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体験感想記2(実は・・・・髄膜腫その3)

2012-03-06 14:32:07 | manndarage1(髄膜種体験記)

髄膜腫というのは、素人的に言えば、頭骸骨の内側に貼りついている髄膜に出来る腫瘍です。夫に言わせると、「良性の腫瘍だが脳腫瘍というのはみな癌(悪性腫瘍)扱い」なのだそうです。私なりに調べてみると、髄膜腫は案外多くて、気付かれないものも多いとか・・・・強く頭部を打撲したりすると、その傷口(?)から発生することが多いとか・・・・。その程度しか分かりませんでした。

マクロビオティック的(?)見解によれば、自分が作り出したものは自分で元に戻す(腫瘍の場合は溶かす)ことが出来る筈です。自分の食生活を再検討しました。構成食材を標準食の中庸領域に合わせて、腫瘍を溶かしやすい大根や蕪、キャベツなどを毎食摂り、小食にしてマクロビオティックで許容範囲に入れられている嗜好品(果物や菓子類など)を完全に絶ちました。それで一月余り過ごしたと思います。そのうちに長女の奥津典子が、当時久司先生が発表されていた『脳腫瘍に良いスープ』なるものを教えてくれました。

この時に感じたのは、『病人には世話人が必要である』ということです。大体病人は自分の事ですら、取り掛かるのには困難があります。ずっとやってきたことは惰性で何とか出来ても、新しくやらねばならない事にはなかなか取りかかることが出来ない・・・・・この事を実感しました。病人にアドバイスはもちろん必要ですが、アクセルの役を引き受けて手伝ってくれる人が必要です。病人とは何よりも『億劫さを抱えている人』です。自分で始められないのです。それが病院が選ばれる理由だと思います。

マクロビオティックで暮らし『この病気をチャンス』と捉えることが出来た私でさえ、『久司先生のスープ』を毎日取り入れることに最初億劫さを感じました。この時の感想を整理すると、

      1.病人の心理的問題(私が感じたような、取り掛かるにあたっての問題)
      2.介助者と病人の認識レベルの問題
      3.複数の介助者がいる場合(直接間接を問わず)、介助者間の認識レベルの問題

この感想を踏まえて、病人の自立療養を目指した宿泊訓練プログラムを平戸・田平で夫と始めようとしましたが、残念ながらまだ日の目を見ていません。スターターとして1~3週間のプログラムがあれば、どんなにか助かると思います。

こうして数か月を過ごしたのですが、この間に大きな事件が起きました。娘が孫を連れて見舞いに来てくれたのです。それは良かったのですが、開業の裏方をしながら多忙に暮らしている病人(?)の私を気遣って、舅が義姉のところに出かけたのです。舅は2歳になる孫可愛さに疲れてしまう私を心配したのだと思います。舅は姑が亡くなる前から前立腺癌と診断されていました。病院にはかかっておりましたが、自分で診療方針を決めていました。息子である夫もその嫁の私も、なかなか介入できませんでした。時々『癌って自分で作るのだから、自分で治せないんですか・・・?』などと探りをいれてみましたが、『そうじゃろかい・・・???』と言われるだけでした。それでもトマト好きの舅に、トマト料理を添えることだけは簡単でした。

急に足を引きずり始めていた舅は、義姉を呼んで2週間の予定で出かけて行きました。舅の配慮で孫と楽しい時間を慌ただしく過ごしていたところに、義姉から舅が手術を受けるという連絡が飛び込んできました。何と舅の脚が麻痺して診察を受けた所、前立腺癌が骨転移をしているというのです。放置すると呼吸も出来なくなってしまうというのです。すぐに舅は大村で手術を受けました。びっくりしてしまった私達は娘と孫を帰京させ、舅の許に行きましたが声もありませんでした。

義姉と付添交代の簡単な取り決めをして、ウィークデーは義姉と姪達が週末を私が担当することにしました。起き上がることが出来なくなってしまった舅との会話を思い出します。お互いにもう回復はしないだろうと思いながら、うつろに希望の言葉を聞きたい父(舅)とかけたい娘(嫁)・・・・・それでも楽しいような思い出もあります。「自分の上の方にある食事をどうやって食べるか、わかるか?」と問いかけ、答えを教えてくれました。「鏡が給食にはついているんだよ。それを使ってお皿の中を検査するのさ」。それでも一人で食べるのは難しいし、老齢になった舅は悲しかっただろうと思います。傍にいるのを喜んでくれましたし、朝はなるべく早くホテルから病院に行くのですが、待ちかねたように『足を揉んでほしい・・・』と言いました。自由を失った足がどんなにか重たく辛かったのだろうと思います。

