hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

寳田恵比寿神社②〜べったら市に行く

2023-10-21 05:00:00 | 日記
『日本橋七福神を巡る』②の続き。10月19日になり、昼過ぎに寳田恵比寿神社の近くに行こうとすると左右にさまざまな食べ物を扱う露店が並んでいる。

お好み焼き、肉串、綿菓子、たこ焼き、シャーピン(中華風おやき)、唐揚げ、はしまき(箸に巻いたお好み焼き)、おでん。

団子、あんず飴、ベビーカステラ、チョコバナナ、フルーツ飴、にぎり天(さつま揚げ)、ベビーカステラ、クレープなど何種類あるかも数えられないほどの露店がひしめいている。

横断幕を左に曲がり、寳田恵比寿神社の参道に入っても途切れることはなく、押し合いへし合いしながら神社にお参りすべく歩く。ようやく大きな提灯の下まで行くと列がお隣のコインパーキングまで伸びている。



商売繁盛をお祈りして、ようやく御朱印もいただくことができた。書いているのはべったら市保存会=町内の人で既に書いたものを頂く。



少し参道を戻り、右に曲がるとこちらはべったら漬の店が何軒も並んでいて今年から試食も解禁されていた。



皮あり、皮無しの両方があり、味付けも店により多少ちがう。あまり大きくないもの、という家からの注文を受けていたので『皮無しハーフ』を500円で購入する。



次の角を左に曲るあたりまでは漬物の店が並んでいて、やはり別の店のべったらの味を楽しもうと試食に手が伸びる。



べったら漬の店が無くなると佃煮やお茶など地元の商店が出している露店が続く。

次の角を今度は右に曲がり、椙森神社の方向に向かう。ここは先ほど通った所だが、人は確実に増えている。



椙森神社の前あたりには人形町の老舗、小春軒、今半、魚久などが並ぶ。特に魚久は人気の切り落としが出ているということもあり、表通りまで列が並んでいた。芳人会の露店ではバック詰めされたべったら漬が売られてでいて人気がある。というのはべったら漬を持って電車に乗るとかなり匂いが強烈なのである。



椙森神社にもお参りに行くがこちらはそれほどの人出はなく、スムーズに手を合わせることができた。3年ぶりのべったら市、賑やかになることはいいものである。


寳田恵比寿神社①〜日本橋七福神を久々に巡る

2023-10-20 05:00:00 | 日記
『日本橋の七福神』を巡る②。2社目は寳田恵比寿神社である。場所は東京メトロ日比谷線小伝馬町駅から歩いて5分ほど、普段は小さな祠のある神社でお参りする人も少ない。

神社は本堂のみしかなく、道路に接するように建ち、右側がコインパーキング、左側が駐車場とあまり風情はない。神職も在住している訳ではなく、お正月とべったら市の期間中のみ御朱印がいただける。

由緒だが、1606年頃は江戸城外にあった寳田村の鎮守であったが、江戸城拡張にあたり、移転をさせられ、馬込勘解由が住民を引き連れこの地に移った。


この地は駅伝、水陸運輸、金銀両替などの役を担い、大伝馬町の町名を賜った。寳田恵比寿神社は商売繁盛、家族繁栄、火防の守護神として崇敬者は多く、当時から10月19日のべったら市、20日の恵比寿神祭は盛んに行われていた。

今年は3年ぶりの開催になるべったら市は10月19日、20日の両日に足の踏み場のないほどの人が集まる。もちろん、べったら漬をメインとした漬物屋がメイン、皮あり、皮無し、さらに葉っぱのみというのまで売っている。それぞれの店が味を競い、試食させてくれる。ただ、思いの外値段は高く驚いてしまうかもしれないが。

他にもいわゆる縁日に並ぶ露店は全て並ぶほか、玉ひでや魚久、今半、芳味亭といった人形町の老舗、地元の繊維問屋や雑貨屋などが道を埋め尽くし、さらに夜にはそこらじゅうで宴会をやっている。

