靖国神社近くの路上で昨日自決された沼山光洋氏とは、お会いしたこともなければ、その名前さえも存じ上げなかった。令和の御代になっても、押し付け憲法を改正できず、日本の国柄を取り戻せない現状を憂いて、自らの命を捧げたのではないかと思う。ご冥福をお祈りしたい▼靖国会の事務局長をされたということで、そのホームページを読ませてもらうと「靖国神社国家護持・国家祭祀」「天皇陛下御親拝」「自主憲法制定、主権在君、天皇陛下国家元首」「極東軍事裁判の否定および所謂『戦犯』と汚名を着せられた忠霊の名誉回復」「真の主権回復」というスローガンが並んでいた▼沼山氏の死について、田母神俊雄氏は「彼は日本国民の愛国心が足りなくて天皇陛下の靖国御親拝の環境が整わないことは天皇陛下に申し訳ないといつも言っていた。彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。立派な侍だった」とツィートしている▼靖国神社の敷地内でなく道路で、しかも人目に付きにくい時間帯を選んだのは、日本民族の危機を憂いて、昭和44年2月11日に国会議事堂前で焼身自殺をした江藤小三郎と同じであった。三島由紀夫は江藤の死を「一人の青年がテレビの前でもなく、観客の前でもなく、暗い工事場の陰で焼身自殺した。そこには、実に厳粛なファクトがあり、責任があつた」と評価し、自らも昭和45年11月25日の義挙に及んだのだ。江藤の「神命により不生不滅の生を得む」とした「覚醒書」の精神は、今でもなお日本人の心に息づいているのである。
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