三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「アリスとテレスのまぼろし工場」

2023年09月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アリスとテレスのまぼろし工場」を観た。
映画「アリスとテレスのまぼろし工場」|maboroshi

映画「アリスとテレスのまぼろし工場」|maboroshi

2023年9月15日(金)公開|恋する衝動が世界を壊す|岡田麿里監督最新作。MAPPA初オリジナル劇場アニメーション作品|

映画「アリスとテレスのまぼろし工場」|maboroshi

 中島みゆきが歌う主題歌の「心音」は、ワンコーラスだけyoutubeで公開されていて、何度か聞いて覚えてから鑑賞したのだが、おかげで感動が倍増した気がする。歌詞が本作品の世界観を的確に表現しているのだ。

 思春期は人格が形成される最後のときだ。気質は遺伝子によって決まり、気性は3歳くらいまでの幼少期に決まると言われている。思春期は、性格を変えるまでにはいかないが、その時期の過ごし方によって、現実との向き合い方、自分との向き合い方が決まる。思春期より前に、何かにのめり込むことが出来た人は、幸せな思春期を過ごすことが出来る。しかし大抵は、悩みと迷いの日々を送る。

 本作品に登場する中学生たちも例外ではない。第二次性徴の現れとともに、異性をはじめとする恋愛対象への興味が湧き、同時に自意識の目覚めとともに他者との関係性を極端に気にするようになる、ちょうどその頃だ。本人にとっても、周囲にとっても、もっとも厄介な年頃である。
「反抗期」などという言葉は、大人が名付けた勝手な言い草だ。本人たちは反抗しているつもりはない。ただ権威や権力やパターナリズムが鬱陶しいだけである。

 さて物語は日常から突然極限状況に移行するスタートから、再び日常に戻って思春期のひりひりする毎日が続き、そしてある出来事を機に、極限状況の秘密が明らかになるという、起承転結の典型みたいに展開する。思春期の恋が並行して進むのもいい。
 思春期の恋の最初の山場はキスだろう。小鳥が啄むようなキスから、次第に濃厚なキスへと変化していき、若い二人はその快感に夢中になる。このシーンを子供に説明する親は大変かもしれない。想像すると可笑しい。

 ストーリーも面白かったし、盛り上がるところはきちんと盛り上がるし、映像もきれいで、とても良くできた作品だと思う。ただ、タイトルが少し残念。「希望とは起きている人が見る夢に過ぎない」という哲学者の言葉が紹介されていることから分かるように、有名なギリシア哲学者の名前を思春期の男女に分けて名付けてみたのだろうが、ちょっとひねり過ぎである。中島みゆきが主題歌のタイトルを決めた時点で、映画のタイトルも同じにする英断があればよかった。

及川浩治リサイタル

2023年09月16日 | 映画・舞台・コンサート
サントリーホールで及川浩治さんのピアノリサイタル。今年で3年連続で聞いている。及川さんの表現力は大したもので、特にベートーヴェンの「熱情」は何度聞いても感動する。
曲目は以下の通り。
(前半)
リスト 愛の夢 第3番
リスト ラ・カンパネラ
ショパン ワルツ第3番イ短調
ショパン ワルツ第1番変ホ長調「華麗なる大円舞曲」
ショパン 即興曲第4番嬰ハ短調「幻想即興曲」
ショパン ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」
(後半)
ドビュッシー 月の光
ドビュッシー 亜麻色の髪の乙女
クライスラー 愛の悲しみ
スクリャービン エチュード第12番嬰ニ短調「悲愴」
ラストは
ベートーヴェン ピアノソナタ第23番ヘ短調「熱情」
 及川さんは「熱情」をピアノソナタの頂点だと評価していて、演奏にも熱が入る。約20分の演奏後は、ヘトヘトの感じだ。そのせいか、アンコール曲は軽めだった。
(アンコール)
ショパン ノクターン第1番変ロ短調
 第2番ほど有名ではないが、第1番の物悲しい雰囲気がとてもいい。土曜日の午後の揺蕩う物憂さにぴったりだった。今回も素晴らしい演奏をありがとうございました。

映画「ミステリと言う勿れ」

2023年09月16日 | 映画・舞台・コンサート
映画「ミステリと言う勿れ」を観た。
映画『ミステリと言う勿れ』公式サイト

映画『ミステリと言う勿れ』公式サイト

大ヒット上映中!再び、人の心も、事件の謎も解きほぐす。菅田将暉主演の大人気ドラマ『ミステリと言う勿れ』待望の続編が映画化決定!