まず、私がお邪魔したのは10月16日、たくさんのスポンサーの提灯が並べられ、べったら市の準備は万端。ただ、神社は無人のため、御朱印もいただくことは出来なかった。(以下、次回)

椙森神社〜日本橋七福神を久々に巡る①

2023-10-19 05:00:00 | 日記
『日本橋七福神』を巡る①。このブログで日本橋七福神を歩いたのが2013年8月〜9月、気がついたらもう10年も前の話である。ふと思い立って再び七福神巡りをすることにした。

ではなぜこの季節なのか。10月19日・20日はべったら市、これは江戸中期に恵比寿を祀る神社の門前で10月20日の夷講にお供えをするため、前日に市がたち、魚や野菜、神棚が売られたのが始まり。


長くなったが、七福神のうち、寳田恵比寿神社は普段は無人の神社だが、べったら市とお正月のみ御朱印がもらえるためである。



因みに日本橋七福神は8ヶ所の神社を巡る。7人の神様なのに何故8ヶ所かというと、恵比寿様をお祭りした神社が寳田恵比寿神社と椙森神社(すぎのもり)と2つあるからである。



まず1番目にお邪魔したのは椙森神社である。椙森神社の縁起は藤原秀郷が平将門の乱平定のため戦勝祈願をし、戦いののちに白銀の狐像を奉納したとされる。1466年には太田道灌が雨乞いの霊験があったとして山城国稲荷山五山神社を勧進して祀った。
江戸時代には江戸三森(柳森、烏森、椙森)の一つに数えられ、庶民から諸大名までの崇敬を集めた。寛文年間には吉川惟人が大巳貴大神の託宣を受けて恵比寿大神を祀った。

境内には富塚の石碑がある。江戸時代の富籤は興行主が番号記載の富札を販売し、一定の日に公開抽選をして当選者に賞金を渡す。起源は摂津国箕面山瀧安寺で行われた富法会と言われ、江戸や大阪、京都などで幕府公認の『御免富』が寺社境内で行われ、一部の資金が寺社の維持や修復に使われた。




椙森神社には1836年に境内で行われた『御免富』が伝来していて、その記念として石碑が建てられたもの。因みに当時の1等即ち一の富は千両、1両8000円で計算すると8000万円、ただ、当選金のうち当選者に渡されたのは7割の5600万円と言われている。また、富札は一枚1朱から2分(1分は2000円)だから庶民に取ってはかなり高かった。

べったら市は10月19、20日に開催されるが、これは恵比寿様のお祭りで米麹につけたべったらという大根の漬物を売るもので露店が約500軒も立ち並び、べったら漬け以外にも色々なものが販売される。地元の老舗も露店を出すほか、商店も大安売をして大変な盛り上がりとなる。因みに私は昨年10足で1000円の靴下を購入した。

コロナの影響で昨年まではべったら漬けを売る店では試食出来なかったが、今年は味比べもできるはずである。


赤羽付近の坂道⑤

2023-10-18 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その191。赤羽駅に降りて坂巡り。実は赤羽の坂道を歩くのは今回で5回目、前回は2018年2月だから5年前のことになる。今回は以前訪れた坂道も一部かぶるが、この辺りはご容赦を。



赤羽駅東口駅を降りて右手の方に歩く。線路沿いの道には国際興業バスのバス停が並び反対側からは坂上にある星美学園の小学生がたくさん歩いてくる。要所には父兄だろうか旗を持って監視している。中華料理店の手前を左に曲がり、少し先を右に上っていく坂道が『大坂』、坂の上には赤羽台団地がある。



