令和の御代になったのを受けて、私たちは心を一つにして、大和島根を守り抜かなくてはならない。万葉集の「巻十八」では、陸奥の国で金が出たことを受け、大伴家持は「皇祖の御霊助けて、遠き世にかゝりしことを、我が御代に顕してあれば、食す国は栄えむもの」と述べた。皇祖皇宗の御尽力であることを強調し、全ての人々が、それぞれの職分を果すことの大切さを説き、そこで武人としての大伴一族の由来を語ったのである▼「大伴の遠つ神祖の其名をば、大来目主と負ひ持ちて、仕へし官、海行かば水漬く屍。山行かば苔生す屍。大君の辺にこそ死なめ。顧みはせじ」。天皇陛下は皇祖皇宗と一体であられるのであり、大伴が武人であるのは、遠つ祖からである。その評判を絶やさないように、大君に仕えるのである。あえて大伴一族にこだわったのは、藤原氏の専横が許せなかったからといわれる▼保田與重郎は家持の志を評価した。「藤原氏はまづ長屋王の獄によって、以後諸王の権力を抑え、以後数度の大獄に、大伴の一族やその他の旧貴族を倒そうとした。そういう状態から生まれた家持の万葉集に於て、我々は家持が人間の生き方の葛藤場裡をゆきつゝ、よく大君への思いを歌いあげ、人麻呂のあとをうけてその心を人の世の志で描き出し、それを純化して神の体系とし、人間の生命の原理にまで構想した事実と思想を知るのである」(『万葉集の精神』)。今の日本が危機であればあるほど、家持と同じ志が求められるのである。
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