事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「日本沈没」(’06 東宝)

2008-06-21 | 邦画

Img191s 樋口真嗣監督 岩代太郎音楽 主演:草彅剛 柴咲コウ

デイ・アフター・トゥモロー」の号でもふれたように、小松左京がぶちあげたプレート理論による日本の沈没はものすごく説得力があった。いや、科学的にどうのこうのではなく、「こうなっちゃったら日本が沈むのは“あり”だよな」と思わせる味があったのだ。だからこそ今回のラストの「ある解決策」(あのCGにはびっくりした)もまた、なるほどーと思わせた。この部分が絵空事になっていないので、民族流浪の悲愴感が浮き上がらず、主人公(これほどラストまで何もしないヒーローもめずらしい)が最後にとる行動も、過度なヒロイズムに堕していない。

 それにしてもここまで全篇泣かせる仕掛けが満載の映画とは思いもしなかった。’73年に大ヒットした森谷司郎監督版はそのあたりが失敗していて、ドラマが圧倒的に弱かった。だから今では浜辺で抱き合ういしだあゆみと藤岡弘しか印象にない。まあ、わたしが中学生だったということもあるんだろうけれど。ところが、2006年バージョンはそれにしたって泣かせすぎではないだろうか。ネタバレになるので詳しくは言えないが、主人公の二人がヘリポートで抱き合い、別れを覚悟する場面の直後に、彼らを見つめる大臣役の大地真央のカットをちょっとだけ挿入、そして彼女が最後に……あわわもう言えない。このあたり、確かにみごとなのだけれど、それなら同時に、国宝を外国に差し出して生き残りを図る姑息な総理の方ももっと陰影のある描き方をする選択肢があったはず。登場人物がことごとく深みがない(吉田日出子をのぞく)ものだから、結果として今回もドラマが少し平板になってしまった。

 まあ、それでも金を払う価値のある映画だし、“日本列島を離れても日本人は日本人でいられるのか”という裏テーマを、もんじゃ焼き屋の女主人と常連客たちの連帯だけで描いたテクニックにはうなった。家族を愛しながらも絶望的な状況にみずから突っこむ深海艇乗組員に、あのベッシー及川光博を起用した配役もにくい。

庵野秀明+安野モヨコ夫妻や、福井晴敏、富野(ガンダム)由悠季など、監督の樋口人脈の特別出演も笑わせてくれる。少なくとも「出来の悪いアルマゲドン」などと言って片づけられる代物ではない。ぜひ。

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「M:i:Ⅲ」('06 パラマウント)

2008-06-21 | 洋画

Cruise  火のついたマッチが画面を横切り、導火線が炎をあげる。ラロ・シフリンの例のテーマが流れ、プロフェッショナルたちの活躍を予言する……

子どもの頃、テレビの「スパイ大作戦」に胸をときめかせた世代としては、はやドキドキ。しかし、だ。三作を通じて、あのクールな興奮はついに再現できなかった。私怨、復讐、カンフーと、よけいな要素が多すぎるのだ。今回も、愛する女性を守るために……こんな動機づけ、いらないのに。実現不可能な作戦を軽々とやってのけるのがスパイだったはず。世評は高いようだが、フェルプスくんを1作目で殺してしまったのがだいたい間違いなんだと思う。考え直せトム。いくらスパイでも、毎回毎回そんなに裏切り者は……(笑)

J.J.エイブラムスの手腕にはちょっと期待したんだがなあ。フィリップ・シーモア・ホフマンはひたすら気持ちよさそうですが。お察しのとおりマギー・Qの美しさにはクラクラ来ました。

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「百年の誤読」~三太郎の日記

2008-06-21 | 本と雑誌

483560962x  もう誰も読書ガイドとして「この1冊」を考えている人はいないだろうけれど(T_T)、今号からかまします。ネタもとは岡野宏文と豊崎由美の「ダ・ヴィンチ」における連載をまとめた「百年の誤読」。リクルートが出しているメジャー書評誌「ダ・ヴィンチ」には言いたいことも数々ある。でも作家たちをアイドル化する手法が有効であることを日々立証しているわけだから、これはこれでひとつの行き方だ。

 二人の対談のコンセプトは「この一世紀のベストセラーを、“現在の目”で読み直し、はたして本当に売れる価値があったのかを検証する」だ。一種の後出しジャンケンのような手法だから卑怯といえば卑怯。でも、前にマイベストにあげた「文学賞メッタ斬り!」(大森望との共著)で見せた豊崎の罵倒芸を味わうだけでも読む価値はある。んもう名作であろうが文豪であろうが遠慮なしに罵倒し放題。壮快だ。ちょいとピックアップして紹介しよう。まずは地元の著名人を罰当たりにも……

三太郎の日記」 阿部次郎 大正3年

豊崎 こいつとにかく、とめどない能天気野郎なんですよ。読んでてムッときまくり。
岡野 いちおう「大正教養主義」の総本山として歴史に残る書物ではあるんですけどね。自己をいかにして確立するかの悩み多き内省を綴り、当時の青年たちのバイブルだったらしいよ。
豊崎 バッカじゃないの。ていうか、こんなヤな奴に人生教えてほしかねえっつーの。たとえば癩病の人に餅を与えたってエピソードがあるんですよ。そしたら<僕はこの真正に飢えた人を見て羨ましかった>って書くの。<この中有に迷う生活からのがれてむしろかの癩病やみになりたい>って。なってみろ、このバカたれがぁ!こういう不用意で無神経なこと書く輩が偉そうなことウダウダ書きやがって。
岡野 あっ、そこは僕も虫酸が走りそうだった。
豊崎 でしょ、でしょ。自分の中の自分と対話をしちゃ、しょっちゅう<君は近ごろ少し評判がよすぎるようだ>だの、<君のいう通り、全く僕は少し評判がよすぎるようだ>だの<カーライルと比較せられたことを光栄とし>だの自画自賛しまくり。へりくだったふりしながら実は自慢したくて仕方ないんだよね、この人。
岡野 あのね、「三太郎」というのはさ、「丁稚」「小僧」を指す当時の蔑称だったんだって。おもねって、世間を見下しつつ、自己卑下したふりでエバり返るこんぐらがったタカビー。
豊崎 だからいやらしい逆エリート意識なんですよ。それがまた鼻につくくらい見え見えなの。おぞましすぎです。

Jiro ……あああ旧松山町の人たちすいませーん。でも7年間も松山町に勤務しながら、ついに「三太郎の日記」を読むことのなかった不良事務職員としては、むしろホッとする評価か。

次回は「風と共に去りぬ

コメント (4)
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