標識によると昔は上の台に登り、旧板橋街道に抜ける道だった。また、狸にまつわる民話が残っていて狸坂という別名もある。



元の道に戻り、信号を左に曲がると東洋大学赤羽キャンパスに向かう坂道が現れる。これが『うつり坂』、名前の由来はわからない。



坂の麓には小さな祠がある。以前来た時は坂の上に高校があったはずだが、系列の東洋大学の立派な校舎に変わっていた。



再び元の道にもどり、蕎麦屋の手前の広い道を左に曲がると次第に坂道となる。左側には大きな墓地、そこそこの勾配があり、また長い坂道。



これが『八幡(やわた)坂』、坂学会の資料では石の標識があったらしいのだが、今は撤去されてない。その標識には『大正8年に旧陸軍被服廠が赤羽台に移転してきて道の一部が敷地に入ったため、一般の通行のため、被服廠の北側に作られた坂道』とのことである。なお、この坂の名前は坂下にある赤羽八幡に因むものではなく、北側の『八幡谷』から取られたとのこと。

坂を降りると赤羽八幡の入口となり、ここから延々と参道が続いている。以前来た時には参拝したようだが、坂と階段が厳しいため、今回は前回の写メを載せた。(以下、次回)



(2018年2月撮影)



CSファイナル展望をしてみた〜阪神ファンの戯言

2023-10-17 05:00:00 | 阪神タイガース
阪神タイガースがセリーグのペナントを取ったのが9月14日、もう1ヶ月になる。その後、15試合の消化試合を経てペナントレースが終わったのが、10月4日。そこから2週間、待ちに待った阪神のCS(クライマックスシリーズ)が10月18日から甲子園球場にて始まる。

CSファイナル(旧、2nd)ステージは日本シリーズへの出場権を得るための戦いだが、先に4勝をした方がクライマックスシリーズ優勝球団となる。ファーストステージとの違いは①勝ち抜ける目標が2勝から4勝となること、②1位のチームには1勝のアドバンテージがあることである。また、ファーストステージ同様に①開催は1位のチームの球場、②1試合引分けた場合は3勝3敗となった場合に1位チームが勝ち抜けになること、となっている。



10月15日に広島カープがファーストステージに勝利、阪神タイガースの相手チームが決まった。この評価だが、以前ブログにも書いた通り対DeNAより対広島の方が阪神の相性はいい。レギュラーシーズンで消化試合を除くと対DeNAは13勝9敗(消化試合は3敗)で勝率.590であるが、対広島では13勝7敗1分(消化試合は2勝2敗)で勝率.650となる。

これをホーム&アウェイでみるとさらに際立つ。阪神タイガースはアウェイ(マツダスタジアム)では4勝5敗と負け越しているが、ホーム(甲子園など)では9勝2敗1分と勝率.818と脅威の数字である。(しかも5月19日以降負けていない)



阪神の先発投手の中で広島に最も相性がいいのは大竹。何しろ6回先発して5勝0敗(さらに消化試合で1勝)、伊藤将が2回先発して2勝0敗、村上が3回先発して2勝1敗、西勇輝が3回先発して1勝1敗となっている。数字だけ見ても大竹が抜群の相性で投球回数も平均7回、完封1と素晴らしい。

一方で広島の先発は床田が3回先発して2勝1敗、他に勝った試合の先発投手は遠藤、アンダーソン、玉村、野村、大瀬良が1勝ずつである。一方で主力投手では九里、森下は4回先発して全敗(広島側からみて)と相性がいいとは言えない。



対広島に限ると阪神タイガースはレギュラーシーズンの打率は.257、防御率は2.81となっている。一方で広島から見た対阪神戦の打率.241、防御率3.49とはかなりのチーム差がある。もちろん、だからと言って簡単に勝てるものでもなく、やってみなくてはわからないが。



私の先発予想は阪神は伊藤将、大竹、村上のいずれかが登板と分かりやすい。しかし、広島はファーストステージで先発した床田、森下はそれぞれ中3日、中2日となるため、大瀬良、九里、アンダーソンあたりだろうか。いずれも阪神に対する防御率が悪いので短く繋いで行くのかも知れない。



