントラーメンのうまかっちゃんが出しているラーメンスープを利用した『なべの素』、博多華美鶏の水炊きのスープなど博多を知る人ならば手に取りたくなる商品が目白押し(^.^)。


酒も醤油などの調味料、乾物類から博多ぶらぶらや二○加(にわか)せんべいなどローカルな菓子。店内では博多ローカルなCMが流されている。小さい店だが、博多ローカルな商品を買うならばお勧めスポットである。

同じフロアにも富山県、兵庫県、和歌山県、変わったところでは北海道美瑛町のアンテナショップが並んでおり、こちらも中々の盛況であった。また、時間があればゆっくり回って見たい。

切手でめぐる昭和30年代のインフラ整備(2)

2016-02-08 05:00:57 | 日記

『切手シリーズ』その53。前回に続き、続々出来ていく日本のインフラ整備の足跡を切手で探りたい。関門国道トンネルに続くのは1959年2月の児島湾締切堤防竣工記念。岡山県児島市周辺は江戸時代から干拓による新田開発が盛んに行われていたが、水利が不足していた。この対策として大規模な工事を経て、児島湾に1558mの締切堤防を造成、淡水化して児島湖を作り、米作を振興したもの。

1961年7月には愛知用水通水記念の切手も出されている。児島湾干拓・愛知用水・箱根用水・琵琶湖疏水・佐久間ダムなどを小生と同様の年代の方々は小学生の社会科で勉強したことがあるはずである。

1962年6月には北陸トンネル開通記念の切手もう発行された。北陸トンネルは敦賀~今庄間にある13.870mの長さのトンネルで当時は日本一の長さを誇った。また、旧線は4箇所のスイッチバックがある難所で時間短縮にも大きな効果があった。余談ながらこの切手の図案には(1)実際のトンネルには2本しか架線がないのに、多くの架線が描かれている、(2)トンネルの蛍光灯の位置が天井にあるように描かれているが実は山側のコンクリート壁にあるなど5箇所の間違いが指摘され、非難されたことでも有名である。

1962年9月には若戸大橋開通記念切手が発行された。北九州の若松~戸畑を結ぶ洞海湾に掛けられた美しい吊り橋で全長627mと完成時には東洋一の吊り橋であった。切手も赤一色で描かれた橋が縦長の珍しい形の中に収まる秀作である。

なお、翌年2月には門司・戸畑・八幡・若松・小倉の5市が合併して九州最大(当時)の市が発足記念切手も出されている。(以下次回)

宮川~茅場町ランチグルメ

2016-02-07 05:00:12 | グルメ

人形町や茅場町にはなぜか焼き鳥屋が多く、その中でランチが人気の店も多い。先日は『ササミ丼』で有名な『よね家』に行ったが、本日は茅場町の『宮川』にお邪魔した。


ここはあまりの人気ぶりに今まで何度となく断念したが、今日は11時20分ということもあり、何とか空席を見つけた。それにしてもほぼ満員で結構広い店に30人以上の人がいる。ランチはからあげ・手羽先が880円、ほかに焼き鳥丼(830円)などがある。人気はからあげ定食だが、焼き鳥丼を頼む人も結構いる。

注文すると少し経ってご飯とタレが登場。それから10分ほど経過してスープ、さらにからあげがサーブされる。からあげは白く仕上がり、5切れ、内の2つは手羽先、3つはもも肉で白ネギの小口切りが添えられている。

タレはそれだけでは酸っぱすぎるほどだが、肉の脂っこさを消してくれる。揚げたてということもあり、皮はパリパリ、肉はしっとりしていて人気の高さがよく分かる。スープも鳥やらしく奥行きのある味わい。

テーブルには沢庵付けが並べられ、食べ放題で肉をゆっくり味わいつつ堪能する。混んではいるが、6人席にお一人様が4人とゆったり座り、居住性も悪くない。20分程で食べ終えて、店内に並ぶ人も2人くらいか、と外に出ると10人以上が行列している。まだ、12時前なのに。空いていたら是非次回は焼き鳥丼を食べたいな。本文とは関係ないが、今日でブログも990日目、あと10日で1000日目になります。あと、一息です。



