草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

いかに民主国家であろうとも無差別テロには身構えるべきだ!

2016年03月23日 | 思想家

パリに続いて今度はベルギーのブリュッセルで昨日朝、イスラム国による無差別テロが行われ、少なくとも34人が死亡した。一握りのテロリストであっても、その衝撃度は計り知れないものがある。我が国にとっても対岸の火事ではない。今の日本国憲法は非常事態を想定しておらず、テロに対してどのように身構えるかは喫緊の課題である▼高山岩男は民主政治の国家が緊急存亡に直面した場合には、民主的な方法を一時断念することの必要性を主張していた。多数の人間が共同の行動を取るには、命令系統をはっきりさせるためにも、指揮者を明確にすることが求められるからだ。一刻を争うような非常事態にはそれが重要なのである。高山は「人間がその知恵を絞って編み出した『臨時的』の命令服従という根源形態に立返って考えるとき、この自由人が自分の自由をば自由意志から一時放擲し、もって非常緊急を克服して原状に復するという『否定の否定』は、自由の最高形態の一種として、人間が社会生活を永続させるため創造した政治的傑作だと考えるのである」(『教育哲学』)と書いた▼マキャヴェリも「危機のとき独裁に頼り得ない国民は、重大な時局に直面するや、たいてい滅び去る」(『ローマ史論』)と断言しており、平和を守るためには平和を破壊する勢力と戦わなくてはならない。全体主義的独裁との違いは、あくまでも暫定的であることだ。いかに民主国家であっても、テロや侵略には国家として身構えなくてはならないのである。

 

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