ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

線によって一枚一枚が違う表情になる 【仏画曼陀羅アート教室】

2022-10-24 11:41:46 | 仏画曼荼羅アート

彦根市に龍潭寺という寺院がある。1600年に井伊直政が佐和山城(現・彦根市)主となった際に、静岡県浜松市にある井伊家の菩提寺である龍潭寺を分寺して建立された。それ以来、彦根の龍潭寺は井伊家の菩提寺になっている。 佐和山城主は、彦根藩の藩主だけでなく過去には石田三成が居城としていたという歴史のある城である。

 

龍潭寺のだるまさん


その龍潭寺は「だるま寺」との異名をもっている。ご承知のとおり「達磨(だるま)大師」は禅寺を開祖。それにより「だるま」は禅寺と深く関わっている。手足がないので自由が利かないが、「だるま」は、壁のように動ぜぬ境地で真理を観る、という禅の概念に通じるものとして、龍潭寺では「だるま」が真理の対象物として崇めている。

 

写真にあるように「だるま」というと赤くて丸いあの形。その昔、どこの家にも一体はあったと言っても過言ではない。願掛けの欠かせない置物として試験や勝負ごとの「必勝祈願だるま」として重宝されていた。他にも商売繁盛や開運招福などの願いが込められていた。
だるまさんは新しく買ったら左目(向かい合って右側)に目をまず入れ、願いが叶ったらもう片方に目を入れる。選挙の時に当選した議員がテレビで片目を入れるのはよくTVで見たことがある。

子供の遊びにもよくだるまさんは登場した。「だるまさんがころんだ」や「にらめっこ」遊びなど、私たちは小さな頃からだるまと関わり馴染深い玩具だった。

 

そんなエピソードの多い、親しみのあるだるまさんを仏画曼陀羅アート教室では描いている。雪舟が室町時代に描いた「慧可断臂図」をはじめ、白隠禅師の達磨図、そして多くのすぐれた絵師が描いた達磨図を模写することからスタート。見本の中から描きたい図を選びチャレンジしていく。仏画と違ってだるまさんは肖像画として曲線によって表情が創られていく。線から命が生まれてくるようにも思えてくる。同じ見本でも描くたびにそれぞれの一枚一枚が違った表情になる。どの一枚を選ぶかは、描き手の、その時の想いに図られる。

 

  

 

 

 

 

 

箕面教室の皆さんの達磨図

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 達磨図制作/ 仏画曼陀羅アート箕面教室の皆さん

 

尾道・文化紀行  https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墨と油彩を操る「チェン・ジャン・ホン」の世界 【ギャルリーためなが】

2022-10-23 14:08:28 | 雑感

ホテル「丸福樓」をあとに、鴨川の正面橋を渡ると、数年前ほんの少しお世話になっていた京都美術工芸大学へ。その日は入学試験日で部外者は立ち入り禁止。受付対応していた知り合いの職員の方と立ち話のみで、残念ながらお世話になった方々との対面はならなかった。

 

正面橋の向こうに見えるのが京都美術工芸大学

 

七条通りに向かいかけたときに目に入ったのが古い古民家の1階に洗練されたギャラリー。ドアに「ギャルリーためなが」とあった。道路に面したウィンドーケースには迫力のある水墨画が掛けられてあり、思わず足を止め眺めていたが中に引きこまれるように入った。

入ったところに掲げてあった作家のプロフィールには、「チェン・ジャン・ホン」と記されていた。門外漢には初めての名前なのでプロフィールを読むことから始まった。察するに凄い水墨画家のように思えてきた。ご存じの方も多いかもしれないが、ボードに書かれていた内容(一部抜粋して)を転載する。

 

ギャルリーためなが「KYOTO」

 

1963年中国、天津生まれ。名高い北京中央美術学院に進学し中国伝統の水墨画を習得。1987年にパリへ移住し、エコール・デ・ボザールにて油彩画を学ぶ。抽象表現に傾注していったチェンは、東洋と西洋、伝統と革新の調和を追求し、墨と油彩を自在に操る独創的な画法を確立していった。

(中略)

