もう三が日も終わり地震の記事も書きたくないのだが、正月早々の地震、航空機事故と続いていて、なかなか楽しい記事を書く気にはなれない。
昨年末には、真っ先に駅伝記事三連発を考えていたが、落ち着いてテレビを見ているどころではなくなった。
気分的には昨日から楽になったが、電波障害でたまっていた連絡網の対応に追われたり、年賀状書き第二弾と忙しかった。
旧宅と旧会社も被害状況を見に行ってこなければならなかったし、家の周囲すらチェックしてなかったのだ。
我が家の被害は私の部屋の中で倒れてまき散らされた様々な小物や本の片づけが出来ず、そのまま散らかっているので、それはこれから開始する。
庭や家ぐるりを見てきたら、45cm角のコンクリートブロックが一個落下、桑イチゴの木が一本根元から折れて倒れていたので、息子が切って始末した。
店へ行ってみたら、もう使っていない看板の4mほどの支柱が根元から折れて倒れていた。
旧宅は外から見た限り大丈夫だったが、今日中へ入って見てみる
おそらく30日に飾った神棚の様々が落下していると思われる。
震度5~7の石川県、富山県、新潟県の被害状況もしだいにわかって来た
震源地の能登地方は死者が70数名となり、いまだ行方不明数などもはっきりと分かっていないからまだまだ被害状況は拡大しそうだ。
こういう時、人口の少ない地方の国会議員定数を減らせと言う「一票の格差」がネックになってくる。
能登地方は東京都と変わらぬ面積なのに国会議員が一人だ、これで山間地が多い交通不便な広大な地域を一人でカバーできるだろうか。
市町村単位の行政任せが現実だ、その官民さえ被災者なのだから復興が進まないのは当然だ。
数の倫理で地方(田舎)の安心安全が切り捨てられている様がここでわかる
議員数なんかどうでもよい、それよりインフラ整備と被災者救済の公的人員をより多く、より早く奥能登に集結させるのが中央政府の責任だ。
野党だって、こんな時こそ政府の尻を叩きながら背広を脱いで先頭に立って復旧に加わるべきではないか。
それでこそ口先だけではない頼りになる野党として党勢を伸ばせるのでは?
また愚痴になってしまったが、わが町も被害が集計されてきてケガ人が数名、しかし一部損壊以上の家屋被害が200件以上だという。
また信濃川や関川(上越市)では地震の30分後くらいで40cmほど水位が増して上流に上って行ったことがわかった。
規模は小さかったが津波がたちまちやって来たことがわかった、能登の先端の震源地から富山湾沖を時速240km新幹線並みの速度で津波がやって来たという学者の話だった。
直江津海水浴場では小屋などの施設がほとんど全部流されてしまったそうだ。
富山市では1m近い津波が確認され、私が30日に行って来た海王丸パークのあたりも増水して観光に訪れていた人たちが建物の二階に避難したとか、ちらっと聞いた。
黒部の海岸部に住む義姉家族は南方の宮野山公園に避難した。
新潟県の中越、上越、富山県全域はどこも2~3km以内が丘陵地帯になっているので津波から逃げる場所は多い
速い情報さえもらえば何とか助かる可能性は高い、それに都会と違ってほとんどの家にも複数のマイカーがある
今回の地震で思ったのは、日本海でも津波が起ると言うこと、私も高波はあっても津波はないとずっと信じていた
それと日頃から非難の為の水や保存食、防寒衣類などを車にすぐ積み込んで逃げられるような準備を玄関近くに置いておく(または車に積んでおく)ことが大事だと思った