神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

続・1月の新ドラマ  つづき

2024年01月20日 20時50分25秒 | 映画/ドラマ/アニメ
 昨日記事を書いた後で、新たな新ドラマを4本見た
「婚活の1000本ノック」少し見たけど没 「めぐる未来」ちょっと薄気味悪いので没 14本にもなるとなんでもかんでも見るわけにはいかない、ちょっと辛口批評になってくる。

「グレイトギフト」〇 は「となりのナースエイド」「院内警察」に次いで今シーズン3本目の病院ドラマ。
「グレイトギフト」直訳すれば「偉大なる贈り物」だが、先週の「院内警察」で武良井のセリフ・・・「ギフト、英語なら良いが、ドイツ語じゃないのか」 ドイツ語で「ギフト」は「毒薬」なのだそうだ。
私もドラマ「グレイトギフト」は見るまで、何の贈り物かと思ったが、このドラマ、「毒薬」を表しているようだ
新種の殺人ウィルスの培養に成功した犯人が元総理大臣を、このウィルスで殺害した。
しかし死因に疑問を持った、くそ真面目で出世とは無縁の気が弱い医師藤巻(反町隆史)が死者の細胞から、このウィルスを発見する
それを病院でナンバー2の医師、白鳥(佐々木蔵之介)に相談する、白鳥は自分が病院の理事長になるため、その毒薬を理事長に飲ませて殺害した。
警察に訴え出ると言う藤巻だが、白鳥に逆に脅されて手を貸してしまう。
そんな藤巻のもとに最初のウィルス開発犯人から脅迫の手紙が届く。

「大奥」〇 唯一の時代劇ドラマ 徳川九代将軍、徳川家重が死んだ
そして息子の家治が十代将軍となる、家治は先代の老中堀田を煙たがり免職
新たに策謀家の田沼意次を老中筆頭に引き立てる。
この頃、内裏では116代桃園天皇の時代、徳川家治(亀梨和也)の正室=御台所として宮家から16歳の五十宮倫子(小芝風花)が嫁いだ。
将軍以外の男が入られない大奥に入った倫子に、大奥で権勢を誇る年寄松島が配下の女中たちを使って嫌がらせを続ける。
松島には田沼の息がかかっている、その最大の使命は倫子に世継ぎを産ませず、自分たちの息がかかった女中を家治の側室にして世継ぎを産ませることであった。
京から連れて来た供の、お品以外大奥に一人の味方もいない倫子は果たして大奥で生きてゆけるのだろうか。

コギャル風(死語)の小芝風花とは気づかなかった、やはり役者とは偉いものだと感心した。 すっかり宮中の御姫様になりきっている。
一話、二話くらいではやられっぱなしなのだろうが、そのうち小芝流のぶち切れ御台所に変身して、松平定信とタッグで、田沼・松島組をやっつけるんだろう。
いやあ~~、小芝風花には脱帽しました、これまでは以前の役柄を見て良い印象が無かったが、「大奥」では最初からその魅力にとらわれてしまった。
退屈なドラマと見る前から決めつけて没にしようと身構えていたが、引き込まれてしまった。


 いよいよ新ドラマが続々と始まって来た。
①「新空港占拠」〇刑事、武蔵(櫻井翔)1年前の大病院占拠から1年、再び「神奈川新空港」で「獣」という仮面集団が占拠、目的は何か。
武蔵と姉の二葉(奥貫薫)は拉致されて空港の中に連れていかれる
「獣」たちは警察を翻弄するため仲間2人を爆殺した。
「獣」の一人は、元同僚の駿河(宮本茉由)だった、なぜ?
武蔵の妻、医師の裕子(比嘉愛未)にも魔の手は迫っていく。

②「春になったら」◎ 販売営業の椎名雅彦(木梨憲武)は膵臓がんで余命3か月を宣告されるが、手術も治療も受けずに家にいて余命を楽しもうと決めた。
妻は既に亡く、娘の瞳(奈緒)と二人暮らし
奈緒は助産師の仕事をしていて、売れないお笑い芸人の川上(濱田岳)と3か月後に結婚する。
しかし雅彦は川上の経済力なしを見て、猛烈に反対、瞳も父の余命を知って動揺したが、結婚が優先だと大げんか。 さてどう展開するのか。

③「となりのナースエイド」◎ 大病院のナースエイド(患者の世話係)として赴任した桜庭澪(川栄季奈)は若手の天才医師竜崎(高杉真宙)に一目ぼれしたが、なんと竜崎はごく平凡なアパートに住んでいた、しかも澪の隣の部屋。
澪は平凡な医師が見落とした患者の重大な病気を次々と指摘して、医師から攻撃されるが、竜崎はそれを知って澪が、ただのナースエイドではないと勘ぐる。

