アメリカンコミック、通称アメコミの映画化作品は、日本ではあまり当たらないことになっている。例外は「スーパーマン」「バットマン」や「スパイダーマン」など、その名が日本人にかなり浸透している場合に限ると言われている。この法則はおそらく正しい。思いつくかぎり「デアデビル」「ハルク」「スポーン」あるいはメジャーな作品のスピンオフでも「スーパーガール」「キャットウーマン」などは、日本の興行界で、討ち死に状態だった。
これは、仕方のないことだと思う。お好きな方にはたまらないであろうアメコミの、具象三昧、というかドライなタッチと説明的なセリフ(“Uhhhhh”とか“Woooow”とかの大げさな表現も含めて)は、実写化されるとなおさら違和感がある。
文化的鎖国状態のなかでいびつに発達した“MANGA”は、いつのまにか世界に冠たる存在になっている。漫画、あるいはアニメになじんだ日本人には、アメコミはやはりつらい。
でも、「X-MEN」シリーズは健闘している。1作目と2作目を監督したブライアン・シンガー(「ユージュアル・サスペクツ」は冴えていた)の切れ味鋭い演出や、1作目のときはチンピラだったヒュー・ジャックマンやハル・ベリーが思いきり大スターになったことも有利にはたらいたのだろう。
でも。
この3作目には言いたいことがある。(THE LAST STANDというツェッペリンぽい原題がありながら、何で「ファイナル・ディシジョン」なんて邦題がついたかはともかく)超能力を自分で制御できなくなったファムケ・ヤンセンを静めるために、ラストでヒュー・ジャックマンはある方法を使うんだけど、あんなバカなまねをして後悔するぐらいなら、なんでアレか、あるいは某少年の超能力を使わないんだっ!
これにはいっしょに観ていた息子も気づいたようで「あれは…………納得できないよねえ」楽しみにしていただけに残念がっていた。
でも、ごひいきファムケ・ヤンセンが大きくフューチャーされ(北欧系の白い顔にうっすら浮かぶ血管がセクシーです!)、わたし的にはすごく満足。ん?2作目のときも同じようなことを言っていた気がする。オヤジ成長せず。それから、エンドタイトルが始まっても絶対に席を立たないこと。