前にジョン・ダニングのミステリを特集したときにもふれた話。ワイキキの書店に入ったわたしは、読めないながらに原書のペーパーバックを手にとってレジへ持って行った。店員は絵に描いたような金髪碧眼の美青年。わたしの購入する2冊をつくづくと眺め、「いい選択だ」とほめてくれた。そのグッドチョイスこそジョン・ダニングの「死の蔵書」とジェイムズ・エルロイの「ブラック・ダリア」だったのだ。金髪店員はいきおいこんで「このブラック・ダリア事件も入っている『ハリウッド・バビロンⅡ』はいらないか?」と誘ってくるが、あのスキャンダル集を持って税関を抜けるのも憂鬱だと断ったのだった。
母親が少年時代に惨殺された過去もあって“血塗られた作家”ともよばれるジェイムズ・エルロイの頂点「LA四部作」は以下の流れだ。
「ブラック・ダリア」The Black Dahlia(’87)
「ビッグ・ノーウェア」The Big Nowhere(’88)
「LAコンフィデンシャル」L.A. Confidential(’90)
「ホワイト・ジャズ」White Jazz(’92)
特に「ホワイト・ジャズ」は“読み終えてから二週間ほど他の本が読めな”くなるほどの傑作。その覚悟がおありなら、ぜひ一読を。共通点は、とにかく登場人物がすべて壊れていくことで、だから特定の人物に感情移入することがまずできないつくりになっている。
今回も主人公のファイヤー&アイスであるブライカートとブランチャード(原作を読んでいるときだってまぎらわしくて仕方がなかった)の壊れっぷりがあまりにすさまじいものだから、ミステリとしての完成度云々はわたしにとって二の次になってしまう。おかげでカーティス・ハンソンが「LAコンフィデンシャル」を映画化したとき、「あー、こういうお話だったんだ」と初めて気づいたくらい(笑)。
わたしが不思議に思うのは、「LA~」にしても「ブラック・ダリア」にしても、あのエルロイの原作がもとになっているにもかかわらず、なんでまた“普通にわかりやすくて面白い”ミステリ映画になってしまうのだろうということ。で、その結果「なんでお前はこの犯行現場に気づくんだよ。ハリウッドはそんなに狭いのかよ!」とか余計なことを考えてしまう。そのせいか、本国では客がほとんど入らず、製作費も回収できないといわれている。監督のブライアン・デ・パルマにとっては「虚栄のかがり火」(あれは、ひどい出来だった)以来の大コケ。おかげで「ホワイト・ジャズ」が映画化される可能性はなくなってしまったか。ちょっとさみしい。
ごひいきのスカーレット・ヨハンソンが出ているのに、彼女があまり魅力的に見えなかったのは、共演のジョシュ・ハートネットとできちゃったことにわたしが嫉妬しているからだけではないはず(T_T)。デ・パルマとエルロイは、火と水のように相性が悪かったのかも。それにしても、“あの人”が犯人だなんて、すっかり忘れてましたー。
※画像のポスターは秀逸。殺され方のヒントになっている。