越後平野を背にして会津に向かう峠道に見返り橋があります。今は新しい橋になっていますが、会津に新天地を求めたり、さらには遠い江戸に向かう旅人は、そこで故郷への未練を捨てたのでしょう。色々なことを想像してしまいます。冬に入りしぐれが降るようになると、なおさら切なさがこみあげてなりません。
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越後平野を背にして会津に向かう峠道に見返り橋があります。今は新しい橋になっていますが、会津に新天地を求めたり、さらには遠い江戸に向かう旅人は、そこで故郷への未練を捨てたのでしょう。色々なことを想像してしまいます。冬に入りしぐれが降るようになると、なおさら切なさがこみあげてなりません。
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今ほど楯の会の三島森田の義挙が見直されるべきときはない。憲法改正を実現するためには、現在の危機を逆に利用しなくてはならないからだ。三島由紀夫は「楯の会会員たりし諸君へ」との遺書のなかで「日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ」と訴えた。その文面は同志たる者にあてたものであるが、内容からしても共に立ち上がることを望んだ自衛隊への、切ない思いがこめられている気がしてならない。三島森田が自刃したのは昭和45年であった。敗戦から四半世紀しか経過しておらず、戦争に動員された若者たちも健在であった。大東亜戦争は昨日の出来事であった。遺族会や軍恩は全国的な組織を維持していた。クーデターは夢物語ではなかったのである。しかし、三島の市ヶ谷のバルコニーでの演説は、自衛隊員の怒号で打ち消されたのである。三島は今日の日本を予言していた。憲法改正は実現しておらず、国民世論は未だに目覚めていない。決定的な危機が訪れるようなことがあれば、三島が望んだように自衛隊による超法規的な行動もやむを得ないのである。「国家緊急権」の発動である。尾高朝雄も『法の究極にあるもの』において「法は適法の仕方によって作り出されるのを原則とはするが、適法ならざる仕方によって法が作られる場合も必ずしも稀ではない。適法でない仕方で作り出された方も、それが法としての効力を発揮するにいたれば、やはり法たることに変わりはないのである」と書いている。政治が無力化し、混乱の収拾がつかなくなれば、自衛隊は国民の楯とならなければならないのである。その勇気自衛隊になければ、日本は悲劇のどん底に突き落とされることになるだろう。
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改憲のゴールのために小異捨て
大阪の橋下節も使いよう
シールズが出てきただけで負け戦
自民党大阪だけは鯛ならず
国壊す共産だけは願い下げ
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アメリカも内心は気付いているはずだ。日本を駄目にしたのは自分たちであったことを。同盟国であるアメリカに今さら謝罪せよとはいわない。しかし、占領軍としてやったことを反省すベきだろう。佐伯啓思の『国家についての考察』では大橋渉の日記が紹介されている。大宅壮一の息子であった彼は、東京裁判を厳しく糾弾した。16歳だったにもかかわらず、ことの本質を見抜いていたのである。「我々人類の国家は、まだ、他の国家を裁くほど成長していないのである。我々の国家はまだゴロツキの集まりなのである。喧嘩は、鼻クソ半分である。ゴロツキの喧嘩において、誰が『おまえとこれから喧嘩するぞ、用心しておけ』といってなぐりつける奴があるだろう。‥‥一番不愉快なことは、ゴロツキのくせに、上品ぶって自己を正当化しようとすることである。ゴロツキの喧嘩は勝ちさえすればよいのである」(『詩と反逆と死』)。佐伯は「戦後の民主主義を立ち上げるためには、大宅少年のような認識は、いわば日記の中にそっとしまわれねばならなかったのである」とコメントしている。A級戦犯7人が絞首刑になったが、ようやく最近になってその裁判を疑問視する意見が大勢を占めつつある。戦後の日本においてはそれを論じることがタブーとされてきた。「大東亜戦争」が「太平洋戦争」と呼ばれるようになったのも、GHQの民間情報教育局によってであり、アメリカの歴史観が日本人に刷り込まれたのである。日本は腑抜けにされてしまい、国家は否定されてしまった。そこから抜け出すためには、日本が自信を取り戻すためには、東京裁判の見直しが必要になってくる。あくまでも「大東亜戦争」は追い詰められた戦争であった。そこで散華した者たちは無駄死にではなかったのである。
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南会津町田島の荒海川の磐根橋を渡って小塩に出ると、集落から少し離れた所に「御蔵入三十三所二十番観世音岩戸堂」の石の標柱があり、「めぐり来て 天の岩戸を開くなる 法の力で 後の世までも」の御詠歌が刻まれています。急斜面を登らなくてはならないので、今回はあきらめましたが、観音像が祀ってある岩窟のあたりを写真に撮ることができました。
