映画「エターナルメモリー」を観た。
老齢による精神機能の衰えについて、誰もが将来的な不安を覚えるようになったのは、認知症という言葉が広く普及して以降だと思う。それまでは痴呆症という言葉だったが、字面があまりよろしくないことであまり使われず、それよりも「惚ける」という言葉が主に使われていた。歳を取って惚けるのは、ある意味で子供に戻るみたいな印象があった。
認知症が不治の病と家族の重荷として恐れられるようになったのは、言葉が人口に膾炙したことと、インターネットの普及が重なったことが大きい。同時に不安も蔓延したというわけだ。もちろん核家族化もひと役買っている。認知症の老人の孤独死は、もはや日本の日常だ。報道されないから、あまり知られていないだけだ。
本作品は、認知症の二段階を描いている。初期の頃はまだ話せば分かったり、感情も安定していたりする。後期になると、過去のトラウマが現実となり、現実が幻になってしまう。感情も不安定で、介護する家族を苦しめるようになる。
食事とトイレと入浴がひとりでできる間はいいが、それが出来なくなると、介護の負担は一気に跳ね上がる。本作品では裏方を見せることはないが、認知症の夫を世話する妻は、人には言えない苦労をしていると思う。
人格とは何かというテーマがある。人格とは記憶だという説があって、その説では、認知症で記憶を失ったら、人格も失うことになる。その通りなのかもしれないが、どうにも割り切れない。人格を失うと、人権も失う気がするからだ。
妻は薄れゆく夫の記憶を見守りながら、決して夫の人格や人権を否定しない。生まれたばかりの赤ん坊にも人格や人権はある。夫は、その世界に戻ろうとしているのだ。もはや死も怖くないだろう。年を取って惚けるのは、そのためかもしれない。とにかく夫には、幸せな余生を送ってもらいたい。
不幸で辛い日々を描いた作品だが、当人たちにとっては、必ずしも不幸ではないのかもしれない。画面から、夫婦の愛が溢れ出すようだった。