いずれにしても阪神が昨年まで不得意にしていた投手の中で森下、森浦、栗林を今シーズンは苦手としていないこともあり、十分期待できるのではないか。もちろん、これはあくまでデータ上の話ではあるが。打線は水物、阪神で期待しているのは1番近本、2番中野の出塁、あとは守り勝つ野球に徹して欲しいところである。


東京BRTに乗って東京ビッグサイトに行く

2023-10-16 05:00:00 | バス
『バスシリーズ』㉙、東京BRTに初めて乗ったのは2021年5月、当時はまだ環状2号線が開通しておらず、一般道を走り、晴海BRTまでを結んだ単なるパス路線にすぎなかった。しかし、2022年12月の環状2号線の開通に伴い、虎ノ門築地トンネルも開通、大幅な時間短縮ができた。そして2023年4月にはようやく晴海の先の部分、つまり豊洲市場→有明テニスの森→国際展示場駅→東京テレポート(休日のみ)への延伸が完了した。



新橋駅の乗り場はJR新橋駅から国道15号線を渡り、ゆりかもめの駅の先の地上部にある。わかりにくく、案内板も少ないため待っている人もあまり多くない。(日本テレビの本社ビル前と言った方がわかりやすいかもしれない。)



ここから晴海方面と国際展示場方面、さらにかちどきBRT行きの3系統のバスが出ている。国際展示場行は凡そ20分に1本出ていて今回乗ったのは12時48分発である。小雨が降ってはいるが、屋根も完備。ここから乗車したのは10人。京成パスが委託を受けて運行していて代金は1回220円(小児は110円)である。



定刻にバスは出発、国道15号線を左、さらに次を左に曲がるとゆりかもめの汐留駅前に出る。これを直進すると地下に潜って行く。これにより昭和通りなどの混雑とは関係なくスイスイと走る。



さらに運河を越え、左側にかちどきBRTが現れる。乗車1名、下車2名である。少し時間調整をしたのち、真っ直ぐに走る。運河は幾つもあるが、登るたびに風景が開けて気持ちがいい。



有明客船ターミナル近くを通過、右手に現れた大きなビルが豊洲市場である。平日の昼過ぎということもあり、交通量も少なく、バスは順調に走る。豊洲市場のバス停では1名下車、2名乗車する。



再び運河を越えると『次は有明テニスの森』とアナウンス、右手にゆりかもめの同名の駅も現れる。



次の橋を越え、幾つかの大きな空き地を越えると右手にりんかい線の国際展示場駅の姿が見えてくる。ゆりかもめを利用して東京ビッグサイト駅に行くよりも早い気がする。



国際展示場駅にバスが到着したのは13時5分、所要時間は17分である。バス停は国際展示場駅の向かいあたりで東京ビッグサイトに近い方にある。



新橋駅からゆりかもめで東京ビッグサイト駅まで行くと22分、つまり単に乗っている時間のみ測ると東京BRTの方が早く着くのである。それもそのはず、ゆりかもめは大回りして行くため新橋〜東京ビッグサイトは11.3kmあるのに対し、東京BRTは新橋〜国際展示場は5.35kmしかないからである。
もちろん、運行頻度や駅から目的地への距離など単純に比較はできないが、アクセスの選択肢の一つとして考えるのもありではないか。

ちなみに国際展示場→新橋も乗ってみたが、このバスは途中で乗車する人は多い。特に市場前からは10人以上が乗車、ついに席に座れず立つ人もいた。また、最後のところは汐留駅で外堀通りを右に曲がり、さらに左に曲がることでUターンが必要とならないため、時間の節約ができて帰りは定時の15分で新橋まで戻ることができた。


