三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「blank13」

2018年03月24日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「blank13」を観た。
 http://www.blank13.com/

 昔、かぐや姫というフォークグループが「赤ちょうちん」という歌を歌っていた。その2番に「生きてることはただそれだけで哀しいことだと知りました」という歌詞がある。

 リリー・フランキーが父親、神野三鈴が母親、斎藤工が長男で高橋一生が次男という4人家族。
 人は往々にして準備も稽古も不足のまま子供を作る。子供は目的があって生まれてくる訳ではない。サルトルが言うように、人間は職人の頭の中にあるペーパーナイフではないのだ。
 生きることは苦しむことだから、人間は基本的に不幸である。人生は苦痛と恐怖に満ちているのだ。人間が生きているのは苦痛と恐怖を愛しているからだと、ドストエフスキーは看破する。

 本作品の登場人物はいずれも不幸な人々である。不幸であることを前提に、日々の小さな幸せに縋りつきながら生きている。しかし彼らは言う。自分は幸せだと。この世界観は素晴らしい。
 リリー・フランキーや高橋一生が時折見せる笑顔は、小さな幸せを上手に演技している。斎藤工の演出も世界観をうまく表現している。
 小品だが心に残る佳作である。


映画「Le confessioni」(邦題「修道士は沈黙する」)

2018年03月24日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Le confessioni」(邦題「修道士は沈黙する」)を観た。
 http://shudoshi-chinmoku.jp/

 貨幣は経済の血液という。血液は酸素や二酸化炭素だけでなく、いろいろなものを運ぶ。それで生物の活動や新陳代謝が成り立っている。貨幣も同じように社会の隅々に行き渡り、経済活動を容易にする。物々交換に比べて貨幣のほうがずっと効率的なのだ。
 何にでも交換できる貨幣は、たくさん集めることで交換できる物の種類や量が飛躍的に増加する。つまり金持ちの誕生である。そして貨幣を他人に期間を決めて貸し出し、利息を取ることを思いつく。金融のはじまりだ。
 資本主義が発達して貨幣に資本という別の価値を生むと、資本が金融と結びついて金融資本主義となる。資本は付加価値を生み出すから、金融は資本と資本、貨幣と貨幣の間を渡り歩くだけで莫大な利益を得ることができる。マネーゲームである。
 インターネットを頂点とする通信技術の進化によってマネーゲームはスピードアップしていく。と同時に、金融強者と金融弱者、ネット強者とネット弱者などの要因で、金銭的な格差もスピードアップする。持てる者は格差を固定化して変わらぬ夢を見続けようとし、持てない者は格差を解消する夢を持ち続ける。
 持てる者は権力を掌握していて非常に有利だが、数は持てない者が圧倒している。持てる者はいつか滅びるが、持てない者の中から次の持てる者が現れる。それは歴史の通りである。

 さて、本作品は格差を巡る覇権争いや権力闘争の深謀が、にこやかなうわべの裏で火花を散らす国際会議の開催中に、利害の外にいる聖職者がどのようにかかわり合うかを静かに描いている。神という絶対的存在に対して人間の価値観はなべて相対的である。今だけ、自分だけ、金だけという刹那的な価値観を修道士から一喝されると、頭脳明晰な出席者たちは、まさに頭脳明晰であるが故に反論の言葉を持たない。
 金融資本主義が世界中で固定的な格差を生み出し続ける世の中で、相対的な価値観に倦みはじめるのは、貧乏人よりもむしろ金持ちだ。今だけ、自分だけ、金だけという金持ちに神の許しを与える聖職者はいないだろう。ある意味胸のつかえがおりるような、爽快感のある映画であった。