里山の秋 2022年11月01日 07時25分58秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚 町から20kmほど山間部に入った標高400mの村へ行って見た地滑りで2年ほど交通止めになっていたが、ようやく一部片側通行で行けるようになった2集落で30軒ほどあるが廃屋が多い、冬になると大雪になるので(昔、積雪8mで孤立したこともある)冬は1~2軒だけが越冬しているようだ今はまだここで数軒が暮らしているような様子だった、この村は昭和20年代に父が魚の行商をして歩いた村でお得意様も多かった今でも、それらの家の前を通ると屋号を思い出す。 #里山の秋 #廃村 « 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記4... | トップ | 空想歴史ドラマ 貧乏太閤記5... »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (atelier-kawasemi) 2022-11-01 07:38:02 おはようございます(*^-^*)今年は金沢で初の雪かき体験が出来そうです⛄ママさんダンプ?とかいうスコップと滑り止めの付いた長靴を買いました(^-^;どれだけ降るのだろうと、今から空を眺めています(=゚ω゚)ノ 返信する Unknown (injya1goo5yumi) 2022-11-01 09:37:19 翡翠さまおはようございます去年の正月は4日間、富山市のホテルで宿泊してましたけど、みぞれ雪が20cmほどあっただけでした。金沢の冬は知りませんが、身構えるほどは積もらないと思います、時折吹雪とかはあるでしょうが。除雪楽しんでください。 はるか北の新潟市も積もらない町です、積もったら足裏に意識集中して転ばないように注意してくださいね、あとは民家の屋根に50cmくらい積もったら(たぶん無い)その下は歩かない方が安心です、油断大敵。 返信する Unknown (くりまんじゅう) 2022-11-01 11:41:04 yottinさまへこれら民家に今は人が住んでいますか?こうした山間の集落に昭和20年代に お父様が魚を行商されていたのですね。夫の実家は農家ですが漁師町にあります。集落の大半は漁師で 船が港に着くと漁師の奥さんたちは 魚を入れたかごを天秤棒で担ぎ 山間部の集落に売りに行った話を聞きました。ベトナムの女性の野菜売りと同じスタイルです。漁師はほとんどの家が田畑を持たぬため 売った魚の代金を米でもらったという話も聞きました。魚は売れたが代金がコメのため帰りの荷がさらに重くなったなどの苦労話を 嫁いだ50年近く前に夫の実家で聞きました。当時の人はえらかったです。yottinさまのお父様の話から 昔聞いたなつかしい話を思い出しました。 返信する Unknown (injya1goo5yumi) 2022-11-01 13:33:51 くりまんじゅうさま軽しか通れない細い道でしたが、30年位前にバスも走るバイパスができました、その頃から村民は麓の地区にどんどん移住していきました。今も健在の家の何軒かは、春から秋にかけて田畑作りで何日か住んでいるようです、冬は今ではとても住めないので、完全な越冬支度をした家だけが2軒ほどいるようです。父は23歳で東京から単身この田舎町にきて食うに困り、10年間ほど魚の行商ををしました、標高20mほどの集落まで自転車で8kmほどそこからは徒歩で10km標高400mの集落まで雪のある時期でも行きました、おっしゃる通り昔の人は辛抱強かったですね。途中に3つ集落があり祭りなどにぎやかにやっていましたが、今は全部廃村です魚を米に代えて町で売って現金に換えていましたが、当時は闇米なので警察に没収されたこともあったようです。家族を養うのに必死な時代だったんですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
今年は金沢で初の雪かき体験が
出来そうです⛄
ママさんダンプ?とかいうスコップと
滑り止めの付いた長靴を買いました(^-^;
どれだけ降るのだろうと、今から空を
眺めています(=゚ω゚)ノ
おはようございます
去年の正月は4日間、富山市のホテルで宿泊してましたけど、みぞれ雪が20cmほどあっただけでした。
金沢の冬は知りませんが、身構えるほどは積もらないと思います、時折吹雪とかはあるでしょうが。除雪楽しんでください。 はるか北の新潟市も積もらない町です、
積もったら足裏に意識集中して転ばないように注意してくださいね、あとは民家の屋根に50cmくらい積もったら(たぶん無い)その下は歩かない方が安心です、油断大敵。
これら民家に今は人が住んでいますか?こうした山間の集落に
昭和20年代に お父様が魚を行商されていたのですね。
夫の実家は農家ですが漁師町にあります。集落の大半は漁師で 船が港に着くと
漁師の奥さんたちは 魚を入れたかごを天秤棒で担ぎ 山間部の
集落に売りに行った話を聞きました。ベトナムの女性の野菜売りと同じスタイルです。
漁師はほとんどの家が田畑を持たぬため 売った魚の代金を米で
もらったという話も聞きました。魚は売れたが代金がコメのため
帰りの荷がさらに重くなったなどの苦労話を 嫁いだ50年近く前に
夫の実家で聞きました。当時の人はえらかったです。
yottinさまのお父様の話から 昔聞いたなつかしい話を思い出しました。
軽しか通れない細い道でしたが、30年位前にバスも走るバイパスができました、その頃から村民は麓の地区にどんどん移住していきました。
今も健在の家の何軒かは、春から秋にかけて田畑作りで何日か住んでいるようです、冬は今ではとても住めないので、完全な越冬支度をした家だけが2軒ほどいるようです。
父は23歳で東京から単身この田舎町にきて食うに困り、10年間ほど魚の行商ををしました、標高20mほどの集落まで自転車で8kmほど
そこからは徒歩で10km標高400mの集落まで雪のある時期でも行きました、おっしゃる通り昔の人は辛抱強かったですね。
途中に3つ集落があり祭りなどにぎやかにやっていましたが、今は全部廃村です
魚を米に代えて町で売って現金に換えていましたが、当時は闇米なので警察に没収されたこともあったようです。家族を養うのに必死な時代だったんですね。