事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

わたしの見かけた有名人 ~ V6

2007-12-23 | 読者レス特集

高嶋ちさ子篇はこちら。

Mail03a_2 品川のホテル近くでV6が「学校へ行こう」のロケをしているところに遭遇。
全員来てて、「どこ行くんですかゲーム」を始めるとこみたいでした。
その脇には、ファッションのいけてない人をつかまえて、かっこよく(?)して金のカーテンから登場するセットも置いてありました。
いけてない人でつかまったらどうする?なんて言いながらボイパ(ボイスパーカッション)研修会に向かったのでした。

V6_2 出たいきなりジャニーズ系。みんなこの事務所のお話は大好きらしく、おそらくこのテの特集の中ではいちばん語られているのではないだろうか。昔ながらのアイドル志向が健在な事務所の姿勢と、なにしろ数が多いからネタにしやすいもんな。

 ちなみにウチの職場にも
(もうジャニーズじゃないけど)『ホテルでバイトしているときに郷ひろみを。すんごくかっこよかった』
という人もいれば、なんと
『実はV6の森田剛くんは、ウチの母方の親戚』(!!)という驚愕の告白をする人までいる。
「え?じゃあ森田に会ったこと……」
「ぜんぜん。遠い親戚だから。でも他人じゃないからファンレター3回出した」
ファンレター(笑)ってあなた、親戚のくせに。思わず脱力。

次回は窪塚洋介篇

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わたしの見かけた有名人 ~ 高嶋ちさ子

2007-12-23 | 読者レス特集

池袋ウエストゲートパーク」の号で国分太一と列車に同乗した話はけっこううけたし、レス特集で窪塚洋介やミスチルの桜井の目撃談を載せて、あ、これはいい感じかも、と思っていたのだが、こういうレスが来てこれは特集せねばならん!と思いついた。やっぱり、ビジュアルがあると気合いが違う。

Mail03c 実は昨年末、バイオリニストの高嶋ちさ子を見かけました。というより一緒に写真を撮りました。
日にちは(2003年)12月7日(土)、場所は山形市内白木屋。お気づきでしょうか?この日はめざましクラシックの公演があった日。なんと白木屋でスタッフ連中と打ち上げしてたんです。もちろん軽部アナもいたし、さくらんぼテレビの遠藤アナもいました。
メルマガ200号突破のお祝いに高嶋ちさ子の写真(もちろんトリミングして)を添付します。悪用しないでくださいね(笑)。

Chisako 悪用ってあなた(笑)。「酒田地区支部の軽部」(当時のわたしはダイエット前だった)としては、彼の方にも一度会っておきたかったなー。それにしてもクラシックの打ち上げが白木屋かよ。

 さて、有名人に会って何にいちばん驚くかというと、何となく“光って見える”じゃない?おそらくこちらの思いこみもあるのだろうし、注目されることに慣れている人間が発する何かがあるのかもしれない。ま、オーラという便利な言葉もあるからそれを使っておくけれど、こちらの“得した!”という気分はいったい何なんだろう。

 それから、近頃はみんなの携帯につき始めたカメラ機能。あれは有名人にとってはつらいもののようだが、さぞやたくさんの有名人生写真が“データ”として飛び交っているのであろうと思うとおかしい。ひょっとして“生身”よりも貴重品扱いされることもあるのかもしれない。現代。

次回はV6篇

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原子という名の少年 その2

2007-12-23 | アニメ・コミック・ゲーム

Hayaomiyazaki そしてもう一人の天才、宮崎駿の手塚批判とはこんな感じだ。

『彼がアニメーションでやったことは間違いだと僕は思うんです。彼は本来ヒューマニズムではないのに、そのヒューマニズムのふりをするでしょう。それが破綻をきたしてるんですよ、「ジャングル大帝」なんかでね。』

『昭和二十年代の彼が単行本で出した世界の持ってる衝撃っていうのは恐ろしいものだったわけですよ。で、それを(鉄腕)アトムがメジャーになった途端にね、ヒューマニズムにすり替えたんですよ。で、それが彼の商売感覚だと思うんです。』

『夜中に編集をウチに呼び込んでラッシュをめちゃめちゃにつなぎ換えて……ラッシュなんかめちゃめちゃにつなぎ換えたらネガの編集ができないんですよ。そういうことを平気でやっちゃう人なんですよ。それで後で大騒ぎになってね』

『で、周りは結局イエスマンだけになるでしょう。だから、手塚さんが虫プロと別れて手塚プロを作ったっていっても、本当ゴミみたいなスタッフしか集まらないですよ。それから、例えば彼が50万円でテレビ・アニメを始めたためにねえ……50万円ですよ、あの人は(笑)……周りの者がどれほどの損害を被ったことか(笑)』

