草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本の左翼とリベラルは科学とは無縁なカルト信者だ!

2019年05月10日 | 思想家

シーラカンスのようなイデオロギーが未だに力を持っているのは、科学とは無縁な信仰であるからだろう。その典型が特定アジアへの日本の左翼やリベラルの媚びへつらいである。今もなおその前提になっているのは、中共や北朝鮮が民衆に支持されているという幻想である▼団塊の世代などは、70歳を過ぎようとしているにもかかわらず、そこから一歩も抜け出せないでいる。中共によるウイグルやチベットでの民族殺戮、北朝鮮の核武装について、面と向かって批判することができないのは、カルト信者特有の思い込みがあるからだろう。労働者の権力を口にしながらも、両国とも一党独裁の全体主義国家なのである▼エイモント・バドラーの『ハイエク自由のラディカリズムと現代』(鹿島信吾・清水元訳)で、カール・ポッパーの「科学的方法の本質的同一性を主張する信頼すべき理論」に関して、分かりやすく解説していた。「すべての科学は予測と検証の過程である。予測と検証の過程とはつまり、仮設として提出された理論が精密に検討され、足りない点が発見されれば退けられる、ということをさす」▼社会科学が科学として成立するかどうかは、それを踏まえているかどうかなのである。マルクス主義はキリスト教の終末論に根ざした信仰でしかなく、それを日本共産党が「科学的社会主義」と名付けるのは、あまりにもおこがましいことなのである。

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