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韓国の元大統領の金泳三が死去した。民主化の立役者のようにマスコミは書きたてているが、何のことはない金大中と一緒で、北朝鮮への融和政策をとって今日の韓国にしてしまったのである。民主化というよりも北朝鮮化というべきだろう。かつては反共の防波堤として日本も積極的にバックアップしたが、もはや敵対国のような関係になってしまった。国家としてのまとまりを保つために、韓国は日本を敵とするようになったのである。もはや中共の属国でしかなく、日本やアメリカとの関係は冷却している。今では考えられないことだが、戦後の長きにわたって韓国は、日教組や日本の新聞にとっての目の敵であった。山本夏彦も『世は〆切』で「日教組は反米で親ソである。あるいは親中国で親北朝鮮である。ついこの間まで韓国を米国の軍事傀儡政権だとみて、国家として認めなかったほどである」「新聞の本心は社会党や共産党と共に韓国を認めていなかったのである」と書いている。1993年に執筆されたコラムの文章であり、韓国が北朝鮮化したのである。それで国家として評価するようになったのである。しかし、それは日本にとってはマイナスであった。味方が味方ではなくなったからだ。韓国が変質してしまったわけだから、これに対して日本で警戒心が高まるのは当然だ。日本が世界から孤立するようにキャンペーンを繰り広げるにいたっては、まさしく常軌を逸している。日本でも韓国に敵愾心を抱く人たちが出てくるのは、あくまでもその反動なのである。金泳三を評価するのは勝手ではあるが、それによって日本バッシングが酷くなり、最終的には民主主義が根付かなかったことも伝えるべきだろう。
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日本の政界は混迷を極めている。安倍首相が頑張っていなければ、もっと大変なことになっていただろう。自民党のなかにも安全保障に無知な国会議員がいるし、民主党にいたっては共産党を白アリと批判する保守派の分が悪い。共産党や社民党は西欧の民主社会主義とは無縁なシーラカンスである。維新の党は第二民主党であり、おおさか維新は方向が定まっていない。次世代の党は保守の正統派であっても国民の支持を得てはいない。消去法で自民党ということになるが、安倍首相はいなければ右往左往する政治に逆戻りしてしまうだろう。今やるべきは、憲法改正である。敗戦によって私たち日本人は、かけがえのない過去を否定された。それを取り戻さなくては、自分たちの精神的な基盤を回復できないのである。政治は生きている者だけではなく、死者の声も聞かなくてならない。我が国の歴史や伝統を無視しては、日本という国家は成立しないのである。戦後の日本は占領軍の手になる憲法をありがたく押し戴いてきた。ようやく最近になってその弊害が指摘され、自民党も憲法改正に向けて一歩踏み出したのである。国民的レベルでも、それに呼応する動きは顕在化している。日本の政党が党利党略に明け暮れているときではないのである。危機に対処するには一つの旗の下に結集しなくてはならない。今日本人に求められているのは、過去から引き継いだ何を守り抜くかなのである。
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会津若松市の東山温泉の売りは芸者衆です。白虎隊の踊りは定番です。芸を披露したあとに熱燗を徳利でお酌して回りますが、そこに添えられた雪国の女性ならではの白い手が、ひとしお旅情をそそるはずです。
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日本のマスコミのなかでも、報道ステーションとサンデーモーニングは最悪である。情報弱者と呼ばれるテレビしか見ない人たちは、その偏向報道を真に受けて、テロリストとまともな交渉が可能と考えている。お花畑の議論でしかないのに、限られた情報にしか接しなければ、ついつい影響を受けるのである。そして、何かすると「暴力の連鎖を断ち切らなければ」との決まり文句が出てくる。しかし、テロリストは多くの人々に恐怖を与えることで、自分たちの政治的目的を達成しようとしているのであり、それを撥ねつける勇気こそが求められるのである。狂暴な者たちにいくら懇願しても、テロを防止することは難しい。それよりは身構えた方が効果的なのである。当面は深刻なリアクションがあるとしても、テロリストを一掃する戦いを止めてはならないのである。暴力におびえていては、民主主義は根底から揺らいでしまう。「世界の諸国民の公正と信義」に信頼して、日本が反撃できない国のままであれば、国民も平和を維持できると思っているのは、あまりにも思慮深さに欠ける。共産党や民主党など野党五党は、そうした現実を無視して、安保法案阻止を共通の政治的なスローガンにしている。報道ステーションやはサンデーモーニングのキャスターやコメンテーターと同類なのだろう。平和の安全を守るには、それ相応の覚悟は必要なことにどうして気付かないのだろう。脆弱であれば脆弱であるほどテロの対象になるのに。
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