映画「凱里ブルース」を観た。
長いワンシーンがつながれたロードムービーである。日本で言えば「仁義なき戦い」の頃だろうか。土間に物を置く習慣が残っていたり、外から戻っても手を洗わなかったりするから、衛生観念が社会に行き渡る前の話だろう。映像は暗くてわかりづらく、お世辞にも洗練された作品とは言い難い。
ヤクザが詩人になってもおかしくはない。世の価値観は常に揺らいでいて、人は風にそよぐ葦のように翻弄され続けている。封建主義のパラダイムが支配的であればそういう考え方になるし、大義名分にもなって他人を非難する根拠となる。拝金主義のパラダイムが支配的であれば金儲けをした人間が偉い人間なのだ。
誰のために何をするのか。自分は誰に必要とされているのか。自身のレーゾン・デートルを求めて旅をするシェンは、故郷に時の移ろいを見る。残ったのは人の優しさだけなのかもしれない。身の上話を聞いてくれた床屋に大切なものを渡してしまう。それがシェンの優しさなのだ。ヤクザから足を洗い久しぶりに訪れた故郷は、必ずしもシェンを歓迎してくれる訳ではないが、邪慳にもしない。うねうねとあぜ道が通る田んぼに風が吹いている。