 テレビドラマのときもそうだったが、久能整くんは、全体主義やパターナリズムの発言に対しては、必ず反論する。理不尽に対して極端に敏感なのだ。反論することで人間関係が壊れたり、ときには自分の身に危険が及ぶこともある。それでも久能くんは反論する。そのブレない生き方は見事と言っていい。
 タイトルの「ミステリと言う勿れ」の「ミステリ」は、本来の「謎」の意味で使われていると思う。出来事には必ず原因があり、経緯がある。「謎だ」と片付けてしまうのは思考停止だ。久能くんは考える人である。同時に観察する人だ。科学者と同じように、推測して、仮説を立てて、検証する。このシリーズのストーリーの面白さはその過程にある。今回もとても見応えがあった。

 久能くんの反論を聞く度に、自分はこれまで、反論すべき場面で反論しなかったことがたくさんあることを思い出す。真実性よりも人間関係や保身を優先してしまったのである。忸怩たる思いだ。
 九能くんは架空の典型的な人格ではあるが、学ぶべきところは大いにある。大人が学べるのだから、子供は尚更だろう。大人には反省を促すから心が痛む部分があるが、子供は素直に学んで、理不尽を許さないまともな人格に育つだろう。とてもいいことだ。

 菅田将暉は当たり役である。九能くんの理屈っぽい話をこの人が喋ると、本音を率直に吐露しているように聞こえて、耳障りがいい。単に嘘を言わないだけではないかと言えば、たしかにその通りなのだが、嘘の中に、テキトーな相槌や上辺だけの同感を含めれば、人間関係に依存して生きている我々にとって、嘘を言わないのは至難の業である。
 つまり、現実の人間が久能くんのようになることは不可能に近いのだ。外見からはとてもそうは見えないが、実は久能整は知的部門におけるスーパーヒーローなのである。彼の活躍に快哉を叫びたくなるのはそういう訳だと思う。稀有のキャラクターである。

映画「こんにちは、母さん」

2023年09月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「こんにちは、母さん」を観た。
映画『こんにちは、母さん』公式サイト|大ヒット上映中

映画『こんにちは、母さん』公式サイト|大ヒット上映中

山田洋次×吉永小百合×大泉洋。日本最高峰の監督・キャストで贈る「母と息子」の新たな出発の物語。

 クラシック曲が要所要所で上手に使われている。J.S.バッハの「G線上のアリア」とビバルディの「四季」から「冬」第1楽章、そしてショパンの「ノクターン」の第2番だ。クラシック曲の力はとても大きくて、恋心の膨らむシーン、仕事の緊迫したシーン、ゆっくりと時間が過ぎていくリラックスしたシーンなど、それぞれのシーンを増幅して、それらしい雰囲気を醸し出す。

 山田洋次監督はいつも女性を美しく撮る。御年78歳の吉永小百合さんが演じた福江は、その歳なりにとても美しい。それに考え方も若い。人間の多様性を認めて、それぞれの生き方を大事にする。自由な精神性だ。
 一方、大泉洋が演じた息子の昭夫は、昭和の高度成長期みたいに古い価値観の持ち主で、他人と価値を比較するような無粋な真似をする。戦後の昭和の時代には昭夫のような人間が普通にたくさんいた。世界の中心に自分がいるタイプだ。思春期の自意識の目覚めをうまく乗り切れなかった訳で、自己愛性人格障害の一種である。アベシンゾーと同じだ。自分第一の木部課長も同じ穴の狢である。

 昭夫の娘で、永野芽郁が演じた舞は、福江と同じく自由な精神性の持ち主だ。父親のパターナリズムを許す余裕もある。それは福江も同じで、自分の都合最優先の息子を非難することもなく、優しさを全方位に発揮する。
 古い精神性=昭夫と、新しい精神性=福江、舞との緩やかな対立軸を描き、そこに田中泯のイノさんの戦争の記憶を加えることで、戦後の庶民の精神性の変遷を上手に表現してみせた。古い価値観から脱却しなければ未来はない。山田監督としては画期的な作品である。

映画「ヒンターラント」

2023年09月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ヒンターラント」を観た。
映画『ヒンターラント』公式サイト|9月8日(金)公開

