典子が教えてくれました.詳しくは分かりませんが、夏至祭りのイベントのようで古事記の朗読奉納と乃木流(インターネットに書いてありました)マクロビオティック会席?の催しのような・・・・・
何となく嬉しくなりました.実は私共夫婦も娘夫婦も、乃木神社で結婚式を挙げさせて頂きました.私共の時はブログにも何度か登場している私の父の希望です.父は陸軍大尉で特攻部隊の生き残りです.一日の違いで終戦を迎え、そして私は生を受けました.父は敗戦のショックで茫然とはしたそうですが、精神を転向させることはありませんでした.死期の迫った日、弟は父に聞きました.『幼い孫達に祖父はどうだったと言えばよいのか』と.父の答えは、『乃木大将のようだったと話してもらいたい』というものでした.
私達は乃木大将のお話しを聞いて育ったものです.弟の好き嫌いに父は言いました.『乃木大将は子供の時代に人参が嫌いで食べ残していると、お父様から毎日食べるまで人参ばかり食べるように命じられたんだよ.ほんとにひもじくなれば何でもありがたく食べられるもんなあ.』・・・・・他にも『お父様は厳しくて、乃木大将が約束を守らないと冬でも井戸端で水を掛けてお叱りになったそうだ.』『1日に使ってよいお水は手桶1杯?だったんだよ.大将になられてもそんなに節約なさったんだ.』『ステッセルとの水師営での会見には、佩刀を許し敵将に敬意を表されたんだ.』などと時々に様々な話を聞かされました.
父は乃木大将のようだったと娘の私は思います.父は乃木大将の『忠君愛国、滅私奉公、質実剛健、質素倹約』の本当の意味を教えてくれました.字面の意味ではなくその心を教えてくれました.子供時代父はこの世でもっとも好きで尊敬する人でした.父が帰宅すると、母が『お帰りよ!』と子供に叫ぶ前に、『お出迎え!』と走って行きました.そして和服に『お着替え』があり、その後仏壇〈私達はオジブッツァマと呼んでいました〉でお経をあげるのを脇で一緒に手を合わせ、それから色々と子供の話を聞いてもらいました.
父はいつも威厳に満ちてニコニコしていました.少し大きくなってから聞いたことがあります.『お父さんはどうしていつもニコニコとしておられるの?』父の答えは今でも鮮明に覚えています.『それはお玄関で気持ちを切り換えて、にこってしてからただいまと言うんだよ.』父は生き難かったはずです.敗戦転向組ではなく、戦後も乃木大将を生きたのですから.それを思うとこの歳になっても、父の深い愛情に胸が詰まります.父のお戒名は、『義源院忠峰圭山居士』、忠は真中の心、心の真中だと、和尚様から言われました.よくも言いえたお戒名をいただいたものだと思います.
父を念じる時は乃木大将にもお祈りを捧げます.そんなわけで乃木神社でマクロビオティックというお話があるというだけで嬉しくなりました.ちなみにすぐ下の弟は関西にいましたから、神戸の湊川神社で結婚式を挙げました.大楠公をお祭りしている神社です.これもまた父らしいと思います.
何となく嬉しくなりました.実は私共夫婦も娘夫婦も、乃木神社で結婚式を挙げさせて頂きました.私共の時はブログにも何度か登場している私の父の希望です.父は陸軍大尉で特攻部隊の生き残りです.一日の違いで終戦を迎え、そして私は生を受けました.父は敗戦のショックで茫然とはしたそうですが、精神を転向させることはありませんでした.死期の迫った日、弟は父に聞きました.『幼い孫達に祖父はどうだったと言えばよいのか』と.父の答えは、『乃木大将のようだったと話してもらいたい』というものでした.
私達は乃木大将のお話しを聞いて育ったものです.弟の好き嫌いに父は言いました.『乃木大将は子供の時代に人参が嫌いで食べ残していると、お父様から毎日食べるまで人参ばかり食べるように命じられたんだよ.ほんとにひもじくなれば何でもありがたく食べられるもんなあ.』・・・・・他にも『お父様は厳しくて、乃木大将が約束を守らないと冬でも井戸端で水を掛けてお叱りになったそうだ.』『1日に使ってよいお水は手桶1杯?だったんだよ.大将になられてもそんなに節約なさったんだ.』『ステッセルとの水師営での会見には、佩刀を許し敵将に敬意を表されたんだ.』などと時々に様々な話を聞かされました.
父は乃木大将のようだったと娘の私は思います.父は乃木大将の『忠君愛国、滅私奉公、質実剛健、質素倹約』の本当の意味を教えてくれました.字面の意味ではなくその心を教えてくれました.子供時代父はこの世でもっとも好きで尊敬する人でした.父が帰宅すると、母が『お帰りよ!』と子供に叫ぶ前に、『お出迎え!』と走って行きました.そして和服に『お着替え』があり、その後仏壇〈私達はオジブッツァマと呼んでいました〉でお経をあげるのを脇で一緒に手を合わせ、それから色々と子供の話を聞いてもらいました.
父はいつも威厳に満ちてニコニコしていました.少し大きくなってから聞いたことがあります.『お父さんはどうしていつもニコニコとしておられるの?』父の答えは今でも鮮明に覚えています.『それはお玄関で気持ちを切り換えて、にこってしてからただいまと言うんだよ.』父は生き難かったはずです.敗戦転向組ではなく、戦後も乃木大将を生きたのですから.それを思うとこの歳になっても、父の深い愛情に胸が詰まります.父のお戒名は、『義源院忠峰圭山居士』、忠は真中の心、心の真中だと、和尚様から言われました.よくも言いえたお戒名をいただいたものだと思います.
父を念じる時は乃木大将にもお祈りを捧げます.そんなわけで乃木神社でマクロビオティックというお話があるというだけで嬉しくなりました.ちなみにすぐ下の弟は関西にいましたから、神戸の湊川神社で結婚式を挙げました.大楠公をお祭りしている神社です.これもまた父らしいと思います.