なぜ日本維新の会が駄目かというと、グローバリズムを礼賛し、軸足を上級国民の側に置いているからだ。橋下徹の勝ち誇ったような言動が、それを象徴している。エリック・ホッファーの『大衆運動』(高根正昭訳)を読めば分かるように、世の中を変革するのは「捨てられた人」「拒絶された人」なのである。勝ち組の堺屋太一あたりの主張に与するようでは、下級国民の心をつかむことなどできないのである▼ホッファーは注目したのは負け組の力であった。「建築者に取り除かれた石が、新しい世界の礎石になるのである。社会の屑も反抗者もいない国家は、きちんとし、上品で、平和で、心地よいかもしれないが、おそらくうちに将来の種をもっていないであろう。ヨーロッパの国々において望まれなかった人びとが、アメリカ大陸に新世界を築くため、実に太平洋を渡ったということは歴史の皮肉ではなかった。彼らだけがその大事業をなしとげることができたのである」▼見捨てられた者たちが立ち上がれば、山が動くのである。もはや日本の左翼は、特定アジアの代弁者に成り果てており、かつてのような勢いは見られない。そこで登場したのが行動する保守運動である。彼らはエリートに挑戦状を叩きつけている。学歴や経歴を誇ることもしない。これまでタブー視されてきた在日や創価学会への批判を、公然と行っている。彼らを左右のイデオロギーで括るのは間違っている。今怒れる大衆のエネルギーは爆発寸前であり、その先頭に立つのは、日本維新の会ではなく、行動する保守運動なのである。
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