絶望的な殺人事件が頻発しています。
両親と妻と子供たちを殺して自分も死のうとした製本会社の社長がいます。近くにマンションが建設中で、完成後の住民から騒音被害を訴えられることを心配していて、また取引先が倒産するなど、商売もあまりうまくいっていなかったそうです。
この人が家族を殺そうとした理由は勘違いにあります。自分がいなければ家族が生きていけないと思い込んだ勘違いです。最初は多分、近い将来を悲観して、自殺を考えたのだと思います。あるいは病気なのかもしれません。極度の心配性であることはまず間違いありません。しかし将来をどれほど悲観しても、家族を皆殺しにして自分も死のうという発想に至るのは極めて稀だと思います。この社長さんは家族を自分の所有物だとでも考えていたのでしょうか。奥さんや両親、子供たちの個々の人格や人権を認めていなかった。自分の商売が行き詰まり経済的に危うくなったら生活ができなくなり家族を路頭に迷わすことになると勝手に思い込んでいたのです。商売が左前になって資金繰りが不可能になったり借金取りが押し寄せて来たら、自分はとても持ちこたえられないと思ったのでしょう。自分が持ちこたえられなければ家族も持ちこたえられるはずがない。すると一家離散して皆が不幸になる。そういう一本道の発想です。決して、自分がいなくなった暁でも、家族がそれぞれの才覚で生きていけるとは思いもしなかったのでしょう。
それとも、真実は別のところにあって、実はこの社長は日頃から家族に虐げられていて、いつか皆殺しにしてやろうと思っていたのかもしれません。マンション建設の説明会に行って将来を悲観したこともあって、家族を皆殺しにする大義名分ができたと錯覚した。ところがいざ殺してしまうと、罪悪感や喪失感、不安と恐怖、嫌悪感といった感情が押し寄せて、もともとの動機であった絶望と憎悪が揺いだ。そのため死に切れなかった。
何が本当だったのか、本人以外には決してわからないだろうし、本人が真実を語ることはないでしょう。あるいは本人にも、何が本当なのか、わからないかもしれません。
自殺する人は、髪の毛ひとすじの希望さえ持っていません。今日と違う明日が来るかもしれないと思うからこそ人間は生きていけるのです。状況がこれ以上絶対によくならないと確信したら、人は躊躇うことなく、淡々と自殺するでしょう。
フロイトの精神分析入門には最初に間違いについての記述があります。うろ覚えですが、人が間違いを犯すのはどうしても正しい手順を踏みたくない理由があるからだと書いてありました。製本会社の社長が自殺できなかった理由は、状況がこれ以上絶対によくならないと確信できなかったからにほかなりません。
何故確信できなかったのか。
実は最初のひとりに手を掛けるまでは強く確信していたと思います。しかし家族を皆殺しにしていく過程で変わっていった。人間が傷つき、あるいは死んでいくのを生々しく体感して、この社長の中で隅に追いやられていた不安や恐怖という感情が、再び心を侵しはじめました。
絶望は思索と想像力の産物ですが、不安や恐怖は本能です。本能は思索も想像力も簡単に凌駕してしまいます。自分の状況が絶対によくならないと確信できれば人は躊躇わずに自殺しますが、それはその瞬間に、絶望が恐怖や不安といった本能を押さえつけているからです。しかし長続きしない。無理心中がうまくいかないのは、相手を殺したことで、押さえつけていたはずの不安や恐怖がぶり返すからです。人間というのはそれほどまでに弱い生き物なのです。
自殺しようと思ったら早めにすることです。他者を巻き込むのはえてして独善で、しかも失敗するのです。