ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

黄金色に輝く稲穂は、生そだちこうべを垂れる

2022-10-10 10:45:09 | 実りの秋

 

先週末の講座中、教室から眺める景色にしばし見とれていた。講座が終わり、窓から秋の収穫の光景を楽しんだ。川のほとりで、大きい田んぼとは言えないが、米づくりに精を出す人と黄金色に染まる風景は心に沁みるものがある。

むかし、稲によって成長するスピード違うということを聞いたことがある。速いのを「早稲(わて)」、一般的なのを「中稲(なかいね)」、そして遅いのを「晩稲(おくて)」という。

米の品種や天候によって、生き物だから当然稲の成長も違う。とくにブランド米を生産する農家は日々の稲の成長に細心の気配りしているのをよくTVでもよく見かける。

 

稲刈りはしっかりと稲が育ち終えたのを確認して行う。その時の黄金色に輝く稲穂は、生そだちこうべを垂れる。その光景は、いつ見ても美しい。

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

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大阪・十三を本拠地に、大阪人の胃袋をつかむ「みたらし団子」 【喜八州総本舗】

2022-10-09 14:01:30 | 伝統食文化

「御手洗」と書いて、通常は「おてあらい」と読むが、一方では「みたらい」と読む。その昔、歴史的には「みたらし」と呼んでいた。その「みたらし」が、いまも名称として使われているのが馴染の団子の「みたらし団子」である。

神社の近くに流れている川を通称「御手洗川(みたらしがわ)」という。特定の川の名称ではなく、神社の参拝者が手を洗ったり口をすすいだりする川のこと。その御手洗川で有名なのが京都・下鴨神社。いまでも続いている夏の御手洗祭りで販売されていた団子を「みたらし団子」と呼ぶようになった。

 

 

京都のみたらし団子は有名だが、絶大な人気を誇るみたらし団子が大阪にある。全国に名を馳せた、おっちゃん、お兄ちゃんの夜の街(半世紀前のこと。いまはビックリするほどにきれいな街に変貌)、十三にある。阪急十三駅の西改札を出て50mほどいったところに、それは見事な「喜八州(きやす)」の看板が掲げられている。いつ通っても行列が目を惹く「喜八州総本舗本店」である。

 

喜八洲という屋号は、創業時(昭和23年創業)に「菓子業により八洲(日本中)の皆様に、大いに喜んで頂こう」という意味合いで、名付けられたようだ。「最高の材料を使い、手頃なお値段で手作りの味を甘党のお客様に!」をモットーに名物の酒饅頭をはじめ、人気のみたらし団子、ジャンボサイズのきんつば・花ぼた餅・焼き餅などの浅生菓子から、力士最中・初霜・栗饅頭・三笠などの贈答用の和菓子まで、およそ40種類以上の和菓子を取り揃えている。大阪人の味に対応するために、全商品を本社の工場で製造しているのもこだわりひとつようだ。

商品の中でも、やはり人気一番の「みたらし団子」を求めて店頭に並ぶ。1本(108円)から買えるので串を片手に小腹の足しにという若者も多いが、5本、10本入りが飛ぶように売れる。私も、せっかくなので並び、たれ付け、焼き具合、スピード化された包装のそれぞれのテクニックを見ながら待った。

より多くのタレがからみ、団子に旨味が凝縮されるといわれている俵型の「きやすのみたらし団子」。老若男女を問わず、だれもがその味を楽しめる人気商品。

甘いたれとモチモチのお餅が絶妙に絡んだみたらし団子は、味にうるさい大阪人の胃袋を捉えている。

 

 

その味はというと、餅粉と米粉を絶妙なバランスで配合し蒸し上げた団子を、注文してから強い直火で炙る。お姉さんが「あぶり加減は?」と客一人一人に聞いてくれる。ステーキと同じように焦げ目三段階の炙り方である。「焦げ目少なく・ふつう・焦げ目多く」に分かれている。

私はふつうといったが、それでも結構な焦げ目がついている。私の後ろのオジサンは「焦げ目たっぷり」と。販売員さんは「少し苦くなるかもしれませんが・・」という返事に、オジサンは「苦いのがいいのや!」と語気を強めて返事していた。たかがみたらし団子、されど・・・である。

