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母卒す

2006-06-02 09:55:22 | 出版記事
5月30日母卒,昨日母を見送りました.母が嫁入りをしてきた道を反対に辿って火葬場に向かいました.やせ衰えた母の体は殆んどが煙と灰になりました.思い返せば父が先立って以後の母の生活は,有って無きが如きものでした.母は一人で自立した精神生活を営んでこなかったのか,父の影であったのか、父亡き後の母の8年はひたすら死に向かって,死という人間最後の大仕事を果たすためにだけあったような気がします.

母の棺を清めるために、父や舅姑の時と同じ様に特殊なシホ(塩)を作ってもらいました.その包んである半紙に,母のために特別名前を書き入れて四隅と真中に入れました.

       故深江圭三 妹深江佳子

間違えずに父の差し向けた船に乗ったと思います.父の死期を悟った時,私は初めてマクロビオティックを父に紹介しました.それまでは父に対して娘が何かを教えるという関係はありませんでした.父はいつも私の教師でした.ですが死というものをひしひしと感じた時,75歳を過ぎようとしている父に初めてマクロビオティックを伝えました.桜沢先生の食養学序論と原論,それと久司先生のマクロビオティック健康法とを病床にあって暇になった父は読みました.それまで私は老齢になった父の生活を変えねばならないほどの必要にためらいを感じていました.そしてマクロビオティックを知るまでの私と同様,父もこの世は気力でどうにかなると信じていました.父の感想です.「そうだったのか.」 でもその父も最期まで,母とともに築き上げてきた家庭の味にこだわりました.「お母さんと二人で作った家庭の味というものがあるんだ」というのが父の言い分でした.

旧来の日本人の食基盤では,確かに気力が人間の鍵だったのかもしれません.でも今のように食の基盤が乱れてしまっては,気力の出てくる余裕がありません.その前に倒れてしまいます.それが現在の医療大国日本(?)の現状だと思います.そして父はこの世を卒業しました.

それから妹(イモ)であった母のこの世は,実体のない影のようなものになりました.周囲にとって驚くべき変貌振りでした.あまりにもひどかったので,私は父の死を考えることをやめて,ただ母を慰める日を送りました.母が寝付いてからは,母がうまく死を迎えられるよう母と死について語り合うように努めました.ですが死を目前に控えた人と死を語ることがどんなに難しいことか,思い知らされました.それでも2年余,手を変え品を変え語り合ってきた母の最後の感想は,「死にたうもあり,死にたうもなし」でした.

母もうまくこの世を卒業したと思います.父も母も自宅で死の床につき死を迎えました.非常に珍しくなったと和尚様から言われました.幸せなことだったと思います.次は自分の番がまわってきます.今度こそ気兼ねなく如何なる死に様を選ぶか、それを楽しみにして死ぬ日まで生きたいと思います.
コメント (6)
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