一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

339 草引けり野仏の前五六本   遊石

2011年08月17日 | 

( くさひけり・のぼとけのまえ・ごろっぽん)

 

 

野仏といえば、熱海の日金山東光寺に通う石仏の道がある。湯河原、熱海、函南方面から彼岸やお盆には多くの人々がお参りしているが、最近は車で詣でる人が増え、石仏の道は荒れている。夏草の覆うに任せ、見捨てられた感がある。

  

しかし、市内の道路端にある地蔵などの中には、掃除を欠かさず花や水や食べ物を供えられているのを各所に見かけることができる。

 

この句の作者は、その前の草を抜いたというのだ。ほとんど毎日お参りされているのだが、それでも夏草の繁殖は強いので、五、六本は抜かねばならぬ。この五・六本に、愛され大事にされている幸せなお地蔵様が想像されて嬉しい。

 

 

コガンピ(小雁皮)

コメント (4)
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