その1はこちら。
一読してまず、この人はやはり高級官僚、しかも官庁のなかの官庁だった内務省出身であることが政治家としての性格に歴然と影響していることがわかる。役人を入省年次で考え、人事というものを知悉しているものだから徹底して利用している。これは、彼が所属した派閥の領袖、田中角栄の手法そのものだし、おそらくは角栄の官僚掌握術に影響も与えたのだと思う。
しかし帝大→内務省→政治家とエリートコースまっしぐらに見えるこの人も、実は挫折を経験している。最初に徳島で立候補したときに、一度落選しているのだ。これは、同じ選挙区に三木武夫直系の候補者がいたことが影響している。このときの選挙違反摘発数はものすごく、「なんでオレの側だけこんなに検挙するんだ!」と警察に怒ったら、「だってあなたがそう指導したじゃないですか」と返されている(笑)。ロッキード事件に連座しているとして(本人は強く否定している)ダーティなイメージがつきまとったこともあった。彼が最後まで田中角栄シンパとしてふるまったことで、そのイメージはしばらく後藤田を苦しめた。
そうなのだ。わたしが後藤田を政治家として意識したときは、カミソリである以前に悪徳政治家、というイメージだった。それが次第に変化したのは、とにかくこの人、常に入閣しているという印象があり、その背景に「とにかく仕事が出来る」ことがあったのだと思う。だから、というわけでもないが、彼の人間の評価軸には「有能か否か」がまずある。後藤田の下で働くのは並大抵ではないだろうな。彼が担当したあさま山荘事件を描いた映画「突入せよ!あさま山荘事件」で、藤田まことが後藤田を演じて味のあるところを見せているが、実際にはかなりきつい上司だったろう。しかし情がないわけでもないようだ。警察庁長官時代を思い返して……
-殉職警察官の遺族などに対しては、どうされたんですか。
後藤田:長い間の騒擾事件で多くの殉職者や負傷者を出しました。警察が先鞭をつけると、消防がついて来るんだ。ただ、今でも当時の後遺症で苦しんでいる人はたくさんいるんですよ。今でもいるんだ。かわいそうなんですよ、これは。現職のまま置いておけという指令だったんです。構わんといった。定数外で出来る限りは置けばいいんですよ。
……これを情があるととるかは微妙なところだけど。彼がリベラル(に見える)発言をするようになったのは、しかしこの警察畑を歩んだ経験が裏にある。次回はそのあたりを。