香ばしく焦げ目が付いたら、自社特性のタレの中をくぐらせる。タレは北海道厚岸産の上質昆布でダシをとり、香川県産たまり醤油と白ざら糖を使った喜八州独自の特別仕立。また、団子の形が俵(円筒状)なのは炙った時に焦げ目がつきやすく、また、タレの絡みをよくするためとのことだった。

 

 

歴史をつくるお店には、店のこだわりにお客さんが信頼を寄せている。味はもちろんそうだが、お店のしきたりや習慣にもなじんでいる。それに大阪人は、客がお店をつくり守ってやっているという何とも大阪らしい下町風土あふれる上目線が働いているようにも思う。

両者の歯車が絶妙にからまり動いているのが大阪の商いかもしれない。十三を本拠地に商売を育む喜八州総本舗の本旨が見えてくるようだった。

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

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一昨日は、「達磨さんの命日」。妄想からの脱却の日にしよう!

2022-10-07 15:11:21 | 達磨

前回も紹介したが、仏画曼陀羅アート教室で「達磨さん」を描く練習をしているが、仏画を描くのとは少々異なる。その最大の違いは、達磨さんは、お釈迦様と同じようにこの世に存在した人であるということで、人物画として達磨さんの特徴を捉え一気に描き上げていく。その特徴は周知のとおり眼光鋭く、髭もじゃもじゃの顔に簡素な袈裟をまとった姿なので描きやすく筆は進む。

しかしながら、顔を描く際には、筆が止まるようだ。描いた経験のある人はわかると思うが、筆が止まるのは達磨の目を描くとき。目でも黒目といわれている瞳孔である。大きさ、位置によって描く達磨さんが違ってくる。これほど黒目ひとつで画の本旨が変わる画題は少ない。

 

白隠禅師が描いた達磨図

 

「達磨図」はそもそも、法要で使う道具として絵画専門の僧が描いていたが、ある時から、「不立文字(ふりゅうもんじ)」といわれる「言葉では言い表せない禅の教え」を表現する手段として用いられるようになった。

特徴的な達磨図を描く禅僧に、江戸時代に活躍した白隠(はくいん)という人がいた。それまで、礼拝の対象としての崇高な画であったものを、白隠禅師は一般民衆へ禅の教えをひろめるための「禅画」としてちょっとユニークな達磨さんを描いた。その絵はユーモラスで軽妙、かつ大胆な書画に改めて驚かされる。達磨さんの周りには文字が躍っている。そこには公案(禅問答)が示されている画がある。この画のどこかにヒントが隠されているものの答えは見えない。それは、見た人に考えさせ、自ら答えを導き出させるために仕組まれた画である。
白隠の禅画に表されているのは、人としての本質を問うものばかりで、資料を見ながら理解していくと、その画の奥深さが見えてくる。薄見識ではあるが、白隠禅僧の神髄を楽しむことができた。

以前にも紹介したが、白隠禅問答の一つを改めて紹介すると、江戸時代に画かれた「隻手布袋図(せきしゅほていず)」(写真)がある。片手の画は「両手を叩けば音がするが、隻手(片手)ではどんな音がするか聞いて来い」という、白隠禅師が考えた代表的な公案に基づく画。その心は、常識にこだわり、それが正しいと凝り固まっていてはいけないという、まさに禅問答の典型のような画として有名である。

禅問答集を参照しながら、上記の禅問答を少しひも解くと、我々は「物」をみるのは「眼」で、「音」を聞くのは「耳」でと思い込んでいる。この思い込みが「妄想」だという。この常識や分別を外せば、片手でも音は聞こえるという。
般若心経にあるように、不生不滅。不垢不浄。不増不滅。無限耳鼻舌身意。の意味のとおり一切の対立観念の無い完全無分別の世界ということになる。この画が般若心経を説いているかのようだ。

 

白隠禅師が描いた隻手布袋図

 

一昨日の10月の5日は「達磨忌(だるまき)」といわれ、達磨大師の命日だった。眼光鋭い目が描き方によって達磨さんの表情が変わる。その時の描く人の心模様で黒目を大きくも、小さくもできる。また次が楽しみになってくる。

 

リポート/ 渡邉雄二 写真/ 白隠禅師の画像より転載

 

