先日の煎茶の稽古は「翡翠」がテーマだった。掛けてあったお軸は宝石の翡翠ではなく、カワセミが描かれていた。
カワセミは、色合いがとても鮮やかなのでよく写真の被写体にもなっている。川で見かけるとだいたい2羽でいる場合が多い。つまり、オシドリ同様、つがいで行動する鳥である。
煎茶席では、このような日本画的に描かれている絵のお軸は珍しい。だいたいが墨画のものが多い。2羽いるはずのカワセミが1羽しか描かれてない。それもよく観れば、なんと悲しそうな表情になっている。
文学的にカワセミといえば”愛の象徴”の意味する。それが1羽で悲哀感が表現されている。ということは、待てども来ない愛しい人を想い悩む描写ということになる。
こんな悲哀の絵を鑑賞しながら、冷水で淹れる煎茶の味がだんだんと渋く変化していく。
カワセミは、色合いがとても鮮やかなのでよく写真の被写体にもなっている。川で見かけるとだいたい2羽でいる場合が多い。つまり、オシドリ同様、つがいで行動する鳥である。
煎茶席では、このような日本画的に描かれている絵のお軸は珍しい。だいたいが墨画のものが多い。2羽いるはずのカワセミが1羽しか描かれてない。それもよく観れば、なんと悲しそうな表情になっている。
文学的にカワセミといえば”愛の象徴”の意味する。それが1羽で悲哀感が表現されている。ということは、待てども来ない愛しい人を想い悩む描写ということになる。
こんな悲哀の絵を鑑賞しながら、冷水で淹れる煎茶の味がだんだんと渋く変化していく。