『その人物が死ぬとね、安心して褒めだす人たちがいるんです。僕は今でも手塚さんと闘っているんだと思ってるから。死んだと思って、安心して褒めたくないんですよ。あの人の中に、その後のこの国の大衆文化の光と闇が凝縮されてあると思うんです。』
-「風の帰る場所」~ナウシカから千尋までの軌跡

 しかしこの宮崎も、手塚との比較でもう一人の天才アニメ作家、押井守からこんなことを言われている。

Mamoruoshii 『宮さんって人はね、指導者なの。組織を動かす能力を持ってる人なの。あの人のずば抜けた管理能力、誰もそれをいまだに語らないわけだけど、それはこのアニメの世界でも希有なもののひとつなんだよ。どんだけ細かいことまでやってたかってさ、「あいつの隣にあいつを座らせろ」って、席替えばっかりやってたんだよね。「女の子はあそことあそこに配置しろ」とか。自分で全部席順表作るんだよ。誰が今どこで何をやってるか全部管理したがったの。「おまえどこ行くんだ」って「ちょっとトイレ」って感じでね、5分以内に帰ってくるかどうか確認してるの。で、自分の机を出入り口の側にして、というふうなことまでやった人なんだよ。で、それが実際できた。もちろん不平不満は鬱積してくる。でもあの人が作ったものがそれをねじ伏せてただけで……』

すごいな宮崎!さすが元組合運動家。どこかのぼんくら支部長とはえらい違いだ(笑)。
この、手塚(アストロ・ボーイ)→宮崎(ハウルの動く城)→押井(イノセンス)という天才の連鎖を、来年から楽しむことができる。これは……ちょっと死ねないなあ。

2007年までにハウルとイノセンスは実現したけれど、アストロ・ボーイの方はどうなっているんだろう。まさかと思っていたドラゴンボールの実写版まで実現しそうだというのに。

Pluto21 鉄腕アトムに関しては、その後浦沢直樹が「PLUTO」という形で手塚への【回答】を続けている。

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原子という名の少年 その1

2007-12-23 | アニメ・コミック・ゲーム

Astroboy 2003年4月7日は、アトムの誕生日なのだそうだ。リアルタイムで手塚治虫の漫画を読んでいたわけでもなく、アニメにしてもかろうじて覚えているにすぎない43才(03年当時)のわたしにしても、鉄腕アトムのことや、手塚についてはいろいろと考えるところがある。

天馬博士の息子の代用品、という哀しい出自をもつ鉄腕アトムについては、雑誌「SIGHT」が『何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか~誤解された天才の闇に迫る』という特集を組み、手塚本人や押井守、江口寿史、山本直樹、小松左京のインタビューという、これ以上は考えられない内容を誇っているのでぜひ読んでみてほしい。

編集長渋谷陽一がなぜこんな特集を組んだかと言えば……

『手塚治虫が死んだときの、あの空疎な手塚賛歌に怒りを覚えたシリアスな手塚ファンは多かったはずだ。未来、希望、ヒューマニズムといった言葉の洪水のなかに、本当の手塚はいなかった。一種の手塚批判ともいえた宮崎駿の発言……社会的には物議をかもしたが、僕が納得できた数少ない追悼の言葉だった。あの宮崎発言には手塚への確かな愛があり、リアルな表現者としての手塚が存在していた。』

『手塚は生前頻繁に、自分にとってアトムは代表作ではない、好きな作品ではない、そしてアトムというキャラは好きではない、とまで発言している。』

『いうまでもなく手塚は希望も語ったが、同じくらい、あるいはそれ以上に絶望も語った作家である。』

 つまりいつの間にかジョン・レノンが愛と平和の人とだけ語られるようになり、狂気と絶望の天才としての側面がメディアによって矮小化されたのと同じ道をたどっているではないかと渋谷は危惧している。

Image_01  手塚本人は言う。
『僕はそのヒューマニズム、よく昔の人が“手塚ヒューマニズム”って言ってるのはね、ほ~んとうにもう、耳ふさぎたいんですよね。そのヒューマニズムっていうのは、砂糖なんですよ、僕にとって。オブラートなんです。その中にある僕の本音を、もっと読んでほしいわけ。臭いんだよ、ヒューマニズムっていうのは。』
 どうやら朝日新聞が中心になってアトム賛歌は4月7日にピークに達し、ハリウッド製「アストロ・ボーイ」公開まで続くことになるのだろうけれど、手塚の苦みだけは、天才の苦渋だけは覚えておいてほしい。
以下次号。

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