一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

338 送り火を心に焚きてゐし一ト日    章子

2011年08月16日 | 

(おくりびをこころにおきていしひとひ)

 

お盆の迎え火・送り火をするかしないかを、信仰や習慣・環境などを含めての論議を、ここでする必要はなかろう。

 

 送り火をしなかった理由はともあれ、作者はその後ろめたさを感じつつ、亡き人との鮮明なる記憶を思い起こしたり、言い訳なども含め精霊と対話しているのであろう。

 

ここで大事なことは、何故「迎え火」ではなく「送り火」にしたか、ということ。俳句には読後の余韻というものが重要である。どちらが良いかは、季語を置き換えて読んでみれば明白だ。つまり、この句は「送り火」の選定によって成り立っているのである。

 

 尚、「一ト日」と言っているが、夕刻から就寝までの数時間と考えるのが妥当であろう。

 

閻魔大王さま

 

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