手術を受けて3ヵ月半後に舅はなくなりました。その間週末の大村行きを繰り返しました。その間の私の食事をどうしたかというと、一日玄米おむすびを2回、4個の、徹底的な小食でやり過ごしました。その頃の日記に『少食だから疲れない』と書いてありました。過密なスケジュールを何とか乗り越えた私は、自分独りでやってきたプログラムに少し不安を覚えて、久司先生に直接ご相談することにしました。先生のご講演の予定を見て、時間を取っていただいたのです。それまでの経過をご説明し自分のやってきたことをお話し、その上で修整をしていただきました。何よりも自信と安心をいただいたと思います。

髄膜腫が診断されて以来、発作を起こしたことは一度もありません。自分の脳の『かまぼこ』状態は確実に改善されて、自覚することも無くなりました。私はよくなっていることを自覚しました。これが2002年のことですが、2004年の暮れにはボストンのクシ・インスティテュートでの講義に参加しました。12時間の飛行にも耐えることが出来ましたし、何より自信があったのです。もちろん食事の心配が無かったことが大きな決心の要因でした。夫はとても心配して、丁度浪人(?)暮しをしていた長男をつれていくなら、という条件を付けた上で許可してくれました。

私はすっかり治ってしまいました。いつ消えてしまったかは正確には分かりませんが、少なくとも半年後にはかなり小さくなっていたと思います。何故かというと、舅のお葬式から続く一連の法事を、食事の管理の枠を緩めて乗り切ることが出来たからです。2005年頃から三年間続いた久司先生の『スピリチュアルセミナー』に参加しましたが、その2回目のことだったと思います、『もうすっかりいいね』と先生が仰いました。それで2006年の5月(多分)を完治と思うことにしています。

髄膜腫などの腫瘍の原因物質は脂肪だと思っています。余分な脂肪が何がしかの条件で何処かに貯留されて出来ると思います。ですから要は血液中に溶かして排泄処理することが大事で、それ以外にないと思います。そのためには、第一も二も三も、血液の清浄化が必須条件です。そして脂肪を溶かす消化酵素の働きを利用すること、貯留物質を食事から排除すること・・・つまりマクロビオティックと小食の実践です。飢えると貯留物を溶かしやすくなりますので、小食がキーポイントです。今回2011年11月に珍しく頭痛を感じることがあったので、脳神経外科でCTスキャン検査を受けました。私の4センチもあった髄膜腫は完全に消えていました。

現代は電磁波社会、生活の場はテレビを始めパソコンや携帯など様々な小道具までの便利な道具の電磁波にさらされています。大切に頭骸骨で守られてきた脳も電磁波の前には無防備です。もともと脳はそういった波動の送受信器です。脳も疲労し傷つけられるだろうと思います。高脂肪食に人間の食事が偏向している限り、今後脳腫瘍は増え続けると思います。その限度は各人各様です。ほんのちょっぴりでも、その発生条件が整ってしまうと、腫瘍は出来てしまいます。そしてそこが身体全体のゴミ捨て場になり成長していくのです。脂肪摂取と過食を避けること、これが肝要だと思います。長々と書きましたが、これで髄膜腫編は終わりです。[体験感想記2(実は・・・・髄膜腫2)、(実は・・・・髄膜腫1)]




そして今日も:
  
     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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20 コメント

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Unknown (T・Koga)
2012-03-09 20:22:53
えっ!本当に手術なしで治ったんですか?
正直、マクロビオチィックを信じてませんでした。これからもたぶん私は取り入れないでしょう。それは、今の私を否定する事になるからです。今まで私なりの調理師として生きてきたものを否定できません。でもマクロビオティック
にたいする考えは変わるでしょう。いや~驚きですね!!
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嬉しいです! (fukae)
2012-03-10 09:29:57
マクロビオティックって、別にお肉やお魚を食べてはいけないというのではないんです。お金を持たなかった頃の人間が、自力で食べる事が出来た範囲の物と量を食べていれば、特に問題はないんです。今はお金で何でも食べられるし、どれだけでも(?)食べられます。

