一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

337  父に倣ひ我もさう呼ぶ敗戦日   康正

2011年08月15日 | 

(ちちにならい/われもそうよぶ/はいせんび)

 

 

 先の第二次世界大戦における、日本の戦争犠牲者は、総計310万人。そのうち、軍人は230万人で、そのうちの六割、140万人が南方の島々やインパールなどで食糧不足による病死、又は餓死だったという。一方、空襲や原爆などで死亡した民間人は80万人。

 

尚、世界全体の犠牲者は1600万人。ソ連が600万人で最も多く、ドイツが325万人、アメリカでさえ54万人である。国家を背負う政治家が、国民の命をなんと軽視していたか。

 

 8月15日を、一般的には終戦記念日というが、この句のようにそれをごまかしとみて、俳句では「敗戦忌」という季語まで生み出している。終戦ではなく、絶対に敗戦なのである。

 

 戦後66年経ち、戦争を知らない人達が全体の九割になろうとしている。私もその一人である。歴史は繰り返すというが、戦争だけはそうならないように願うばかりである。次の大戦があるとすれば、人類破滅になりかねないからである。

 しかし、その時期は迫っている。人口増加による食糧不足が引き金になるであろう。

 

シシウド(猪独活)

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336  インパールわが生涯の夏野かな   多留男

2011年08月14日 | 

 (インパールわがしょうがいのなつのかな)

 

 

31年間俳句の指導をいただいている、わが生涯の師匠、小澤多留男(本名・小澤太郎)先生が、テレビに出るので、是非ご覧いただきたい。

 

NHKBSプレミアム、8月17日、午後6:00~6:43

「証言記録、兵士たちの戦争、陸軍軍医たちの戦場」

 

多留男先生は、大正7年12月湯河原生まれで、今年満93歳になられる。

昭和18年、陸軍軍医学校を卒業し、ビルマ(現ミャンマー)へ出征。(第33師団歩兵213連隊、隊付軍医)

 

先生にとってインパールは、どんなに年を経ても、忘れることのできない、「わが生涯の夏野」なのだ。私には、「経験をした者にしか分からない、想像を絶する世界」としか言いようがない。

 

 

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335  奪衣婆の口に巣を張る小さき蜘蛛  薪

2011年08月13日 | 

(だつえばの・くちにすをはる・ちさきくも)

 

仏教には、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道に世界を分ける考え方がある。地獄へ落ちる人間は、三途(畜生、餓鬼、地獄の三悪道)の川を船に乗って渡るのだが、六文銭を持っていないと、衣を身ぐるみ剥がされてしまう、という。剥がすのが奪衣婆で、閻魔の妻とも言われている。

 

日本各地に閻魔や奪衣婆、地獄から人を救うとされる地蔵菩薩が建てられた。地獄信仰が民間に広まったのは、特に江戸時代のことだそうだ。

 

さて、奪衣婆の口が、裂けるほど大きいとしても、そこに蜘蛛が糸を張るには、小さすぎるだろう。しかし、よくよく見ると、確かに小さな蜘蛛が巣を張っているのである。人間の地獄信仰を笑うかのように・・・・

 

奪衣婆

 

 

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334 母が子をまあるく包み大百足

2011年08月12日 | 

 (ははがこをまあるくつつみおおむかで) 

 

昨日、何気なく植木鉢をひっくり返したら、鉢底に100匹程(らしい)の卵から孵ったばかりの白い子供たちを包むように抱いているお母さんムカデを発見。子供は2~3ミリ、母親は10センチ近い。 

 

 百足は、嫌われる虫のベスト3に入るんじゃないかと思う。嫌われると言っても二種類あって、刺されたら痛い「怖いタイプ」のたとえばスズメバチやムカデと、「気持ち悪いタイプ」のゲジゲジやなめくじがある。 

 

丹沢あたりの山を歩くと、木の上から降ってきたり、いつのまにやら靴下や服の中に入り込み、人の血を吸うというヤマヒルがいるらしいから、「怖くてかつ気持ち悪いタイプ」もある。

  

インターネットで「子育てする百足」で検索したところ、あるある。わざわざムカデを飼って、研究している人がいる。

その人は、「人間は子育て放棄したりするが、ムカデのほうが余程立派だ、と言っております。ごもっともです、私もそう思います。

 

 子育てにいらついている全国の皆さん、ムカデを飼って観察して、見習いましょう。

 

ムカデ(百足)

 

