三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

弱い者いじめ

2008年04月15日 | 政治・社会・会社

自分が客だと、必要以上にエラそうな態度になる人がいます。一様にプライドが高くヒステリックで、言葉遣いもよくありません。苦情処理を担当していると、そんな人の相手を嫌になるくらい沢山させられます。従業員の言葉遣いについて苦情を言い立てる前に自分の言葉遣いを直した方がよろしいのでは?と言いたくなるような人ばかりです。
店舗の従業員と言えども人間ですから、感じのいい客相手のときは自然に笑顔も出ますし、親切にしてあげたくもなります。しかし感じの悪い客相手だと表情も硬くなるし、必要以上に親切にしようという気になりません。もちろん商売ですから、表面的にはニコニコして接客しますし丁寧な言葉遣いもしますが、特別に気を利かせることはしません。当然のことだと思います。感じの悪い客というのは、あからさまに上からものを言う人、従業員を奴隷のように扱って無理難題を押しつける人、はじめから喧嘩腰の人、自分で説明できないことを従業員が理解しないと理不尽に怒る人などです。こういった人が相手の場合、接客用語を駆使した丁重な応対とは裏腹に、胸の内では(二度と来るな!)とはらわたが煮えくり返っています。もちろんマニュアル以上のサービスは絶対にしないし、その場限りの客と見て高いものを売り付ける場合もあります。こういう事態は客にとって不利なことだと思います。接客のプロならどんな相手にも等しく丁寧に誠実に対応しなければならないという頭の固い議論はあるでしょうが、コミュニケーションという観点からすれば、客が自分の要望を満たしてもらうためには、相手の従業員と良好な関係を築くのが近道であることは自明の理です。それをしないからどこに行ってもあまりいい扱いを受けない訳で、自ら好んで損をしているとしか思えません。感じの悪い対応をされたと苦情を言い立ててくる人は、実はその人自身のコミュニケーション能力に問題がある人なのです。そしてそういうに限って自覚がなく、自分のコミュニケーション能力不足のためにひどい接客をされていることにちっとも気づいていませんし、多分一生気づかないと思います。立場の弱い人間に対してしかものを言うことのできない情けない人々です。こういう人たちは、自分たちの行なっていることが「いじめ」の構造そのものであるということにも気づきません。日本から弱い者いじめはなくならないし、いじめられた子供たちが次々に死んでいくのを止めることもできません。社会全体にいじめの構造が蔓延しているからです。日本に未来などありません。

それにしても桜花賞の結果には参りました。皐月賞はそれでなくても軸が絞りづらいメンバーですから、また大荒れになりそうな予感がします。日本に未来はないけれども、来週の競馬があり、その次の週も競馬はあります。こういう風に問題を先延ばしにしながら人類は続いていくのでしょうね。ひずみが一番大きなところから次々に破綻して、最後は誰もいなくなるのでしょう。早くそのときが来た方がいいのかもしれません。