ですが調理師が出すお料理は、同じ人に毎日食べさせるものではありませんよね。調理師はプロでその人が作るものは特別のお料理ですよね。私はKogaさんのところに遊びに行ったら、お料理をいただきたいと思います。だけどその時はお砂糖を極力少なくしてください。
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お師匠様・・・。 (たま)
2012-03-14 20:17:39
昨日、夜が明けぬ2時前に南三陸町から帰ってまいりました。

只今、第3話を拝読させていただきました。

完治なされたことをココロからありがたく思います。でも、無理はなさらないでください。少し心配しています。

それと、猛省です。
このところの生活を食い改めなくてはです。
ありがとうございます。
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ご苦労さまでした! (和子)
2012-03-15 08:51:19
お疲れさまでした、有難うございます。何度もボランティア応援隊を組織して実行なさる松見先生ご夫妻に、心から驚き感謝しています。

私はいつも言う例の“お陰さまで”、川の水一滴の心境です。大丈夫です。ご一緒に川を下って行って下さい。ご心配、有難うございます。
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髄膜腫 (亮子)
2012-11-23 19:59:41
初めてコメントします。
現在、髄膜腫を経過観察中の者です。
髄膜腫のことを調べて行くうちに、先生のブログに出会いました。初めてマクロビを知り、先生の本を読み、私も食生活を見直しました。ブログに脳腫瘍に効くスープとありますが教えて頂けないでしょうか?
2月に検査を受けますが、なんとか小さくならないものかと思っています。
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亮子さんへ (和子)
2012-11-27 09:53:49
御縁があって嬉しく思います。また本も読んでいただいたとか、有難うございます。

久司先生のスープは以前はネット上に発表してありましたが、今は見つかりません。椎茸と切干大根と、黒いり玄米と、キャベツとニンジンを一定の比率で利用したものでしたが、私もはっきり覚えていません。

ただ私が患者(?)だった頃手伝ってくれた自然食品和みの堀江社長が記録を残していると思います。堀江社長は私のカタカムナへの橋となってくれた方で先達でもあります。連絡は電話で、0950-23-2566です。

またこのコメントをきっかけに自然食品和みの商品について記事を書いてご紹介しようと思いますが、スープを作るにあたって独自の『エネルギー変性加工』を施した商品が威力を発揮すると思います。取り扱っているお水と乾物については是非ご利用ください。

嬉しいお便りを聞けることを楽しみにしています。数日家を空けておりまして、お返事が遅くなりました。
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Unknown (亮子)
2012-11-27 22:47:27
ご返事ありがとうございました。
さっそく和みさんへ連絡をさせていただきます。

先生の本の通り、やれるところから始めています。調味料を上質にし、玄米と野菜中心の食事に変えました。海藻類や豆も多く取るようにしてます。
くだものや甘いものもつい食べてしまいますが、少しずつ減らしていきたいと思います。

おかげ様で、自然に体重が減り、体も動きやすくなりました。
私もいつのまにか消えてなくなることを願ってがんばります。

また報告させていただきます。
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亮子さんへ2 (和子)
2012-11-28 08:45:22
髄膜腫お仲間が出来て嬉しいです。堀江さんにメールアドレスをお教えするよう頼んでおきます。

豆類も気をつけてください。お水に漬けておくと泡立つお豆は脂肪が多すぎるので、控えた方がよいですよ。

大切に毎日をお過ごしください。
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Unknown (亮子)
2012-11-28 18:32:20
今、和みさんへ連絡させて頂きました。

社長様がお留守のとの事で、明日以降に連絡頂ける様になりました。
先生もご連絡して頂き本当にありがとうございます。

また、報告いたします。





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Unknown (亮子)
2012-11-30 19:16:26
昨日、和みの社長様よりご連絡いただきました。
話を聞いて頂き、さっそくパンフレットを送って頂くことになりました。
またスープの詳細については、昔のことなので、記録を探してみてご連絡くださるそうです。

このたびは、私の突然の質問に快く受けてくださり、本当に有難うございました。

よい報告ができますよう、今後も気をつけて食を見直していきたいと思います。



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