三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House」(邦題「ザ・シークレットマン」)

2018年03月22日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House」(邦題「ザ・シークレットマン」)を観た。
 http://secretman-movie.com/

 ダスティン・ホフマンがワシントンポスト紙の記者を演じた「大統領の陰謀」に対して本作品は別の角度からウォーターゲート事件を扱っている。アメリカの政治学者の投票で史上最低にランキングされたドナルド・トランプが大統領を務めているいま、この作品が作られた背景は明白だ。3月30日にはメリル・ストリープとトム・ハンクスの「The Post ペンタゴン・ペーパーズ」が日本で公開される。

 リーアム・ニーソン演じる主人公は「フライトゲーム」のときのように、刻々と変わる状況を冷静に分析して敏感に反応する。現場のエージェントとは違って、管理部門の彼の武器はひたすら言葉だけだ。政治的な力関係を意識しつつ、第4の権力たるマスコミを上手に利用する。
 実話に基づく話なので結末は誰もが知る通りだが、言論の自由を守ろうとするアメリカのマスコミの姿勢は、日本のマスコミとまったく違っていると改めて思う。権力に阿る日本のマスコミは、戦前の大本営発表みたいに再び日本を戦争の惨禍に導こうとしている。言論人としての矜持があるなら、人間の内心の自由、言論の自由をどこまでも守り抜くために権力と戦う姿勢を見せてほしいところだが、権力者と食事やゴルフをしているようでは話にならない。国民の自由よりも自分の企業を守りたいようだ。
 役人は英語でpublic servantだ。publicは公のという意味で、servantは奴隷である。滅私奉公、民主主義のために自分の利益を捨てる覚悟がなければいけない。しかし我々が官僚に対して持つイメージは、保身、出世、前例主義など、マイナスの側面しかない。
 本作品の主人公のような、権力者の陰謀を告発する勇気がある役人は日本には出現しないだろう。日本社会は自由を守る構造になっていないのだ。


映画「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」

2018年03月22日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」を観た。
 http://ku-kai-movie.jp/

 世界三大美人のひとりである楊貴妃を演じるのは、どんな美人女優にとっても荷が重いのではなかろうか。予告編を見てそんなことを思った。
 しかし映画は楊貴妃の美人度にそれほど左右されないストーリーで、ある程度以上の美人なら大丈夫だ。容貌よりも楊貴妃の人となりの方が気になる展開だった。
 染谷将太は演技派の俳優らしく、悟りを開きつつある空海を好演。白楽天を演じた中国の俳優との掛け合いも見ごたえがある。
 栄華を極めた玄宗皇帝といえども、ひとたび権力闘争に巻き込まれれば、権威は相対化され、限りある肉体を持つひ弱な個人となってしまう。そしてそこにドラマがある。
 日本語吹き替えで観賞したが、本人の吹き替えに若干の違和感があったので、全編中国語の字幕バージョンも観たかった気がする。
 とはいえ言語にかかわらず、とても見ごたえのある大人向けのオリエンタルファンタジーであることは間違いない。