草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「日本死ね!」という言葉を吐くべきではない!

2016年03月20日 | マスコミ評

日本が北朝鮮の核ミサイルの脅威にさらされ、中共による侵略の危機に直面している。そこから目をそむけさせるかのように、マスコミと民主、共産の野党が組んで嫌らしいネガティブキャンペーンが行われている▼「保育所落ちた日本死ね!」という匿名のブログに共感の輪が広がっている、との報道が連日行われている。ネットでは逆に民主党政権の事業仕分けで、そのための予算が削られたことが話題になった。国会に押し掛けて女性たちが、プロ市民活動家であることも暴露された。テレビや新聞ではそのことがまったく取り上げられていない。「死ね!」ということがヘイトスピーチにあたるにもかかわらず、それについてもまったく触れていない▼行動する保守運動よりも逆にサヨクの方や言いたい放題なのである。日本や日本人は「死ね!」と罵倒されても、黙っていなくてはならないのだろうか。「死ね!」というのは、自分が勝手にすることだから、危害を加えるわけではない、と逃げるのだろうか▼学校の苛めの現場では、その言葉が深刻な事態を引き起こしてきた。日本のマスコミや民主、共産などの野党の嫌らしさは異常である。安保法案や放送法をめぐっても一緒である。。特定の国の代弁者となって、日本を悪者にしようとしているのだ。そんなことが許されていいわけがない。いつかは日本国民の敵として断罪されるだろう。日本を貶めることに快感を覚える者たちは、断固排除しなくてはならない。

 

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大統領選挙でのトランプ旋風は近代民主主義の終末を意味する!

2016年03月20日 | 思想家

アメリカの大統領選挙の混乱ぶりを見ても、近代民主主義が終末を迎えているのではないだろうか。トランプにしてもクリントンにしても、国際社会に背を向ける孤立主義的な傾向があり、日本にとっても重大な試練のときを迎えようとしている▼アメリカの占領軍によって押し付けられた日本国憲法前文では、欧米流の近代民主主義が絶対であるかのように記述されている。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである」▼これに対して真っ向から噛みついたのが保守民族派の葦津珍彦であった。欧米流の近代民主主義は「けっして人類普遍の原理ではなく、特定の歴史的文化的条件と特定の歴史的社会的条件のもとで作用し得るに過ぎない。したがってこれを人類普遍の原理として強制移入した現在の日本の憲法体制は成功しない、というのが私の結論である」(『近代民主主義の終末』)と書いたのである▼葦津にとっては人民のための政治であることが大事であり、民衆の支配による民主主義とは次元を異にする。アメリカの独立宣言文では造物主によって造られた人間だけが平等権を有しており、あくまでもベースにはキリスト教がある。今のアメリカはその宗教的な基盤も失いかけている。だからこそ衆愚政治の様相を呈しているのである。徳を重視する日本においては、独自の民主主義があってよいし、思想風土の違いからもそれは容認されるべきなのである。

 

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