ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

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人生でいちばん長い日。【27年前の記憶をたどって】

2022-01-17 14:59:45 | 雑感

この揺れは、なんだ~? 目が覚めたと同時に心が叫んでいた。

標高1,000mほどあるスキー場の宿泊ロッジで感じた一瞬である。

その後、また眠りに落ちた。

 

部屋の外の廊下を歩く音で目が覚めた。7時少し回っていた。

騒がしいのでロッジの受付をのぞくと、スキー場スタッフの人たちがリフト点検に出かけるところだった。

部屋に戻り、テレビをつけると、なにやら戦争映画でも見ているような映像が流れている。チャンネルを変えてもどこも一緒のような映像である。

このとき、はじめて異変に気付いた。

再び受付に行くと、一緒に来ていた仕事仲間もいた。

受付でテレビに釘付けになっていると、高速道路が倒壊している映像に背筋が凍りついた。もしかすると、いやいやそんなことはないと心で否定しても、現実は・・。

 

私の住まいの近くの出来事に気づいたのである。

えぇぇぇ、と叫びながら体が動いた。一目散に部屋に戻り返る準備をしていた。

昨日に千種高原スキー場にお邪魔していた。その日は一日打合せを予定していた。

同行していた仕事仲間に、悪いが引き上げると言い残し、スキー場のスタッフに千種町のバス停まで送っていただけないか、をお願いすると快諾を得て出発。

8時ごろだったと記憶している。

 

 

そこから人生でいちばん長い一日を体験することに。

千種町バス亭から中国自動車道の山崎インター(兵庫県と岡山県の間)の高速バスターミナルまでのバスに乗った。30分程度乗っていたと思う。

そのターミナルは高速バスの乗降地で、神戸方面へ向かうバスの切符を買うために窓口に行くと、ご存じ地震でバスが運行ストップとなっている、と告げられた。

呆然と立ちすくんだのを覚えている。

どうすることもできない状態になっていると初めて事の重大さを痛感したのである。

 

公衆電話への往復回数が増える。家に連絡したいがつながらない。何回か目に妻の声が聞こえた。つながったのである。

えらいこっちゃ! 子供たちは無事か?

といったことを覚えている。妻からは無事という返事と、いま近くの避難所にいるということを聞いたときは涙がこぼれてきた。

それからも随時、電話をしてみたが、二度とつながらなかった。

 

途方に暮れているとき、あるご婦人が私に声をかけてくれた。

公衆電話との行き来する姿をみて、「私は名谷(神戸)の娘のところへ行きますが、親戚の人に車で連れて行ってもらうので、もし神戸方面に行こうとされているなら、ご一緒しませんか」と。

この言葉は終生忘れることはないだろう。人から受けて温情が心に刻まれている。

 

1時間半くらい同乗させていただいて名谷の駅まで辿りついた。

後はタクシーで新神戸トンネルを抜ければ神戸の市街地に出られると思いタクシーを待った。

やっと1台が乗り場に。運転手さんに三宮方面へと告げると同時に、そりゃ~、お客さん無理ですよ、という返事が即座に戻ってきた。トンネル内が通れるかどうかわからない、と。

あきらめかけていたときに、後ろにいた男性が、私は神戸市の職員と名乗り市の命令で出勤しなければならない、と半ば強引に運転手さんに詰め寄っていた。運転手さんも仕方なく、ただいけるところまでですよ、といっていたのを聞き、私は、後ろの男性に同乗させてもらってもいいですか、と尋ねると、どうぞ! と。ここでも人の温情を実感した。

 

動き出したが、三宮に抜ける新神戸トンネルが通れるかどうかが不安である。トンネルではすれ違う車はない。行けそう! と3人が口を揃えるかのように声を発した。

新神戸駅のトンネル出入り口までやってきた。抜けた~、とおっさん3人が歓喜の気勢を上げたのを覚えている。

その気勢を一遍させたのが、戦場の跡地に化したかのような街の状況。地震発生をテレビでみた映像を実際に自分の目で見る悲惨さは想像を絶する光景であった。

これ以上は勘弁してください、との運転手さんの声にタクシーを降りた。その時にタクシー代を払った記憶がない。後になって思うと神戸市の職員の方が払われたのであろう。感謝しかない。

8時ごろにスキー場を出て、三宮に着いたのがお昼すぎだったと記憶している。

 

タクシーを降りて改めて見渡す光景に立ち竦んでしまった。家屋が倒壊している。高いビルが傾いている。砲火を受け崩れ去った街のようにしか思えない。

ここからは歩くしかない。15、6キロはある。

長田地区の火事による被害もさることながら高速道路が倒れるくらいの被害が出た灘区、東灘区、そして芦屋市など悲惨な状況を見ながらただ歩いた。倒壊している家屋、いままさに燃えているマンションや家など、それを呆然と見ている人たちを見ながら歩いた。家族がいる我が家に向けてー。

 

自宅まであと数キロ手前のJR芦屋駅のホームの屋根が崩れ落ちている。そして駅前のビルが今にも崩れ落ちそうに傾いている。これを見て、またぞ―っとした。

これらの建物がこんな状態なら、古い我が家は跡形もないのではと想像すると震えてきた。家族の無事は聞いているものの足が前に進まない。

 

つづく

 


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