映画『ヒンターラント』公式サイト|9月8日(金)公開

映画『ヒンターラント』公式サイト|9月8日(金)公開

https://klockworx-v.com/hinterland/

 映像が面白い。最初は違和感があったが、すぐに慣れる。世界が歪んで見えるのは、主人公の帰還兵ペーター・ペルクから見た世界が歪んでいるということなのだろう。俳優をブルーバックで撮影して、背景をCGで作成するという画期的な手法が、この凝った映像を可能にしたようだ。

 舞台は第一次世界大戦後の1920年頃。ドナウ川を遡る船のシーンからはじまる。ドナウ川は全長2800キロメートル以上の大河である。日本で一番長い信濃川は360キロだ。ヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」は世界的に有名だが、映画の当時は戦禍の屍体がたくさん浮いていたようで、身元の分からない屍体をまとめて埋めた墓地が沿岸にある。多分美しくも青くもなかったはずだ。

 ペーターたちは1918年の戦争終結後から2年間、1917年にロシア革命で成立した新しい国ソビエト社会主義共和国連邦に抑留されていた。強制収容所で過ごした2年間に何があったのか。そこに本作品の核となるテーマがある。

 オーストリアは敗戦国だ。第二次大戦後の日本のように、復興の恩恵を受けるのはまず支配層の連中だ。地べたを這いずり回り、配給を受ける庶民との格差が大きく、暴動を防ぐために警察官は権力者のために体を張る。警察官は国民の生命、身体、財産の安全を守るのが使命のはずだが、守られるのは一部の人間たちだけである。いつの世も同じだ。
 元警察官のペーターは、元兵士でもあり、ヒエラルキーに逆らえない。上官に向かうと直立不動で敬礼する。しかし本当は分かっている。ヒエラルキーの上位者が自分たちを戦場に追いやったのだ。そして戻ってきてもまだ、ヒエラルキー上位者が威張っている。こんな世の中は間違っているはずだ。多分。

 ストーリーは連続殺人事件の謎をペーターが解いていく話だが、幾重にも抱えるトラウマをたくましい身体で受け止め、力強く進んでいく姿は、人としても警察官としても見事である。ブルーバックのCGがペーターの心の揺らぎを上手に表現する。骨太のミステリーだ。

映画「ほつれる」

2023年09月10日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ほつれる」を観た。
映画『ほつれる』公式サイト

映画『ほつれる』公式サイト

主演・門脇麦×監督・脚本:加藤拓也。気鋭の演出家と実力派俳優が織り成す人間ドラマが、観る者の心に迫る——。9月8日(金)、新宿ピカデリーほか全国公開。

映画『ほつれる』公式サイト

 こういう物語は、不倫が悪いこととされている国の話だから成立する。フランス映画なら、あり得ない展開だ。他人との距離感が違うのだ。フランス映画では他人はどこまでも他人で、支配するとかされるとかの対象ではない。思い通りにならないことを前提にして、意見を交わしたり、同じ時間を過ごしたり、セックスしたりする。日本に生まれた我々は、浮気や不倫がよくないことだと、理由もわからないまま思い込まされてきた。そもそも色恋沙汰の順番が違う。日本ではセックスがゴールだが、フランス映画ではセックスからはじまる。相性が合わなければ、それでさよならだ。とても合理的である。

 オキシトシンのはたらきなのか、人間は付き合いが深くなると、他人を自分の思い通りにしようとする。それは付き合いの浅い人々への敵対心にも繋がる。家族を支配しようとする人は他の家族に対して、疑いや敵愾心を持つことがある。会社なら競合他社に対する敵愾心を持つことがある。規模が拡大して国家までエスカレートすれば戦争になる。オキシトシンは愛情ホルモンと呼ばれているが、戦争ホルモンでもあるのだ。
 共同体の支配層は、人間のそういう精神性を統治に利用してきた。浮気や不倫は悪いことだというパラダイムを広め、子育てを固定化することで人口を増やし、労働力を確保する。

 社会が成熟すると、そんなパラダイムが支配層によるマインド・コントロールに過ぎないことに多くの人が気づきはじめる。最初から気づいている人もいる。しかしいつまでもパラダイムに縛られて、パターナリズムの態度を崩さない愚かな人々もいる。
 本作品で言えば、田村健太郎が演じた文則がその典型だ。他人を支配しようとして言葉を弄するが、本人の人格がショボいから、誰も言うことを聞いてくれない。真剣に悩んだことも深く考えたこともない人間に、威厳は具わらないのだ。

