新天皇の御即位をお祝いする国民の歓迎ムードは、マスコミが大騒ぎしたからではなく、あくまでも自然発生的なものである。保守派の論客であった竹山道雄は、昭和38年の『新潮』4月号に掲載した「天皇制について」という一文で、天皇陛下をお慕いする日本の国民性を、民俗学や文化人類学的な観点から深く掘り下げた▼「国民的性格で変わる部分もたしかにある。これは意識の表面に近いほど歴史の動きと共に変わってゆくが、深層にあって集合的無意識的であるものほど変りにくい。そして天皇制は日本国民のよほど深い底の層に根をおろしているもののように思える」。竹山は一人種・一国語・一歴史・一習慣が培った精神的な権威であると位置付け、天皇は「神主の本家のようなものだった」ことを力説した。明治になって軍服を着て国民の前にお立ちになられたのは、例外中の例外であったというのだ▼マスコミは開かれた皇室を喧伝するだけで、天皇制にかかわる本質的な議論を避けている。竹山の結論は天皇制を守り育てていくことであった。「われわれ日本人は同質の国民で、ここにせっかく長い歴史によって成立した統一と結合の中心(天皇)があり、人々がむりなく自然の信頼をよせているのだから、これをよく生かすようにしたいものである」。天皇陛下がおられるからこそ、日本国民はまとまることができるのだ。それを否定することは、日本人の一体感が失われることなのである。
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