宮川
中央区日本橋茅場町3ー5ー1
0336687080

浜松町あたりを歩く

2016-02-06 05:00:07 | 日記

今日は芝大神宮周辺を歩いてみる。芝大神宮は東京十社(根津神社、日枝神社、神田明神、王子神社、品川神社、亀戸天神、白山神社、富岡八幡宮、赤坂氷川神社と当社)の内の1社である。

歴史は古く、縁起では1005年に伊勢神宮内宮及び外宮に勧進して創建したもの。代々の為政者に庇護され、足利為義(尊氏の弟)、太田道灌、北条氏直、豊臣秀吉そして徳川家康の信仰を得た。なお、1598年に増上寺が移転することになり、増上寺に譲り、現在のところに移動した。

社殿は東京大空襲で焼失し、戦後建て直された。現在の社殿は1964年に完成したものである。石の鳥居を潜ると階段があり、社殿はその上にある。


境内を見渡すとここにも力石があるが、この石は50貫目以上あり、江戸時代の力持ちである『川口町の金杉藤吉』が片手で持ち上げたという記録が残っている。1貫目は3.75kgだから単純な計算でも187.5kg、これを片手で持ち上げたのだからすごい力持ちである。


芝大神宮の階段を降りて左に向かうと広い通りに出るが、左に向かうと増上寺の参道となる。目に飛び込んでくるのが、大門。つまり、この地名はこの門に因んだものである。

そばには案内板が立っており、昔の大門の様子が描かれていたが、門前の今は車道となっているところは川があり、太鼓橋がかかっていたらしい。

かつては増上寺の山門からは海がよく見えたようで山手線の向こうはもう海岸だったのだから、この辺りの風景は様変わりである。それこそ、芝浜の主人公が財布を拾った浜があったのだから。

今は世界貿易センターを始め、高層ビルが林立する浜松町近辺にも江戸を感じさせる場所はのこされていた。

他人の空似

2016-02-05 05:00:05 | 日記

世の中に自分によく似た人は3人いるなどと言うが、実は人の顔を決める遺伝子の組み合わせは限られているため、とても3人どころではないようだ。テレビのバラエティでもそれで飯が食える人もいるくらいだ。

そんな中でここの数週間でTVの露出度が上がった人の1人にサッカー23歳以下の代表監督手倉森誠氏がいる。彼は鹿島アントラーズの出身で双子の選手だったが、選手としてはあまり実績はない。しかし、ベガルタ仙台の監督の手腕を買われ、2014年からU21監督に就任、リオオリンピックアジア予選は優勝した。もう分かるかと思うが、彼とそっくりと言われているのがお笑いのカンニング竹山である。特に笑っていない顔はよく似ている。

2組目は水天宮前駅を降りて事務所に向かう途中に毎回明治座の講演のポスターが張り出される。2月の講演は梅沢富美男の『おとらさん』という喜劇らしい。

しかし、この顔はどこかで見た顔と思ってテレビを見ていたら、いたいた、やはりお笑いのTKO木下氏である。実物とよく似ているのかは自信がないが直感的にはよく似ている。

3組目は前にもブログに書いたが、今年の警視庁の職員募集のポスター嬢である。これは一目見てその酷似ぶりに思わず吹き出した。


どう見ても青木さやかさんにソックリなのである。その目つきの鋭さ、怒った顔。あまり彼女の怒ったデータがないが、よく想像して貰いたい。今は水天宮前駅からは外されてないのが残念である。

他人の空似はやはりあるのだろう。こんなことばかり考えているとまたお前も暇だなあと言われそうだ。

切手でめぐる昭和30年代のインフラ整備(1)

2016-02-04 05:00:28 | 日記

『切手シリーズ』その52。切手シリーズも昨年11月以来だからかれこれ3ヶ月のブランクがある。今回は昭和30年代の社会インフラの充実の歩みを切手で振り返ってみたい。これを見ると、やはり1964年東京オリンピックを目指して日本の社会インフラは充実してきたことがよく分かる。