④「院内警察」〇 川本響子(長濱ねる)は憧れの大病院の医療事務の仕事で就職した、ところが配属されたのは室長の横堀(市村正親)と、やる気がないような武良井(桐谷健太)しかいない部署だった。
ここが院内警察と呼ばれ、患者との様々なトラブルの整理が仕事、病院内ではお荷物扱いの部署と知って辞めようと思うが、武良井の本当の仕事を見て気が変わる。 武良井は訳ありの元刑事部長だった。
この病院の天才外科医、榊原俊介(瀬戸康史)の秘密と武良井との関係、謎が次々と出てくる。

⑤恋する警護24時△ 弁護士・岸村里夏(白石麻衣)は逆恨みの恐れから事務所がボディガードを依頼、ボディガード北沢(岩本照)が派遣された。
あまりにも無表情不愛想で印象が悪く、仕事にも触ると契約解除を申し出るが、命の危機を救われて契約は継続、しかも24時間べったりの警護となって、里夏はパニック。 元警官だった北沢は殺された父親の事件には裏があるという疑念を持っている。

⑥さよならマエストロ◎ 市の財政難で営業赤字の市民オーケストラの解散が議会で決定された。
世界的な実績を持つマエストロ夏目(西島秀俊)はフランスにいたが指揮者を引退していた、日本にいる妻の志帆からパリで仕事があるから後退して日本に来るよう言われて帰国する
家事をするように言われていたが、息子と娘からはまったく当てにされず、特に市役所職員になった娘は昔の何かがあって反抗的であった。
音楽から離れた夏目であったが、市民オーケストラの救世主として指揮を頼まれる、解散が決まったオーケストラに夏目は貢献できるのだろうか?
娘との関係は? 妻の行動に?が

この後も「婚活1000本ノック」× 「グレイトギフト」「大奥」「めぐる未来」
そして先日紹介した「きみが心をくれたから△」「光る君へ◎」「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか◎」「ブギウギ◎」
 これで14本 ほかにもまだ始まりそうだから6本以上は整理しないと見きれない。



じいさんAの遺品

2024年01月20日 08時19分50秒 | 時代検証
今は令和6年1月20日土曜、午前8時14分
起きたら暖房のない室温は9度、そのまま一階の台所へ行ったが「ひんやり」するが寒くはない。
そのまま、畑になっている庭に出た、ここにももう雪は無い
パジャマのままでも寒さは感じない
12月に2日間雪が続いて40cmほどの積雪になって以来、大雪と言う雪は降らず
積雪も多い時で数センチだ、そしてもう1月も10日を残すだけになった

安心はしていられない、本格的な冬はこれからだ
たいがい2月5日頃から2月いっぱいが大雪になる例が多い、それでもあと40日もたてば(寒い)春がやってくる。


 1995年の日記を転記していたら、じいさんの逸話が出て来た
また繰り返しになるが、私の爺さんは二人いる、爺さんAはばあさんの家に婿に入って、父を作って間もなく離婚して戸籍上他人になった爺さん。
いま私が住んでいる町で、新しい家族と暮らして87歳まで生きた。

もう一人は爺さんB、ばあさんが離婚して7~8年後に婆さんと結婚した東京の自称「株のブローカー」その実態は今も不明、ばあさんと東京大空襲で死んだ。50歳だった。

今日書くのは爺さんAのこと、大した話ではない、私が生まれる45年以上も前に父と他人になってしまった爺さんだから、私もよくわからない。
そんなじいさんAの一面を見た話し。

子だくさんの貧しい家の次男坊として生まれた、1899年生まれ
茨城県で離婚してから東京に出て、そこで山形市生まれの教会のシスターと再婚、空襲が激しくなり食うに食われなくなって家族三人で故郷の北陸に帰って来た。
終戦後は「クズい~ お払い」の今でいう個人の廃品回収業、リヤカー1台で町を歩くが食うにギリギリの生活、家も本家の塩炊き小屋を借りて住んでいたらしい。
それから3年後に、東京で家族ゼロになった23歳の父も、この町に食と職を求めてやって来たが、爺さんは全く頼りにならず、父は独立独歩で魚の行商を始めた。
爺さんとは違い、父は仕事一筋の男だったから2年後に私が生まれることになると100%借金だが小さな平屋を建てた。 25歳の時だった。
それから7年後には別の場所で二階建ての魚屋店舗兼住宅を建てた、その時には私の妹、弟も生まれていた。 父は32歳だった。

