ガソリン1リットル200円の時代が、冗談や空想から『仮定』の段階に入ろうとしている。今回の道路特定財源をめぐる与野党の攻防は、いろいろと考えさせてくれた。
明確に“よかった”と思えることがひとつあった。消費税導入以来、日本人がひさしぶりに税金についてマジで意識的になったということ。政治家の仕事は、税金の使い方と集め方を決めることなのに、これまでは“お上のやること”とばかりにまるで他人ごとだったのではなかったか?特に集め方の方は、国会論議などどこへやら、【党税調】と呼ばれる自民党の長老たちが操っていたし、だから財務省も肝心な情報は彼らにしか提供していなかったのだ。
でも今回の大騒ぎのおかげで、復活した特定財源については(まあ、例によってあっという間に忘れ去られる危険性もある)国民が注視しているからヘタな動きはできない。およそペイするはずのない高速道路の建設とか、政治家の利益誘導がむき出しの路線決定とか。第一、現職の首相が一年後に一般財源化すると明言した事実は重い。これがひっくり返るとすれば、そのときは自公政権が文字どおりひっくり返るか、あるいは福田首相が辞任という選択をするだけだろう。
新聞を読みこんで、特定財源についてわたしはこう整理している。
1.特に地方の道路整備は、特定財源があった方が圧倒的に有利。受益と財源のバランスを考えると、都会の人間がよくもまあこんなシステムを容認していると思う。
2.“必要な”道路と、“無駄な”道路の線引きは機能していない。財源を復活させようとした道路族の主張を考えると、うまく線を引こうなどというつもりは毛頭ない。
3.総体的に、予算は使い切れない傾向にある。つまり予算を必要な道路に振り向ける権能を誰も有していない。振り向けるには一般財源化(つまり地方にまかせる)が有効だろうけれど、それだと国土交通省がパワーの源泉を失ってしまう。
4.“改革”を推し進めるには、郵政などよりこちらの方がはるかに有効だったにもかかわらず、時の政権(遠回しに言うことでもないか。小泉政権です)は実行することができなかった。
……土建屋政治(集票マシーンとして特定郵便局長会などより建設会社の方が献身的)のせいで一般財源化が阻まれている、とするのは一面的にすぎるだろう。日本は旧来からこんなパターンで政治は行われてきたのであり、計算違いがあったとすれば、ドライバーたちはガソリンの値段というものに、為政者が考えるよりもはるかに敏感だったあたりじゃないだろうか。
ところで、わたしがどう考えてもわからないのは、ある統計で【日本でいちばんガソリンの値段が安いのは山形県】だった事実。県内のどっかに油田でもあったっけ?
※画像は、一連の騒ぎのなかでいちばんあからさまだった人。