 日本ではパターナリズムがまだまだ健在だ。古い価値観である。新たな価値観である多様性と平等は、パターナリズムとは絡み合わない。無理に関係しても、ほつれるのが必然だ。新たな価値観の人間が古い価値観の人間に別れを告げる。
 しかし差別と格差の古い価値観もまだ生きている。ほつれるのは夫婦関係だけではない。日本国民全員の関係性がほつれようとしている。すなわち分断だ。現在の日本の精神性を象徴するような作品だった。

映画「アステロイド・シティ」

2023年09月10日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アステロイド・シティ」を観た。
9/1(金)公開|映画『アステロイド・シティ』公式-ウェス・アンダーソン監督最新作

9/1(金)公開|映画『アステロイド・シティ』公式-ウェス・アンダーソン監督最新作

9/1(金)公開|映画『アステロイド・シティ』公式-ウェス・アンダーソン監督最新作

 2021年の映画「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」でも同じ印象を持ったが、ウェス・アンダーソン監督の作品は、新聞や雑誌の切り抜きを使ったコラージュみたいである。あれもこれもみんな詰め込んで面白がってやろうという、少年の遊びのような発想で作られているように感じる。

 軍の描かれ方はデフォルメされたステレオタイプで、本部からの命令をそのまま発表し、何も疑うことなく実行する。愚かさは疑いようがない。軍が上で民衆が下である。命令する者と命令される者、支配する者と支配される者。軍は常に支配者なのだ。情報も統制する。世に出していい情報かどうかは軍が判断するのだ。
 軍は愚かだが、兵士の中には自分で考えたり判断したりする者もいる。民衆の対応はまちまちだ。軍に従おうとする者、抵抗しようとする者、策略を巡らす者。無関心で自分のことに精一杯の者もいる。
 そういったすべてを笑い飛ばしてしまおうというのが本作品だ。隕石が落ちたクレーターに、隕石を回収しに宇宙人がやってくるという発想は秀逸。よくわからない出来事に右往左往するのが人類で、今も昔も変わらない。パステルカラーの町を舞台にドタバタが繰り広げられる。
 こういう作品は知的な興味をそそるから、有名な俳優がたくさん出演したのも頷ける。俳優は基本的に知的好奇心が旺盛で、人類の愚かさの典型を演じてみたいと考えるのだろう。

 以下は余談。
 地球温暖化で騒いでいるが、そもそも地球は昔から温暖化と寒冷化を繰り返してきた。寒冷化して氷河期となり、温暖化して間氷期となる。現在は第四間氷期だ。
 地球の歴史を一日にしてみると、1時間は2億年弱である。1分が約300万年。1秒が5万年。恐竜の登場は2億3000万年前だから、一日で言えば22時50分頃だ。6600万年前のチクシュルーブ・クレーターに隕石が衝突したディープインパクトで絶滅したとされているから、23時38分頃だ。恐竜が地球にいた時間は48分。人類が登場したのは500万年前だから、一日で言えば23時58分20秒頃になる。いまのところの在地球時間は1分40秒だ。
 恐竜と同じように何らかの原因で絶滅するのは間違いないが、人類は驚異的なスピードで地球環境を破壊して自ら住みにくくしているから、恐竜よりもずっと短い時間しか地球にいることができないだろうと推測される。で、それがなにか?

映画「バカ塗りの娘」

2023年09月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「バカ塗りの娘」を観た。
 
 津軽弁は、駒井蓮が主演した映画「いとみち」で聞いたので、本作品の津軽弁も大体は聞き取ることができた。「食べなさい」や「食べろ」は「け」の一音だ。寒い地方だからあまり口を開かなくていいように、言葉が短くなったという説を聞いたことがあるが、ちょっと怪しい。
 東京にいると、津軽弁に接するのは映画やテレビドラマが殆どで、だからなのか、人柄が純朴で正直な印象を受ける。
 本作品の登場人物も口数の少ない朴訥な人々に見えた。それだけ役者陣の演技がよかった訳で、父親役の小林薫やばっちゃ役の木野花が上手なのは、キャリアからして当然だが、ヒロインの美也子を演じた堀田真由の津軽弁と表情が思いの外よかった。堂々たる主役ぶりだ。
 寡黙な家族とは対照的に、やたらに喋る母親はあからさまに中身が空っぽに見えたから、「沈黙は金」という諺はその通りだなと思ったりもした。片岡礼子も上手い。
 