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土曜日の夜は、ぼんぼりの灯りで尾道が幽玄の世界に  「鶴瓶と家族に乾杯」が尾道へ。来週月曜日の19時30分より拡大SP

2022-10-06 11:42:32 | 尾道・文化紀行

JR尾道駅前広場

今週土曜日の夜は、3万個以上のぼんぼりの灯りで尾道が包まれる。尾道の街が灯りで幽玄の世界に染まる。ほのかに灯るぼんぼりを通して「癒しのまち尾道」のぬくもりが体感できるイベント。寺と寺を結ぶ路地や参道、駅前緑地帯などを「ろうそく」の灯りでライトアップされ、かつて先人が尾道の三山(千光寺山、西國寺山、浄土寺山)の山頂から見たであろう「常夜灯」の灯りを「ぼんぼり」でいにしえの尾道を再現する。

市内の小中学校の児童・生徒らにより将来の夢や願いを描かれたぼんぼりを、お寺へと続く参道や海岸沿いに奉納。そのお寺を核とした地域の歴史や文化、伝統を知ることから、自分の街に誇りを持ち、地域を愛する感性を育むことも大きなテーマとして息づいている。

 

時間は18:00~21:00

灯りぼんぼりが設置される場所は、古寺・JR尾道駅前緑地帯

済法寺・持光寺・海福寺・光明寺・宝土寺・天寧寺・千光寺・妙宣寺・正授院・善勝寺・大山寺・西國寺・正念寺・西郷寺・浄土寺・海龍寺など。

 

JR尾道駅前広場

西國寺山門前

浄土寺

 

欠かさず視聴している大好きな番組「鶴瓶と家族に乾杯」が尾道へ。

来週月曜日の19時30分より83分拡大SPとして放送される

 

笑福亭鶴瓶さんと井ノ原快彦さんが尾道市で初のぶっつけ本番旅へ!

向島の船着き場で待ち合わせたふたりは、そこで知り合った人に声をかけ、その人がすぐ近くであるモノを作る職人だと聞き、早速お邪魔することに。

井ノ原さんは鶴瓶さんと別れ、ひとり旅へ。同じ名字の井ノ原さんに会いたいと、手がかりを求めて商店街へ。

一方、鶴瓶さんは、人口400人余の百島へ。そこで、島を愛する人たちと島の魅力を語り合う。尾道の島を舞台に繰り広げる、いつものぶっつけ本番旅が繰り広げられる。

ぜひ、尾道の島の人情味をご視聴ください。

 

リポート/ 渡邉雄二 参考資料/ 尾道灯りまつりHP、「鶴瓶と家族に乾杯」HPを参照

写真/ 尾道観光協会フリー画像・尾道市

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

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思いは、口ほどに表現できない <達磨の目>

2022-10-04 14:34:13 | 仏画曼荼羅アート

 

「目は口ほどにモノを言う」という言葉は日常の会話にもよく使われる。その時の感情を言葉に出して言わないが、目がその代わりをする。 とくに “ 怒り” や “ 悲哀 ” の感情は目が言葉の代わりをする場合が多い。

 

仏画曼陀羅アート教室では、いまの画題として「達磨」を描いている。模写しながら筆運びの練習を行っている。仏画制作でも同じであるが、顔を描くのが最後の作業になっている。それは、顔の表情で、その仏画の本旨を表現するため。その表情をつくるのは「口もと」と「目」である。その代表的な画題が周知の「達磨」さん。

 

シンプルな画題ではあるが、シンプルほど難関かもしれない。とくに達磨を描く場合、バランスや立体表現として体の線を描くが、見せるのはやはり顔である。「睨みをきかせる顔」が達摩の特徴。達磨は、笑ったら負けよ、という言葉遊びがあるように「微笑の顔」はタブーである。

 

今回の画題で練習を重ねていく中で一番難しいのが目だと皆さん口を揃える。とくに目の中の黒丸の大きさ、位置などで描きたい達磨さんの顔にならないという。怖い表情の中でも、穏やかな睨み、人情味あふれる睨みを目だけでつくるのは難しい。試行錯誤が続くが、いまの段階で描いた「達磨」を見ていただくことにした。

「思いは、口ほどに表現できない」というのが、いまの実感かもしれない。

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 達磨制作/ 仏画曼荼羅アート教室の皆さん

 

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