三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「サバイバルファミリー」

2017年03月04日 | 映画・舞台・コンサート

映画「サバイバルファミリー」を観た。
http://www.survivalfamily.jp/

 小日向文世と深津絵里が夫婦役を演じるというだけで、ある種のアンバランスが想像される。アンバランスは静止エネルギーと同義であり、何かのきっかけでダイナミックに動きはじめる。両俳優とも、期待にそぐわぬ見事な演技だった。

 ファミリーはいかにも現代的な家族で、最初のうちは、当然ながらまったく感情移入できない。仕事最優先で家族を顧みない夫、我儘勝手な息子と娘に、性格は悪くないが能天気な妻。
 ストーリーは予告編や公式サイトにある通りのサバイバルだが、特殊な能力の持ち主が現れることも、思わぬ幸運が舞い込むこともなく、等身大の人間が体当たりで状況に挑む、ある意味で振り切った演出だ。ところどころに伏線や思わぬゲスト出演があって、楽しめる。

 電池や発電装置をふくむ、あらゆる電気が突然なくなる生活は、特に若い世代を直撃する。スマホが使えなければ友達でなくなるのは、つまり友達はスマホの中にいたということだ。
 サバイバルの中で家族の絆は強まるが、逆に家族以外に対しては微妙に排他的な心理状態になる。それでも礼儀を忘れないのは日本人らしいし、助け合える状況では進んで助け合う。まっとうな家族が極限状況に陥ってなおまっとうであり続ける、稀有なサバイバル生活を過ごす物語で、自分でもきっとそうするに違いないという共感があり、ストーリーの途中からは完全に家族に感情移入している。

 蒸気機関車がトンネルをくぐった後の車内のシーンがこの映画の白眉ではなかろうか。どんな状況でも家族で笑えるのはいいことだなと、しみじみ思わせる幸せなシーンだ。


映画「Experimenter」(邦題「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」)

2017年03月04日 | 映画・舞台・コンサート

映画「Experimenter」(邦題「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」)を観た。
http://next-eichmann.com/

 イーストウッド監督、トム・ハンクス主演の「ハドソン川の奇跡」を思い起こさせるような、静かな、大人の映画である。

 何故邦題に「アイヒマンの後継者」という文言を入れてしまったのか。アイヒマンの記録映像が短時間流れるが、作品はアイヒマンとはほぼ無関係だ。そもそもミルグラム博士は後継者でも何でもない。それに「恐るべき告発」をしている訳でもない。心理学の実験をして、論文を発表しただけだ。「アイヒマン」だの「恐るべき」だのといろいろな言葉を詰め込むよりも原題の通り「実験者」としたほうがよほどましだった。キャッチ―なタイトルにしたいという下種な下心が透けて見える邦題のせいで、却って観客を減らしたかもしれない。せっかくいい映画を配給しているのだから、志を高く持ってほしいものだ。

 映画は原題の通り、実験を行なったミルグラム博士についての話である。科学者らしく客観性と統計確率が保たれるように工夫しながら実験を繰り返し、結果を発表した。実験の方法について、道徳的、倫理的な批判が常について回るが、実験の意図は道徳や倫理よりもずっと上の次元にある。

 世界観は非常に哲学的だ。曰く、人間の行なう社会的行為の多くが、命令と服従の関係によって成り立っている。戦争も大量虐殺も、普通の人間が、上の人間から指示されたことを普通に実行しただけで、日常の仕事と何ら変わることはない。指示に従うことは人間の基本心理であり、拒否できる人は常に少数派だ。命令と服従がいたるところに存在するなら、この世界は平等ではない。そして自由でもない。自由と平等を民主主義の基本原理とするこの世界では、誰もそのことを認めたがらない。人間が自由を手に入れるのはいつの日だろうか。

 主役であり語り手でもある博士が、しばしば観客に直接話しかける。シニカルなその語り口は、見る者を飽きさせない。
 実験は単純だが、実験結果の因果関係を考察すると、人間社会の成立時にまでさかのぼることになる。道徳や倫理が出現する遥か以前にまでだ。非常に奥が深い作品であり、博士の問題意識は実験の様子と重なって、いつまでも心に残る。


映画「LA LA LAND」

2017年03月04日 | 映画・舞台・コンサート

映画「LA LA LAND」を観た。
http://gaga.ne.jp/lalaland/

 ハリウッドお得意の勧善懲悪の作品と違って基本的に悪意のある人間は登場しない。そう、つまりこの作品は、ハリウッドがもうひとつお得意の、能天気なラブストーリーなのだ。

 いまどき女優になることが夢という単純な女性は滅多にいそうもないが、そういう稀有な典型をエマ・ストーンが底知れぬ女優魂で見事に演じている。この人は不思議な女優で、映画の序盤ではひどいブスに見えるのに、後半ではとても綺麗な女性に見える。同じエマでもどこまでも美人のエマ・ワトソンが演じたら、オーディションに落ちて絶望する様子にもやや真実味が欠けていただろうし、エマ・ストーンが演じるほどには感情移入できなかっただろう。
 ハリウッド作品らしく、物語に深みはなく世界観も単純だ。主役の二人はそれぞれに変わっていくし、二人の関係性も変化していくが、世界そのものはまったく変化しない。平和で安定した世の中でのお手軽な青春物語で、それぞれの悩みの浅さは雨の日にできた水たまり程度だ。
 それでも音楽と歌で楽しめるのは、語るように歌うヒロインのなじみやすい歌声と、豊かな表情の演技に尽きる。エマ・ストーンなしではこの映画は成立しなかっただろう。ウディ・アレン監督の「 Irrational Man」(邦題「教授のおかしな妄想殺人」)でも一風変わった嗜好の女子大生を好演していた。
 難解な設定の役柄でも、力わざの演技で役柄の存在感を確立し、観客の感情移入を得る才能は、おそらく持って生まれたものだろう。豊かな表情は日頃の鍛錬の賜物であることが想像できる。
 しばしば大写しになるエマ・ストーンの表情は喜怒哀楽がとてもはっきりしていて、なぜか愛らしい女性に思えてくる。エマ・ストーンに始まりエマ・ストーンに終わる映画だが、ヒロインが愛らしいと作品自体も愛らしく思えてくるのだ。こういう作品を作ることのできるデイミアン・チャゼル監督は不思議な才能の持ち主といっていいだろう。
 たとえば小さな女の子が人形やぬいぐるみや宝石を自分の「たからもの」として大切にするように、他のひとから見るとガラクタに見えることもあるが、ある人にとっては「たからもの」となる、そういう映画である。


チューリップ賞~ソウルスターリング

2017年03月04日 | 競馬

◎ソウルスターリング
〇ミリッサ
▲アロンザモナ
△エントリーチケット

本命は3戦無敗のソウルスターリングで仕方がなさそうだ。府中のアイビーステークスで1馬身3/4差で下したペルシアンナイトが先週のアーリントンカップを3馬身差で勝ったことから、この馬の能力は抜きんでており、前哨戦だから仕上げに余裕があるだろうという懸念は不要だろう。
前走で出遅れ、最速の脚を使って2着になったリスグラシューが2番人気だが、こういうパターンは不発のことが多い。今回も出遅れないとは限らないのだ。馬格がないのも気になる圧倒的な1番人気の連下は薄目という格言もあり、今回はこの馬に消えてもらう。
馬格がないのはミリッサも同じだが、こちらは前走1番人気。スローペースを後方から大外を回っては届きようがない展開だった。今回は少頭数で前を捌くのには苦労しないだろう。
前走勝ちのアロンザモナと3着以下のない安定した走りをするエントリーチケットまで。

馬券は、◎ソウルスターリングを頭3連単(10-1、4、5)6点勝負。