三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「小学校 それは小さな社会」

2024年12月18日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「小学校 それは小さな社会」を観た。
映画『小学校 〜それは小さな 社会 〜 』公式サイト

映画『小学校 〜それは小さな 社会 〜 』公式サイト

世界が喝采!日本の小学校に驚いた !! いま、小学校を知ることは、未来の日本を考えること 。 1 2/13 ( 金 ) よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開

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 驚いた。日本の小学校の教育の構図は、戦前とまったく同じだ。つまり既存の価値観や独善の押しつけと義務化である。学校行事の意義や何故開催しなければならないかの説明もなく、どうすればうまくできるかを課題にしてしまう。そして、それを子供たちに自分たちで考えさせるという自主性だと主張する。この欺瞞を教師は誰も自覚していない。
 教育カリキュラムをそのまま実行するのが教師の仕事だと言われればそれまでだが、教師の思想はないのか。もしかしたら、子供たちに説明しても理解できないと、子供をバカにしているのではないか。
 日常の教師たちの態度を見ても、自分たちが上で、子供たちが下だと思っているのがわかる。今年(2024年)の12月に「子供に人権はない」と発言した津市の市議会議員がいたが、教師たちの世界観も同じである。基本的人権をもう一度勉強し直したほうがいい。

 卒業式の練習で、笑った生徒を怒鳴りつけた教師がいた。真剣にやっているのを笑うとは何事だという論理だが、真剣にやっているからこそ、滑稽なのだ。卒業式はなくても誰も困らない。卒業証書はPDFにしてメールで送ればいい。
 そういう無意味な儀式を有難がって、練習で全力を出しているから面白い。笑うのは自然である。それを怒鳴りつけてしまっては、自由な感情の発露ができなくなる。こういうところに、子供たちの精神を制限して、窮屈な人生にしてしまっている過失があるのだが、当の教師はまったく気づかない。愚かな教師から教わる生徒が不憫だ。
 こういう教育を受けてしまうと、権威や権力者の望むことをしようとする人間ばかりが育ってしまう。社会のパラダイムに疑いを挟むことなく、お上の言うことに唯々諾々と従うのだ。戦前の教育も同じだったから、お上が戦争を礼賛すれば、ガンバレニッポンと応援する。欲しがりません、勝つまでは、と必要なものも我慢する。

 新しい価値観は、既存の価値観を相対化することから始まる。創造は破壊からスタートするのだ。作中で公演を行なった大学の教授が指摘していたとおり、全員が参加する行事は、ともすれば全体責任といった考え方になり、誰かの不作為さえもみんなの迷惑になると追及されて、追及された子供は居場所がなくなったり、いじめにあったりする。
 自分のことを「先生」と呼び、学校行事の是非を鑑みることもなく、ただカリキュラムをこなしていくだけの教師たちは、自ら反省することもなく、正論ばかりを子供に押し付ける。誰からも尊敬されないし、顧みられることもない。

 本作品の制作陣は、日本の標準的な小学校のありようを、好意的に伝えようとしているように思えるが、炙り出されたのは全体主義と独善である。期せずして小学校教育の本質的な問題点を考えるきっかけになった訳だ。

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