三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「バーナデット ママは行方不明」

2023年09月26日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「バーナデット ママは行方不明」を観た。
映画『バーナデット ママは行方不明』オフィシャルサイト

映画『バーナデット ママは行方不明』オフィシャルサイト

9月22日(金)新宿ピカデリー他全国公開|『TAR/ター』『オーシャンズ8』ケイト・ブランシェット主演×『6才のボクが、大人になるまで』リチャード・リンクレイター監督

映画『バーナデット ママは行方不明』オフィシャルサイト

 ケイト・ブランシェット演じるバーナデット・フォックスと夫のエルジー・フォックス。一見自由な夫婦のように見えるが、実はここにもパターナリズムが存在する。エルジーと、彼が依頼したセラピストだ。夫もセラピストも、バーナデットの精神状態を病気と決めつけて、精神病院への入院をすすめる。パターナリストお得意の「あなたのためだ」という言葉でバーナデットを束縛しようとするのだ。
 実はもうひとりセラピストが登場する。バーナデットの古い知り合いで、ローレンス・フィッシュバーンが演じるポールだ。こちらは本職のセラピストではないようだが、バーナデットを自由に語らせ、思いをすべて吐き出すまで聞き出すことで、バーナデットが抱える問題の本質を的確に見抜く。バーナデットがネガティブになってしまうのは、天才の創造性が抑えつけられ、日常の煩わしさに縛り付けられているからだ。創作欲を解き放ってしまえば、建築家の精神は自由に羽根を伸ばし、他人とも上手くやっていけるようになる。
 このふたつのセラピーの場面は交互のシーンになっていて、本作品のテーマを明確に語っている。他人を個人として個別に理解しようとせず、パターンに当てはめて判断しようとすると、大いなる誤解を生んでしまう。バーナデットをお高く止まっていると非難する隣人も同じで、素顔のバーナデットに触れると、自分の誤解に気づく。

 エマ・ネルソンが演じた娘のビーは、母を最もよく理解しているひとりだ。頭がよくて、母親を非難する人々のパターナリズムがどんなものか、よくわかっている。スーパークールな娘なのだ。
 ビーが子どもたちの踊りに象の振り付けをしたと母に報告するから、どんな曲で踊るのかと思っていたら、エッセイ「パイプのけむり」で有名な日本の音楽家團伊玖磨が作曲した「ぞうさん」だった。
 梶井基次郎が「檸檬」に書いたように、人間は精神が弱ってくると、些細なことに感動する。「ぞうさん」に感動したバーナデットの精神は、ほぼ壊滅状態だった。

 ケイト・ブランシェットは2022年製作の「TAR」の指揮者の役もそうだったが、こういう繊細な役柄をいとも簡単に演じているように見える。本作品は2019年の製作で「TAR」の3年前だが、この作品の経験が「TAR」に生かされているように感じた。

映画「ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家」

2023年09月26日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家」を観た。
 
 生まれたばかりの赤ん坊は、ほぼ何も表現できない。ただ泣いて自分の存在を主張するだけだ。その後、言語をはじめ、環境から様々なことを吸収して、やがて表現ができるようになる。何かを表現(アウトプット)するには、その素となるインプットが必要なのだ。
 おそらく、ゴダールに見えていた世界は、当方のような凡人に見えている世界とは一線を画していて、数多くの発見に満ちていたに違いない。ピカソと同じだ。そしてピカソが描き方を変えていったように、ゴダールも映画の撮り方を変えていく。ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として映画界を牽引していった。
 
 ただ一点、気になるところがある。若き日のゴダールがしきりに映画は芸術だと主張するところだ。この主張の必然性がどうにも見えてこない。ベートーヴェンが音楽は芸術だと主張したり、モネが絵画は芸術だと主張することはなかった。ドストエフスキーが小説は芸術だと主張することもなかった。その必要がないからだ。映画は映画であって、芸術かどうかは大した問題ではないと思う。
 そのことで、ひとつ思い当たることがある。大学で演劇論を受講したときに、講師が映画は総合芸術だとさかんに主張していたのである。絵画彫刻や音楽に比べて、映画は新興の文化だ。追いつきたいと思っていたのだろうか。そう言えば、石原慎太郎は自分のことを芸術家と言っていた。作家の中で自分を芸術家と呼んだのは、この人以外に聞いたことがない。
 
 芸術かどうかよりも、人々にとって有用かどうか、人生に有意義かどうか、生活に潤いを与えるかどうかが重要で、本作品でも、バイク事故以降の描写にはゴダールが映画は芸術だと主張するシーンはない。映画の手法と同じように、世界観も進化し続けたのだろう。
 宮崎駿監督の著書には、過去の自分の作品を指して、くだらないと断ずる発言が出てくる。進化する人は過去を否定する傾向にある。ゴダールも同じだが、いちばん有名な作品が初期の「勝手にしやがれ」であることは、ゴダールにとって一番の皮肉かもしれない。