戦後インフラ完成として最初に発行されたのは1956年10月佐久間ダム完成記念、因みにこの年の切手趣味週間は東洲斎写楽作・海老蔵の切手である。このダムは今でも日本第9位の高さを誇る天竜川に完成した日本屈指の巨大ダムで大正時代から計画され、戦後の電力不足解消を目的に1949年から着手、7年の歳月をかけて完成させたものである。

次は1956年11月東海道本線電化完成記念。日本では戦前は軍事的な理由から電化は特殊な地域(例えば碓氷峠)と大都市の通勤電車以外は控えられていた。このため、東海道本線も東京~国府津は1925年に電化されたが、それ以外は非電化のままであった。しかし、戦後の石炭不足もあり、1950年ころ電化の機運が高まり、1956年に京都~米原が全線電化完成となった。これを受けて特急つばめ・はとが東京~大阪間を7時間30分で結ぶこととなった。その後、1958年には151系電車により6時間50分、さらに1964年10月には東海道新幹線開業により3時間10分(当初は4時間)と画期的に短縮された。

1957年11月小河内ダム竣工記念。奥多摩湖、正式には小河内貯水池は東京の補助水源として重要な位置付けにある。その開発の歴史は古く、計画は1926年、起工は1938年であるから戦争を挟み20年近くかかりようやく完成した。現在も水道専用貯水池としては日本最大級である。

1958年3月の関門トンネル開通の切手。元は関門連絡船が運行していたが、その輸送力を上げるため1937年に着手、鉄道トンネルは1942年に完成している。しかし、その後のモータリゼーションの中で関門国道トンネルを建設、2重構造で上が車道、下が人道になっている。

気づかれた方もおられるかもしれないが、1958年12月に完成したのは東京名所の一つである東京タワー。しかし、実は完成時には記念切手は発行されていない。何と東京タワーのふるさと切手発行されたのは半世紀を経た2007年のことである。(以下、次回)

穂久斗~芝大門グルメ

2016-02-03 05:00:35 | グルメ

テレビはニュースとクイズ、バラエティーしか見ない小生がチャンネルを合わせる頻度が高いのはテレビ東京である。前回の日曜ビッグ『迷っても行きたい路地裏の名店9』を見ていたら東MAXこと東貴博が絶賛していた『穂久斗(ほくと)』というトンカツ屋さんが登場した。

その店名が小生のハンドルネームに似ているからだけでなく、番組中で紹介していた『ハンコロ』定食(900円)が美味そうだなあと妙に印象に残っていた。

すると偶然にも浜松町に昼前に行く機会があり(作ったのではない)、近くだったので早速訪ねてみた。ただ、開店が11時半と聞いていたにもかかわらず、到着がまだ11時10分だったので店の場所だけも確認して諦めようとしたところ、何と暖簾が下がっている。中を覗くと先客が3人、これは入るしかないと席に着いた。元気なマスターのいらっしゃいの声が響く。

カウンターはやはり3人とも『ハンコロ』ばかり。小生も当然同じものを頼むが、後から後から人がやって来る。しかもみんな『ハンコロ』の連呼。

5分ほどで料理の第一陣が到着。狭い店だが、活気にみなぎっている。やってきたハンコロは中々良さげ、ドミグラスソースがたっぷりかかったハンバーグを箸で切って一口。ソースの甘みは強くないが、しっかり煮込まれた出汁の肉の香りも良く、美味い。もちろん肉もジューシーである。

コロッケは揚げたてのクリームコロッケで外はサクサク、中はトロリとしている。ベシャメルがエビとバターのいい香り、何もつけなくても美味い。キャベツも盛りがよく、人気があるのはよく分かる。気がつくと小生も一心に食べていることに気づくが、同様にカウンターには10人ほどが無口に並んで同じものをぱくついている異様な風景。

また、先客は食べると同時にお会計、小生もそれに従う。そして、そんなに待っているのかなあと外に出たらまだ11時50分なのにもう15人待ち。皆ハンコロがお目当だろう。因みに小生が店にいた間で注文は15人中14人がハンコロ、1人だけショウガコロ、ショウガ焼きも美味そうでした。メニューの種類も結構あって夜も楽しみな店、芝大神宮横にある車も入れない路地の店は愛想もたいそう良かった。