話によるとコミケのような人が溢れる日には人気のある交通手段のようである。




竹や〜浅草橋ランチグルメ

2023-10-15 05:00:00 | グルメ
浅草橋でランチの店探し、スタートが遅いので『水新菜館』にはもう7人が並んでいる。まだ11時35分なのに。諦めてみずほ銀行浅草橋支店を左に曲がる。実は行ってみたい立喰そばを目指している。しかし、その先左側に『うどん』の幟を発見。メニュー等を見ると『細打ちうどん』というwordを発見、宮崎の味という言葉にも誘われて入店。



お店の名前は『竹や』、入口にも書いてあったが本店はお茶の水駅近くにあるらしい。食べログではうどん百名店。



中は奥が深く、清潔でモダンな雰囲気。BGMも懐かしめのポップスが静かに流れている。メニューはたくさんあるが、立喰ではない店に珍しく『かき揚げうどん』(900円)があるのを見つけ、お願いする。(その日は午後にパーティーがあったため、カレーうどんは断念)



メニューをよく見ると酒のつまみもたくさんあり、蕎麦前ならぬうどん前で一杯を楽しむこともできる。個人的に『太い・コシがつよい・硬い』より『細い・コシがあまり強くない・柔らかい』うどんが好きなので期待感が高まる。

出されたうどんは丼に素うどん(振りネギ、細い昆布のみ)と中皿一杯に広がった野菜かき揚げ。うどんをまずは一箸、細くあまり硬くない喉越しの良いうどん。

ツユは関西風の昆布だしではなく、鰹出汁。しっかりと出汁がでていて美味い。もちろん東京風の黒っぽい出汁ではなく、透明なものであった。



かき揚げは薄く広げて揚げてあり、ボテっとはしていない。玉ねぎ、にんじん、長ネギの野菜かき揚げ。

もちろん揚げたてでカリッとしていて、これを小さめにちぎり、ツユに浮かべながら麺と頂く。あっさりしたうどんにかき揚げが乗り、コクが生まれる。少しずつツユに入れるからかき揚げがふやけず、食べていくことができる。やや、麺の量が少ないため、若い方はひじきご飯(100円)などを頼むのもいいのではないか。



九州うどんを出す店が少ない中、ウロウロ街を歩き、いいお店を井の頭五郎のように発見。もちろん、私は彼ほど健啖家ではないため、色々と食い尽くすことは出来なかったが。どうもご馳走さまでした、次はカレーうどんを食べに行くつもりである。



竹や浅草橋店
台東区浅草橋1ー32ー6
05058727401


柳橋逍遥②

2023-10-14 05:00:00 | 川と橋
佃煮の小松屋さんを出るとお隣に可愛らしい緑色の鋼鉄橋がある。これが柳橋、あちこちに柳が植えられているが、これはのちに植えたものと小松屋のご主人が話してくれた。



橋の袂には安政年間より続いた『亀清楼』がビルとなり、残されている。橋にはかんざしが埋め込まれ、雰囲気を出している。


しかし、料亭は1999年に最後に残された『いな垣』の閉店を以てなくなり、伝統のある柳橋芸者は失われてしまった。

(花火の頃の写真)

柳橋の橋自体は1698年に初めて架橋され、1887年に鋼鉄製となる。しかし、関東大震災で落橋、1929年に今の橋が完成した。橋長38m、幅員11mあり、船舶の航行に支障をきたさないように橋脚が少なく、橋梁本体の下に路面のある下路式鋼製ソリッドリプタイドリーチ構造となっている。




橋の周囲には震災復興記念ほか色々な記念碑や石碑などがある。



橋を渡り、左方向に歩くと隅田川テラスに抜ける階段がある。降りるとちょうど神田川が隅田川に注ぐ地点に出る。隅田川は上流には総武線の鉄橋、すぐ横には東京スカイツリーが見える。



