その男は帝都にある宮殿の地下で、何かを待っている。長く続いたいくさは敗色が濃厚で、ために妻と子どもたちを帝都から遠ざけている。そのせいだけではなく、まったく表情をもたないその男には孤独の影がある。意欲を見せるのは珍しい生物のことを語るときだけ。取り巻きは“神”である彼になお望みをたくしているが、そのことを彼自身がどう考えているかはうかがいしれない。ただ、自分が民にとって“太陽”であるとは信じている。
いくさは大敗に終わり、勝者の将である大男と彼は話し合う。大男は思う。「彼は……まるで子どもだ。」しかしその男は子どものように無垢ではあったが、同時に子どものように残酷で、子どものように小狡くもあった……
これまでに、20世紀の権力者としてヒトラー、レーニンを描いてきたロシアの映画監督アレクサンドル・ソクーロフが新作の題材に選んだのは、その男=ヒロヒトだった。イッセー尾形が演ずる昭和天皇は、記憶の中にある裕仁の特徴をみごとにつかんでいる。垂れ下がったまぶた、チックのように動く口、そしてあの口調「あ、そう」。
圧巻なのは大男=マッカーサーとの会談。歴史の闇に沈むその内容を、いかにも「こうであったかもしれない」と構築している。
「この皿はドイツの伯爵の持ち物だったのだが、あなたの友だちもその城を訪れたことがあるそうだよ」
「わたしの友だち?」
「ヒトラーだよ。」
「……知らない。会ったこともない」
自分が死に追いやられるのではないかと恐れる彼は(そのようにイッセー尾形がうっすらと感じられるように演じている。無表情のまま)、宮殿=皇居の防空壕にある机上の彫塑のなかからナポレオンのものだけを引き出しに隠したりする。ソクラテスはそのままで。
日本国内では公開不可能ではないかと思われていたこの作品(撮影はロシアで行われた)は、しかし東京で封切られるや大ヒット。懸念された右翼の妨害等もなかったようだ。おかげで山形でも平日の一回目の上映で20名を超える客が入っていた。とてもいいことだと思う。ヒロヒト個人への評価は人それぞれだろう。でも、桃井かおり演ずる皇后とのからみだけでも観る価値はある(志村けんのバカ殿コントだってあそこまで笑わせはしない)。そして、佐野史郎が抑えた演技を見せる侍従がもらすラストのセリフが、この国の不幸と幸福を一瞬にして観客に悟らせるのだ。外国人だからこそ描くことができた、日本人必見の映画。