三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ANNA」

2020年06月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ANNA」を観た。
 リュック・ベッソン監督の女殺し屋といえば古くは「ニキータ」、そしてスカーレット・ヨハンソン主演の「LUCY」だが、「ニキータ」は名作で「LUCY」は凡作だった記憶がある。順番からすると今度は名作の予感である。そしてその予感は当たった。
 スポーツや音楽、絵画などの分野では、幼い頃から群を抜いた才能を発揮する人間がいる。同じように諜報員にも、それに適した才能を持つ人間がいるとすれば、まさに本作品の主人公ANNAのような人間だろう。諜報員に要求される才能とは身体能力と知性、的確な判断力と素早い決断力、それに状況の変化に動じない剛胆さである。殆どスーパーマンだ。
 どうやら諜報機関のエージェント(現場工作員)というのはスーパーマン並みの能力が要求されるらしい。いつどこから弾が飛んできて殺されるかもわからないことを考えれば、緊張と疑心暗鬼で頭がおかしくなりそうだ。そういう毎日を過ごしていれば、辞めることを考えるのは当然である。株式のディーラーが続かないのと似たような事情だ。
 さて本作品の主人公は類稀な才能を発揮して優れたエージェントとなる。年代からするとソ連崩壊寸前の限られた時期で、KGBの存続も風前の灯となっている頃だ。時代背景を考えると、エージェントや裏方で支える部門の人間たちの立場は非常に微妙である。明日をもしれぬ身なのはソビエト連邦の役人全体を包む雰囲気であったはずだ。
 今日の権威は明日には権威でなくなるかもしれず、何を頼りに将来を見通せばいいのかわからない。そう考えれば、束の間の性欲に身を滾らせるのも納得がいく。明日のない人にはクスリとセックスとアルコールが必要なのだ。
 綱渡りのような人生はスリリングでストレスフルである。それを乗り切っていく強靭な精神力をリュック・ベッソンはヒロインに託す。ヒロインの活躍は常に背水の陣だ。
 サッシャ・ルスという女優さんは初めて見たが、なかなか堂に入った演技をする。リュック・ベッソンの演出もさることながら、本人が持って生まれた才能だろう。長身痩躯で身体が柔らかくて瞬発力があり、歩き方も走り方も美しいというのは、本人の努力だけでは達成できない。
 オスカー女優ヘレン・ミレンがロシア訛りの英語を前面に出して存在感たっぷりにKGBのナンバー2のような役を演じたのが物語に奥行きとリアリティを与えている。この作品は彼女に助けられている部分が多いと思う。名演だった。
 時系列が往ったり来たりするが、結果に対して原因を遡るようなわかりやすい構成なので観客が戸惑うことはない。ヒロインの切なる願いが作品を通底しているから、ずっとワクワクしながら鑑賞できる。やっぱり名作だ。

映画「サーホー」

2020年06月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「サーホー」を観た。
 4月4日にシネスイッチ銀座で「ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方」を鑑賞して以来、2ヶ月ぶりの映画館での映画鑑賞である。あまり重いテーマの映画はコロナ禍で沈む気分を更に暗くしてしまうかもしれないと思い、なるべく軽い感じの作品を選んだ結果、本作を鑑賞することになった。
 インド映画は「バーフバリ 王の凱旋完全版」(2017年)で初めて観て感心し、その後「シークレット・スーパースター」(2017年)は主人公を演じた女の子(ザイラー・ワシーム)の歌のうまさもあって、とても楽しめた。
 本作品は「バーフバリ・・」で主演したプラバースが現代劇の主人公を演じるとあって、「バーフバリ・・」と同じようにプラバースのかっこよさを前面に出して絶賛するという演出だったが、時代劇ならまだしも、価値観の相対的な現代にあっては、プラバースのかっこよさがいまひとつ滑っている感じが否めず、単なるカッコつけたヒゲおじさんになってしまっているのがなんとも情けないところであった。
 伏線を散らしていないので、次はどうなるのかというワクワク感が感じられず、ただ出来事を並列的に並べているような感じで、ネタバラシにもさほど驚きはしない。観客を引きずりこむようなストーリーがあれば少しはマシな作品になったかもしれない。
 ただ、インド映画らしくところどころに織り込まれた歌とダンスのシーンはそこはかとなくエロティックであり、さすが「カーマ・スートラ」の国の映画だと妙に感心した。