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体験感想記2(実は・・・・髄膜腫その1)

2012-02-17 13:51:38 | manndarage1(髄膜種体験記)

忘れもしません。私は多忙な開業医の裏方に明け暮れていました。開業医の女房には二種類あると思います。専業主婦タイプと用務員タイプと・・・・・・この二つはどちらも『奥様』と呼ばれていますが、まったく別の人生を歩んでいます。私が属した用務員タイプは、特に小規模な開業医の女房用務員は、経理から労務、外渉、様々な仕事と家事とチャンポンなうえに、一日中勤務時間で、自宅が仕事場なのか憩いの場なのか、育児の場なのか・・・・・我が家の場合は夫は産婦人科医、診療時間外の夜中も夜明けもない緊急出動に備えなければなりません。まあ軍隊の前線部隊といった感じです。ですから隊長(夫)は常に緊張状態、隊長の担当兵である私はそのとばっちり引き受け部隊とでもいうような、そんな私の『奥様』生活でした。

まあそれはそれで、人にはそれぞれの負うべき苦労があるので構わないのですが、ある日急遽鹿児島で大学生活を送っていた娘と相談することがあったので仕事の合間をぬって出かけました。その帰りのことです。座席に落ち着いてしばらくすると頭痛がしてきました。困ったなあと思いながら列車の中で出来るだけのことはしたのですが、一向に良くなりませんでした。鹿児島から平戸に帰るには、鳥栖で博多発の『みどり』に乗り換えるのですが、そのころには異常事態に発展していました。夫は用事もあって、佐世保まで出迎えてくれることになっています。鳥栖での乗り換え時間は5分くらいしかないのです。乗り遅れると1時間待たねばなりませんし、多忙な夫と連絡も付けなければなりません。必死の思いで乗り換えに成功しました。

それから先はただただ具合が悪くて1時間半余り乗り切りました。佐世保駅では夫がいるという思いだけで改札口を出、夫に心配をかけすぎないように・・・・とただそれだけで、本当に必死の思いで夫に「大丈夫」と受け答えをし、駐車場までついて行きました。駐車場でこらえ切れなくなって吐き、しばらく行ってはまた車を止めてもらって吐き、何度か繰り返しながら我が家の駐車場に辿り着いて、転げるように庭の隅に行って吐きました。もう吐くものは何もないような苦しい吐き気でしたが、玄関を開けて入れてもらい階段を這いあがり二階の寝室で着の身着のまま朝まで寝ました。平衡感覚がおかしくなって立っているのも困難、目も開けたくない、そんな状態でした。

夫は最初は怒ったと思います。男って大体怒るものです。男は女房は自分と同じだと思っていますから、わけもなく大抵は不機嫌です。それにマクロビオティックを実践していて不健康なのはおかしい!!と抗議するものなんです。でも今回は異常過ぎました。夫はそれは心配したと思います。それも医師としてその異常ぶりを観察したと思います。夫の治療は受けながらですがあくる日も寝せておいてくれました。3日あまり寝たと思います。そして私に言いました。「脳神経科を受診してみないか・・・・???」

私も検査の必要を感じていたので同意見でした。というのも寝ている間にトイレに立ったのですが、ベッドからいつものように足をおろして無意識に履いたスリッパに、片方の足がうまく入りませんでした。トイレットペーパーに無意識に手を伸ばして届きませんでした。見舞いに来た舅にその話をしたら、私には「疲れがたまっとるとバイ。心配せんでしばらく寝とかんね。」と言いました。夫には『和子さんは、アポった(卒中を起こした)!!』と言ったそうです。そういうわけで私に時々起っていた異常事態は原因究明がなされることになりました。一週間くらいたって落ち着いた頃脳神経科を受診しました。続きはまた章を改めて書こうと思います。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!!!






コメント (2)
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