下流にはすぐのところに両国橋がある。一度戻り、国道14号に出る。すると通り沿いに両国広小路の石碑がある。



両国広小路は明暦の大火(1657年)の後に多くの死傷者を出した教訓から両国橋西詰に火除地として広小路が作られ、常設の建物は作られなかった。


ただ、その代わり仮設の見せ物小屋や飲食店などが立ち並び大変に繁盛したようである。



元の道に戻り、柳橋の手前を左に行くとすぐのところに佃煮屋の親戚が経営する船宿『小松屋』、さらに川沿いを歩くと浅草橋手前に『鈴木屋』が出てくる。



昼のためまだ屋形船はたくさん泊まっていた。船宿の建物はかなり古いが、多分再建築が難しいために昔の有様そのものを残しており、絵になる街並みがまだここにはある。




奏す庵〜日本橋ランチグルメ

2023-10-13 05:00:00 | グルメ
カツ丼というと揚げたてのトンカツを甘辛いタレの中に入れ、玉子で綴じた丼を連想するが、最近はバリエーションが増えてきた。その中でも比較的メジャーなのがソースカツ丼である。このメニューの発祥も福井県、駒ヶ根市(長野県)、会津若松市(福島県)、岩手県、秩父地方(埼玉県)、桐生市(栃木県)など日本各地にあるが、一番有名なのは福井県であろう。

大正時代に高畠増太郎が海外留学を終え、東京早稲田で洋食店を開店、ウインナーシュニッツェルを参考にソースカツ丼を考案、好評を博す。しかし、1923年関東大震災により店は倒壊、高畠はやむなく故郷である福井市に戻り、ヨーロッパ軒を開店した。この店の看板メニューとしてソースカツ丼を提供、今は子孫が暖簾を守るというエピソードを聞いたことがある。(確か、青山にある福井県のアンテナショップだったと記憶している)



少し長くなったが、お邪魔したのは日本橋三井タワーB1食堂街にある『奏す庵』。もちろんメニューはソースカツ丼がメイン。メニューの1番上にある『ワセカツ丼』(1100円、税込)を注文した。

中身は厚いカツ2枚と薄いカツ3枚とのこと。(ワセカツとは早稲田生まれで薄いトンカツで早く揚がるところから命名したとあった)



カウンターに座り、ふと前を見ると黒龍の一升瓶がずらり。秋あがり、夏しぼりなどなど、黒板には『黒龍しずく、大吟醸』も取り揃えていて、福井県のお店というのがよくわかる。



お冷と小さく刻んだ梅干しが1つ、よく見るとかなり広い店である。また、季節限定の『カツカレー丼』が人気で注文も多い。



5分もしないうちに私の丼は到着。丼の横にはマスタードソースが付いていて好みで掛けるらしい。他に小鉢(肉じゃが)、漬物、味噌汁が付いている。まずは味噌汁、丼には千切りキャベツはないが、その分味噌汁にはたっぷりキャベツの葉を粗く刻んだものが入っている。

あまり長く煮ていないせいか、かなりシャキシャキとしている。個人的にはもう少し煮ると甘みが出たほうが好みである。



丼を開けるとびっしりとタレの染みたカツが乗っている。大きい方が厚いカツ、小さい方が薄いカツ。一旦は丼の蓋に大きいカツを移し、小さなカツから食べ始める。



ソース味のタレに浸してあり、脂も少なめなカツを一口、サクッとした後、肉の旨みも来て、中々美味い。タレはご飯によく合う味、さらに付いてきた辛子ソースを少し乗せて食べると辛味もあり、味がしっかりしてさらに美味くなる。


(甘酢生姜)
漬物や味噌汁を飲みながらカツを食べ進めるが、新潟県のタレカツには甘酢生姜が付いていてこれを齧りながら食べる方が飽きがこないことを思い出した。そんな工夫もあるともっと嬉しい。



野菜のフライと混ぜたベジミックス丼の方がバリエーションを求めるならばいい。また、注文を聞いていると人気のカツカレー丼、こちらにも食指が動く。改めて食べに来たいものだ。ご馳走さまでした。

奏す庵(ソース庵)
中央区日本橋室町2ー1ー1日本橋三井タワーB1
0362626842