どちらの家の時か忘れたが、家を建てるための資金を高利貸しから借りた
高利貸しというのは女高利貸し、永山ヒデ(仮名)
父より5歳くらい年上で、デップらと太った獅子鼻の男勝りで気が強い女
若いころ看護婦として東京の巣鴨の病院で働き、巣鴨プリズンで戦犯として収容されていた東条英機を見たと言うのが彼女の自慢だった。

金もなく力もない父だったが、戦後の上野、新宿の闇市で営業をしていただけに男前で気っ風がよく、若いのに負けん気で物おじしない挑戦的な姿にヒデは惚れて、「おれから金を借りれば利息が高いぞ、おじさん(ヒテの亭主、代書業)から借りれば利息はつかんぞ、聞いてみろ」すでに亭主には手をまわしてあるヒデだったから、すんなり貸してもらえた。
父はヒデさんを「ねえさん」と呼んで慕った、ヒデさんも「おまえ」と呼んで可愛がった。
私が40代まで付き合いはずっと続き、子供が居なかったヒデさんは私を下の名前で呼んで可愛がってくれた、私も「おばさん」と呼んでいた。

その頃の話だが、ヒデさんの土地を借りて店の案内看板を建てさせてほしいとお願いに行ったが話はすんなりと決まった
高利貸しだけに金に関してはシビアな人だった。
「お茶飲んでけ、yottinもっと頻繁にここへ立寄ってくれ、おれも一人で寂しいんだから、それと来るときにはゲサン(燗をつけた酒で飲まずに残った酒) も持ってきてくれ」
もう遥か昔に稼ぎが無い夫を追い出して一人暮らしになっていたヒデおばさんは、この頃70代半ばくらいになっていたが相変わらず太ったままだった。
このとき、おばさんが話してくれたのは意外にも、爺さんAの若いころの話だった。

祖父Aは、私の婆さんと別れた後、しばらくたって故郷に帰ってきていた、まだ20代後半だった。
そしてヒデさんの兄が経営していた工場で働いていた。
この頃、ヒデさんは高等小学校を卒業して隣町の看護婦養成学校の受験をすることになった、それには履歴書が必要であった。
ところがヒデさんや、その兄さんの周りにはまともに履歴書を書ける人間が居なかった。
何しろ田舎町故、地元の就職はみなコネ、人脈で決まるから履歴書など必要なかったのだ。
兄さん社長は自分の工場の職人の中に本をよく読むのが居たので、こいつなら書けるのではと聞いてみたら「書けます」という
それで喜んで任せたら書いて持ってきた、それを看護養成学校へ送ったらすぐに返却されてきた。
申請人の所に、ヒデさんの家族や親戚の名前を書き並べてあったので、「申請人は誰ですか」という具合だった。
社長は困って考えたら、爺さんを思い出した、爺さんはここに就職したものの、仕事がしたくない日は出てこないという調子だったので、社長も忘れるほどだった、それでも締め切りは迫るし、文句も言わず「あれは親戚うちでも物知りだと評判らしい、すぐに呼んでこい」と使いをやった。
爺さんがやってきて返却された履歴書を見ると「カラカラ」と笑って、小さくなっている工員を横目に「これではだめだ、通るわけがない」と言って、すぐに新しく書いた、それを送ると受理されて、ヒデさんは晴れて入学となった。

社長は感激して本採用にしようと思ったが、いかんせん3日働けば10日休むといった調子だから呆れてしまい、首にせざるを得ないと思ったが、それ以前に本人が辞めてしまった。
「あれで仕事が好きなら、この町に置いておくのは惜しいほどの人物になっただろうに」と社長がヒデさんに言ったそうだ。
爺さんは閑であろうと、なかろうとしょっちゅう本を読んでいたそうだ、本家も親戚も「本家が豊かであれば学問をさせて、学者になったかもしれんのにのう、惜しいことだ」と、ことあるごとに言っていたという。

結局、爺さんは一生この調子で87年の人生を終えた、その心の内を書いた色紙を5年ほど前に父の遺品整理をしていて見つけた。
初めて爺さんの本音を知った思いだ。 実父のこれを見て一生働きづくめだった父はどう思っただろうか?想像はつく。

48年前、77歳のときに書いたものである、「成城」とは終戦まで東京の成城で借家住まいしていたので、それを号にしていた。