 印象的だったのは、漆塗りの名人のおじいちゃんの「漆は、やればやるほど面白い」という台詞だ。職人の世界の奥深さを端的に表現した名言である。美也子はその世界に足を踏み込んだばかり。探検はこれからだ。
 SNSの時代らしい展開が最後に待っている。世界は縦にも横にも広がっているのだ。人生は出会いと別れ、幸せと不幸せのまだら模様だ。美也子にも波乱万丈、紆余曲折の人生が待ち構えているだろうが、津軽塗と津軽弁を両方とも貫いてほしいと願わせるものがある。ほのぼのとした良作である。

映画「スイート・マイホーム」

2023年09月07日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「スイート・マイホーム」を観た。
映画『スイート・マイホーム』 | 絶賛公開中!

映画『スイート・マイホーム』 | 絶賛公開中!

小説現代新人賞受賞の注目作家・神津凛子のデビュー作『スイート・マイホーム』が遂に実写映画化。監督 齊藤工×主演 窪田正孝が描く幸せな家族を襲う「家」を取り巻く恐怖の...

映画『スイート・マイホーム』 | 絶賛公開中!

 ホラー映画である。しかし少し動機が弱い。序盤を観たら、大体その後の展開が予想できる作品で、予想通りに進むのだが、動機が弱いからあまり怖くない。むしろミステリーとして鑑賞すると、よくまとまっているし、終わり方もなかなかいい。原作は未読だが、本作品を観る限り、原作もしっかりまとまっているのだろうと思える。
 ジャンプスケア(大きな音や衝撃的な映像)をほとんど使っていないのは好感が持てる。本作品のいいところは、出演者の態度や表情で怖さを醸し出しているところだと思う。同じ斎藤工監督の2017年の映画「blank 13」の演出に似ているところがある。誰もが小さな幸せに縋りつくようにして不幸な人生を生きるのだ。
 その演出に応えた役者陣は、いずれもよかった。特にほぼ出ずっぱりの窪田正孝は、鍛え上げられた肉体で、役柄は全く異なるが、昨年の映画「ある男」と同じくらいの冴えた演技だったと思う。松角洋平が演じた甘利の気持ち悪い役柄が途中まで観客をミスリードするのも洒落ている。同じ苗字の政治家はもっと気持ち悪い。
 ミステリーとしてはかなり不気味で、それなりに面白かった。

映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん」

2023年09月07日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん」を観た。

 リバイバル上映を鑑賞した。上映後のトークタイムに島田陽磨監督と、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが登壇。TBSのサンデーモーニングのコメンテーターとして時々テレビでも見かけるが、この人が間違ったことを言うのを聞いたことがない。テレビでは冷静に発言しているが、人権侵害や差別に対する怒りを抑えているのがありありと分かる。
 しかし聴衆相手に話すときは、テレビと違って気持ちに余裕があるようで、ときどき笑顔を浮かべながら、分析と批判を上手に語る。頭がよくて早口だから、耳をそばだてて聞いていないと、話が印象に残らないところがある。そこが玉に瑕だと思っていたが、こちらの理解力が追いついていないだけなのかもしれない。

 島田監督と安田さんの話は、概ね次のようだった。1959年に北朝鮮への帰還事業が始まった当時は、李承晩による軍事独裁政権だった韓国よりも、北朝鮮のほうが景気がよかった。日本政府は、在日朝鮮人に支給する生活保護費や環境整備費などを節約するために、北朝鮮に帰れば幸せに暮らせると喧伝し、3~4年もすれば日本に戻ってこれると口約束までして、多くの在日朝鮮人を新潟発の船で北朝鮮に送った。帰還といっても、実際の在日朝鮮人の99%は南朝鮮出身者だったから、北朝鮮に行っても何もあてがなかったのである。日本政府は今も昔も無責任だ。

 安田さんは、そんな日本政府の政権を握る政治家たちが、嘘を吐いても約束を破っても、何をしても選挙に当選しつづけている現状を嘆く。しかし決して悲観はしていないようだ。当方なら日本はもうおしまいだと思ってしまうが、安田さんは人類に希望を持っている。中学生のときに自分が在日韓国人だと知ったときから、アイデンティティを求めて必然的にフォトジャーナリストになり、世界中の悲惨な状況を見てきたからこそ、逆に希望が持てるのだろうか。