穂久斗
港区芝大門1ー8ー4
0334341686

柑橘類の苗を探す

2016-02-02 05:00:05 | 日記

三鷹農協にぶらりと花を見に行く。このところの寒さのせいか、ついこの間まで咲いていた皇帝ダリヤやコスモスは雪のためか全く姿を消して、プランターにある大きな葉ボタンとパンジーが頑張って彩りを保っている。

販売所は入り口には数々の球根が売られている。店の中の温室のようになっており、ここにはもう春が到来。チューリップ、アネモネ、スイセン、ヒヤシンス、デイジーとカラフルな花が咲き乱れている。

その中でいま興味を持っている柑橘類を見るとまずは橙とレモンが大きな実をつけている。


特にレモンは昔のPPMの歌にあるように花の香りが良いので欲しいなあとは思うが、日当たりが悪い我が家では中々育てるのが難しそうである。


その後、外に出ると花はもうほとんどなく、ポリアンサスや南天の赤い実くらいしかない。しかし、柑橘類は立派に実をつけ、小さい方から金柑。よく見ると実の大きさが種類があるのか随分と違う。


さらに柚子はゴルフボールより一回り大きな黄色い実を沢山つけている。


横にはミカン、これも沢山の実をつけており、どれにしようか悩んでしまう。やはり、柚子湯にも入れる柚子第一候補かな。

だけど、外にあったなかで実が最も大きいものは甘夏、こんなのもいいな。


最近賑わせている言葉

2016-02-01 05:00:29 | 日記

2016年になり、暗いニュースや問題の出来事が次々と発生。新聞やネットを賑わせている。サウジイランや北朝鮮のような話以外にも社会面や芸能面も話題満載、その中で最近頻繁に目にする幾つかの言葉を調べてみた。

まずは『ゲスの極み乙女』の川谷氏のニュース。ネットのトップラインをみると『ゲス川谷の卑劣極まりない行動に顰蹙の声』などと書かれている。そもそも『ゲスの極み乙女』はあくまでグループ名、つまり固有名詞だが、あまり通常に使う言葉ではない。せいぜいハマカーンの決め台詞位だ。因みに『下衆』の本来の意味は品のない人、賤しい人を指す。ここから『下衆の極み』『下衆の勘繰り』などとつかうのだが。たまたまグループは軽い気持ちで使ったのかもしれないが、こんなことになるとは。国立大学まで卒業して、有名女優としかも自ら新婚で不倫をするとはまさに『下衆の極み』であると言われてもやむを得ないかな。

さらに付け加えると『顰蹙』は『ひんしゅく』と読むが、どちらも難しい漢字で『顰』は眉をひそめる、『蹙』は縮めることを表す字であり、熟語では『顔をしかめる』を意味している。即ち、顔をしかめたくなるような行為をしでかすことを『顰蹙を買う』と表現する。読むことはできるが、中々書けない字である。

別の話題、廃棄されたはずのカツが出回ったり、慣れていない運転手がバスで大事故を起こした際にその管理すべき立場にある会社に対して『管理が杜撰(ずさん)である』という。この杜撰という言葉も新年早々連発されている。

これは元々中国の『杜黙詩撰』という四字熟語を略したものである。中国・宋の時代の杜黙という人がおり、詩撰つまり詩を書いたが、彼は自由律の詩を好んだ。しかし、これが当時の詩の規則に合わず、いい加減な詩を読むと言われたのが起源。これが転じて『手ぬかり、いい加減』の表現として使われるようになった。しかし、よく考えると自由に詩を作るという行為を取り立たせて⇒形式に反している=いい加減、というのとは少し違う気もするが。廃棄物の横流しや運転手管理の手落ちこそが杜撰な行為のような気がする。

それにしても廃棄物のカツを見つけたのがココイチの社員の人とは、そのロイヤリティの高さにも感心した。