チェンの作品は、パリや上海など世界の主要都市の著名なホテルやランドマークなどの建物の壁面を飾っている。

 

読んで作品を鑑賞すると、墨と油彩の融合が見事に表現されているのが伝わってくる。朱と墨、黄と墨、白と墨で織りなす新境地が抽象的に描かれている。

興味がある方は、ぜひギャルリーためなが「KYOTO」でご覧ください。東京は、10月29日~11月20日まで銀座のギャルリーためなが「TOKYO」で展覧される。

 

 

 

 

 

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 ギャルリーためなが「KYOTO」の外観写真は同ギャルリーHPより転用。

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

任天堂の原点!威風堂々たる存在。 雰囲気は残し「かるた」から「ホテル」へ 

2022-10-21 14:59:21 | 歴史建造物

大手ゲームメーカーとして世界のゲームファン魅了する任天堂(Nintendo)。その聖地といえる京都市下京区にある旧本社ビルが、今年の4月にホテルに生まれ変わった。ホテル「丸福樓」という。

任天堂発祥の地である、大正ロマンを色濃く残すビルヂィングを初めて見たのは4年前。当時は空きビルで厳重にロックがなされていたので内部を窺い知ることはできなかった。鴨川にほど近い七条通と五条通の間の、正面橋を西に入った住宅の路地裏の一角に、堂々たる近代的建造物がそびえ建ち目を惹く存在だった。
当時、正面玄関に看板がかかっていた。"トランプ・たるか"と妙な文字の看板があり、その下に「堂天任内山」と古さを感じさせる右から読む漢字の看板が掲出されていた。

 

いまは誰もが知る世界のゲームメーカー「Nintendo」として君臨しているが、創業当時は 「かるた」と「トランプ」といったカードの製造がメインで、その中でも「花札」の生産が多かったと聞く。プロの方たちが使うカードとして、一度使ったカードは二度と使わないというしきたりがあったようだ。そのためか注文がひっきりなしに入ってきたという話も聞いたことがある。

山内房治郎氏が明治22年に創業し日本一のカード製造会社までに押し上げていった。そして、2代目社長が「合名会社山内任天堂」と「株式会社丸福」を設立し、現在の任天堂へとつながっていった。その原点の地がここである。

 

旧任天堂本社ビルがホテル「丸福樓」に生まれ変わった

ホテルエンタランス掲げられている昔の看板

 

その任天堂創業の地として残る旧本社ビルが、今春にホテル「丸福樓」としてスタートした。昭和初期に建てられたアール・デコ風の建物の雰囲気をできるだけ残しながら増改築(設計監修は安藤忠雄建築研究所/施工は大林組)し、レストランやバーを備え、7つのスィートルームを含む豪華な部屋が18室で構成され、歴史を語れる新しい空間に生まれ変わった。

数年前から京都ではホテルラッシュで沸いたが、新型コロナウィルス感染で国内外からの観光客はゼロに近い状態になったが、やっとこの秋より明るい兆しが見えてきた。

これからの新しい時代のホテルとして、この丸福樓が歴史の中で築いた世界の「任天堂ブランド」の神通力を見せる時がきた。

 

丸福樓が改装にあたりもっとも大事にしたことが建物の雰囲気をできるだけ残すことを主眼に置いた。建物の構造には大きく手を入れず、当時の建物構造を残しつつ部屋や施設、設備等を用意した。残された貨物用エレベータはモニュメントとして残され、当時の面影を感じるように。当然、階段も当時のままの構造で細くホテルとして見れば不便だが、歴史を語れるホテルとしてあえて不便性を優先した。

もとの建物は、事務所や作業場であった社屋、真ん中に位置する創業者である山内家の元住居、そして一番奥の商品を保管していた倉庫、と大きく分けて3つで構成されていた。これらをリノベーションし、ホテルへと作り変えたのが現在のホテル丸福樓だ。事務所のあった社屋を「スペード棟」、かつての山内家の住居を「ハート棟」、倉庫を「クラブ棟」に、そして増設された新棟を「ダイヤ棟」という名称にした。任天堂ならではのユニークな発想がここにも息づいている。

 

昔の荷物用エレベータがモニュメントに

 

