草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

世の中を変えるのは上級国民に軸足を置く維新ではない!

2019年05月24日 | 祖国日本を救う運動

なぜ日本維新の会が駄目かというと、グローバリズムを礼賛し、軸足を上級国民の側に置いているからだ。橋下徹の勝ち誇ったような言動が、それを象徴している。エリック・ホッファーの『大衆運動』(高根正昭訳)を読めば分かるように、世の中を変革するのは「捨てられた人」「拒絶された人」なのである。勝ち組の堺屋太一あたりの主張に与するようでは、下級国民の心をつかむことなどできないのである▼ホッファーは注目したのは負け組の力であった。「建築者に取り除かれた石が、新しい世界の礎石になるのである。社会の屑も反抗者もいない国家は、きちんとし、上品で、平和で、心地よいかもしれないが、おそらくうちに将来の種をもっていないであろう。ヨーロッパの国々において望まれなかった人びとが、アメリカ大陸に新世界を築くため、実に太平洋を渡ったということは歴史の皮肉ではなかった。彼らだけがその大事業をなしとげることができたのである」▼見捨てられた者たちが立ち上がれば、山が動くのである。もはや日本の左翼は、特定アジアの代弁者に成り果てており、かつてのような勢いは見られない。そこで登場したのが行動する保守運動である。彼らはエリートに挑戦状を叩きつけている。学歴や経歴を誇ることもしない。これまでタブー視されてきた在日や創価学会への批判を、公然と行っている。彼らを左右のイデオロギーで括るのは間違っている。今怒れる大衆のエネルギーは爆発寸前であり、その先頭に立つのは、日本維新の会ではなく、行動する保守運動なのである。

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押し付け認めながら護憲に固執する「天声人語」を嗤う!

2019年05月24日 | マスコミ評

ようやく朝日新聞も今の憲法が押し付けられたことを認めた。去る22日付の「加藤典洋さんを悼む」の「天声人語」の書き出しは、占領下の日本を取材した米国記者が書いた『ニッポン日記』からの引用であった。連合国総司令部が付け焼刃でつくった憲法草案を日本側の閣僚に渡した。嫌なら再度の原爆投下をありうることを遠回しに述べたという逸話である。白州次郎も自らの著書で触れており、日本にとっては、忘れることができない屈辱的なシーンである▼加藤という思想家は、戦後民主主義に諸手を挙げて賛同したのではなく、アメリカの影を見たのだった。日本人の手になる戦争の総括にこだわったのも、そこから抜け出す手立てを模索したからである。だからこそ、事実を事実として直視したのだ。「天声人語」はそうではない。いくら押し付けられた憲法であっても、それを神聖化する側の立場なのである▼主権が回復していない占領下で、他国が憲法の草案を示し、武力でもって脅すというのは、国際法の観点からも許されることではない。憲法というのは日本という国家の伝統や歴史を無視してはあり得ない。また、刻々と変化する国際情勢に見合ったものでなくてはならない。護憲にこだわり続ける朝日新聞は、そんなことはどうでもいいのである。改憲の流れを阻止するのが社是であり、特定アジアの代弁者なのである。

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