映画「どうすればよかったか?」を観た。
統合失調症のことを、以前は精神分裂病と呼んでいた。人間の先天的な気質は、躁鬱質と分裂質と癲癇質の3つに分類されるという、クレッチマーの説を大学の心理学の講義で学んだ記憶がある。分裂質は、内省的で知性の高い人に多いそうだ。
本作品の雅子さんは、知性の高さ故に自分を追い詰めた典型例だろう。意味不明の発言を繰り返す精神の奥底には、もしかしたら覚醒した知性が目を見開いているのかもしれない。
そんなふうに覚えながら鑑賞していた。すると、監督である弟が、姉である雅子さんに「なにか聞きたいことはない?」と質問したシーンの雅子さんの表情を観ているときに、雅子さんが聞きたい質問が頭に思い浮かんだ。
「私はどのように死ねばいいの?」
本作品のタイトルと呼応する質問である。こんな質問をされて、まともに答えられる人はいないだろうし、自分からこんな質問をする人もいないだろう。しかし精神分裂病の自分を自覚している雅子さんなら、家族にこの質問をしたいときがあるかもしれない。あるいは雅子さんでなくても、病気が進行して自分の死を予感した人なら、誰かに聞きたいときがあるかもしれない。
誰にも質問できないときは、自分自身に質問することになる。
「自分はどのように死ねばいいのだろう?」
日曜日の映画館は満席で、上映前にはたくさんのお喋りが聞こえていたが、終映後は、誰一人として言葉を発する人はなく、押し黙って退場していた。もしかしたら、各自で自問していたのかもしれない。
「どのように死ねばいいのか?」