元は会議室だった場所に作られたラウンジの椅子はもともとこの部屋で使われていた年季が入っている逸品もの。エントランスの古時計も当時から残されたもので、ねじ巻き式時計らしく時間がずれがちだが、大きな役割を果たしている。役割を終えたはずの電灯のスイッチを壁から外さず残しているところもおもしろい。この存在がホテルになる以前の姿を想像させてくれる。

丸福樓は京阪七条駅近く、正面通という観光客にはほとんど知られてない狭い路地裏通りに面している。この辺りは住宅も多く、喧騒からは少し離れている。周りの住民の方からは、あの建物が生かされ動いてこそ活気が出るという。ホテルはいろんな意味で地域に貢献してくれている。うちが作るおかきもホテルで使ってくれているし、この路地裏が明るくなったよ、と大歓迎ムードである。

京都駅に近いことからホテルも多く、京都観光というだけならばほかに選択肢はいくらでもあるだろう。だが、任天堂ファンにとっては、このホテルは “任天堂ヒストリー” の聖地。これからのホテルの姿の第一歩として、新たな存在感をつくり上げていくはずである。

 

むかし使われていた紙を使って作られた鳥の造形物

会議室だったところをホテルのラウンジに

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月30日(日)、「サイクリングしまなみ2022」 3年ぶりに開催

2022-10-20 13:50:46 | 尾道・文化紀行

 

日本遺産のまちであり、日本の有数の観光地として注目を集める尾道。それは、瀬戸内海の島々を含む瀬戸内の歴史文化が色濃く残り、それを新しい時代の基盤にしながら、新しい世代の生活空間が創られている。その魅力に多くの人たちが惹かれ尾道を訪れる。

 

その尾道の魅力発信の先陣をきったのが「瀬戸内しまなみ海道」。広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60㎞の大動脈である。日本で初めて車道の左側に導線のブルーラインを引き、日本初の海峡横断サイクリングロードとして注目を集めた。海の上を自転車で走る爽快感は世界広しといえそうあるわけではない。

尾道市から今治市にある西瀬戸自動車道に併設する長距離サイクリングルートがナショナルサイクルルートに指定された。また、日本の自転車道の名で初めて「ロンリープラネット」や「ミシュランガイド」の両方にも掲載され、2014年CNNから世界7大サイクリングルートに選定され、「サイクリストの聖地」として国内外に広まった。

 

このサイクリストの聖地で3年ぶりに「サイクリングしまなみ2022」が10月30日(日)に開催される。瀬戸内海縦断往復の140㎞最長走行コースをはじめ、110㎞、100㎞、80㎞、70㎞と初心者・ファミリーも楽しめるエンジョイコース30㎞の8コースで約7000人が参加し行われる。

島と島をつなぐ橋を含む高速道路の走行がすべてのコースに含まれ、 普段は自動車でしか走ることができない道路で、開放感あふれるサイクリングを楽しむことができるのが最大の特徴。高速道路本線を走ることができるサイクリング大会は、日本では唯一、「サイクリングしまなみ」だけである。

しまなみ海道の絶景や島々の自然の美しさを堪能できるコースになっている。また、島々の人たちとのふれあいなどを楽しみに参加する人も多い。

穏やかな海に、たくさんの小さな島々が浮かぶ風光明媚な瀬戸内海を駆け抜けるサイクリングロードは世界から注目を集めている。

 

楽しそうに走行するサイクリスト

瀬戸内海の歴史を感じさせるビジュアル

各コース並びに瀬戸内海の島々

 

リポート/ 渡邉雄二 写真/ 尾道市・サイクリングしまなみHP・パンフレット

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このたびは、ちっちゃな「枯山水庭園」

2022-10-19 10:33:31 | 文化想造塾「神社仏閣」

三十三間堂の前にある法住寺の、

ちっちゃなちっちゃな枯山水庭園。

時には干支が現れる。

ウエルカムキャンバスとして参拝者をお迎えしている。

 

Hoju-ji Temple in front of Sanjusangendo,

A small Karesansui garden.

Sometimes the zodiac also appears.

It welcomes visitors as a fun canvas.

 

 

尾道・文化紀行

http://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする