三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「A Brilliant Young Mind」(邦題「僕と世界の方程式」)

2017年03月12日 | 映画・舞台・コンサート

映画「A Brilliant Young Mind」(邦題「僕と世界の方程式」)を観た。
http://bokutosekai.com/

 人間の精神面の発達障害については、いまだ解明途上である。発達障害のさまざまな特長に関する呼称は沢山ある。しかしなぜ障害が起きるのか、どのような過程で起きるのかなどは、よくわかっていない。そもそも生きている人間の脳内の話である。解明が困難であることだけはよくわかる。
 自閉症の中にはコミュニケーション能力等の発達障害と同時に、特定の優れた能力を得る場合があるのは誰もが知っているところだ。サヴァン症候群などがその典型だろう。

 本作は数学に抜きんでた才能を持つ自閉症の子供ネイサンの話であるが、テーマは数学でも数学オリンピックでもない。テーマを読み解くキーワードはいくつかの台詞として現われている。
 一つ目は、子供の頃、落書きのように描いている図形や数式について尋ねた母親に向って「頭が悪いから理解できない」と言う。それはつまり、子供ながらに自分の数学の才能を自覚しているということだ。そして数学の才能があることだけが自分のレーゾンデートルであることも理解している。
 二つ目のキーワードは数学オリンピックの合宿に向かう飛行機の中で同行の女の子に言われた、数学について地元でどれだけ優れていても、ここではただの人だという言葉。自分の唯一の取柄であった筈の数学の才能が、レベルの高い世界では決して抜きんでたものではないと認識させられる。その結果、生きていることが不安になる。
 三つ目のキーワードはチャン・メイと交わす会話だ。こだわりをチャン・メイにいとも簡単に相対化され、シュリンプ・ボールと綽名までつけられる。
 四つ目のキーワードは、合宿の引率者が帰国間近にネイサンに言う、きみの数学はとても美しいという言葉だ。哲学では真善美という概念がある。真は善であり美であるという考え方だ。ネイサンの数学が美しいのなら、ネイサンの数学は真実であり善である。引率者の言葉は、ネイサンの数学の将来は決して暗いものではないことを示している。
 そして五つ目のキーワードが、チャン・メイといると心も体も変な感じになると、母に告白するネイサンの台詞である。性欲を感じ、恋をしたことで、母親に自分のことを伝えられるコミュニケーション能力を獲得したことがわかる。ネイサンは少し大人になったのだ。

 救われるのはネイサンだけではない。夫を亡くした不幸な母親にも、数学の才能に恵まれながら世を僻んで不自由な生き方をしている足の悪い教師にも、それぞれの救いを与える。
 つまりこの映画のテーマは、ネイサンが思春期の初恋をきっかけに人とのかかわりに喜びを見いだしていく話を軸にした、人生の全面的な肯定なのだ。
 数学の難解な問題もところどころで登場する。20枚のカードを裏表にするゲームが必ず偶数回で終了することを証明する課題がある。指名されたネイサンは、二進法の論理を用いて見事に証明してみせる。実に胸のすく場面である。


映画「Into the Forest」(邦題「スイッチ・オフ」)

2017年03月12日 | 映画・舞台・コンサート

映画「Into the Forest」(邦題「スイッチ・オフ」)を観た。
http://aoyama-theater.jp/feature/mitaiken2017
(前日に観た「Equals」(邦題「ロスト・エモーション」)と同じサイトなので重複した画像が出るかも)

 あらゆる電気が消え失せてしまうという荒唐無稽な設定の邦画「サバイバルファミリー」に比べたら、電気の供給がなくなるだけで電池や発電機は普通に使えるこちらの作品の方が設定の点ではまだ現実的である。
 しかし電気の供給がなくなった後の生活は、こちらの方がファンタジックだ。簡単にいうと、危機感がない。食糧も燃料も限られているというのに、姉妹はダンスと勉強に余念がない。ただ、電気がないことで人心が荒廃しはじめていることには十分気づいている。
 姉妹が状況の本当の切実さを実感するのは、父親が亡くなってからだ。伏線はある。訪れたマーケットや通りがかったガソリンスタンド、帰宅途中に停車していた自動車などで、理性を失いつつある人間たちを見かける。徐々に壊れはじめた家で細々と食いつないでいる姉妹を、誰かが襲ってこないとも限らないのだ。もうひとつの伏線は本だ。インターネットで勉強していた妹に、電気がなくても本があると父親が言っていた。
 危険の感覚と知識。妹の役割は決まった。姉の役割は妹の補佐かと思っていたところに、新しい事件が起きる。

 電気ガス水道通信という4つのインフラが十分に供給された都会の生活では、原始的な行動は食と性、それに排泄だけだ。これらは日常の習慣となっているため、新しい感動はなかなか得られない。しかし妊娠と出産は、ひとりの女性にとって稀有な体験であり、ヒトという種の一個体としての原始的な感覚を実感するものに違いない。
 哺乳綱霊長目のヒト科ヒト属の単一種として原始社会から食物連鎖の頂点にいつづけたヒト。その地位を獲得したのはひとえに知恵によるものだ。自分たちには知恵があるのだ。文明よ、さらば。───映画もいよいよ終わりを迎える場面で姉の役割に気づくと、この映画の世界観とストーリーがいかに立体的にできているかがよくわかる。カナダという森の豊かさに恵まれた広大な土地でなければ製作されなかったであろう、ヒトと自然を歴史と哲学の観点で描いたスケールの大きな傑作である。
 邦題は原題の直訳「森のなかへ」としたほうが直感的にわかりやすかった。