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333  鰮船みすゞの海を曳きにけり  照れまん

2011年08月11日 | 

(いわしぶねみすゞのうみをひきにけり)

 この句の「みすゞの海」とは、かの「金子みすず」の生まれ育った、山口県長門市仙崎の海。そして、みすずの「大漁」という詩を踏まえての句。「大羽鰮」は、「オオバイワシ」と読む。マイワシの大型のことを言うらしい。以下、その「大漁」という詩。

 大漁      金子みすず

 朝焼け小焼だ大漁だ

大羽鰮の大漁だ

浜は祭りのようだけど

海の中では何万の

鰮のとむらいするだろう

  イワシになってしまったみすゞ、この詩の意味が分かっていても、政治家や官僚、財界や成金のボスになると、誰もが自分の人間性を見失うらしい。

 日本中の漁業会社が、この詩の「魚にも人間と同じいのちがある、食べ物には命がある、私達は毎日その命を食べている」という本来の意味を考えたら、獲れるだけ獲って金儲けようなどとは、思わないはずなのだが・・・・・・

 「金子みすず」の詩を発見した矢崎節夫館長にも賞賛のエールを送りたい。宮沢賢治を発見した草野心平と同様、その功績は大きい。

 尚、イワシに関しては、この句の作者「照れまん」さんのブログ「照れまん君の俳句歳時記」をご覧下さい。詳しい解説があります。

 

ウツボグサ(靫草)

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332    オホーツクを引っ張っているイワシ網 

2011年08月10日 | 

(オホーツクをひっぱっているイワシあみ)

 

よそで俳句をやっている知人に、「あなたの作で、最近の好きな句は?」と尋ねたら、掲句だった。なかなか、雄大な句だ。「オホーツクを引っ張っている」という表現がいい、と思って・・・・・・・でも、なんか変だ。ニシン(鰊)、サケ(鮭)、ホッケ(𩸽スケトウダラ(介党鱈)などの漁は、聞いたことあるが・・・・・・さて、北海道に網をかける程の大量のイワシはいるのかな?

  

そこで、インターネットが活躍。網走市水産加工振興会のHPを探し、事務局に質問メールを送った。そしたら、御親切にすぐ返事をいただいた。「オホーツクには、イワシはいません」とのこと。

  

早速、作者に原句の「鰊漁」に替えるようお勧めした。本来は、ニシンだったのだ。ニシンは昔ほど獲れないらしい。

  

この20年あまり、日本近海の水産資源の水揚げ量は、サンマなど一部を除き、下降線の一途をたどっている。原因は、海洋汚染などもあるかもしれないが、将来を考えない乱獲にあるのではないか。特に、イワシ(鰯、鰮)の乱獲がひどい。

 

日本だけでも、多い時は年間数百万トンも水揚げし、魚粉にして肥料にまでしてしまう。水揚げ減少の原因を、専門家は、気象変動やプランクトンの減少などと言っているが、イワシの乱獲に決まっている。稚魚のシラスも獲り過ぎだ。

 

 というのも、私は漁船を持っている友人に誘われて、2年余り、真鶴沖で週に1回程度の船釣りをしていたことがある。

 イワシ(ヨワシ)は、魚篇に弱いと書く通り、弱いから群れを作る。大型魚に追われて、海面に上がったイワシの群れを狙って、カモメなどの海鳥が大群をなすのだ。遠くからでもその存在がはっきりわかるほどの群れの大きさで、優に千羽は越えているだろう。その群れを「鳥山」という。

 

 漁船は、鳥山の回りを旋回しながら、疑似針の付いた釣り糸を投げ込めば、2~40センチ前後のワカシ(ブリの子)、サバ(鯖)、シイラ()、カツオ(鰹)、などが入れ食いなのだ。

 

 つまり、イワシはこれら中型魚の恰好の餌なのであり、イワシを乱獲すれば中型魚も当然減少してしまう。

 

 本来の漁業は、農業と異なり、種も撒かず、草取りもせず、肥料も農薬もいらないのだから、計画的に漁獲量さえ守っていれば、永久に水揚げが可能なのだ。しかし、眼先の現金に目がくらみ、獲り放題に獲ってしまうのは、愚の骨頂だ。

 

 

そう言えば、友人の船長は、私が「もう止めよう」と呼びかけても、なかなか釣りを止めなかった。漁師じゃあるまいし、2,3匹釣ったら、もう十分なのに・・・・・

 

ツリガネニンジン(釣鐘人参)キキョウ科

 

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331  花火果て犬むっくりと立ち上がる

2011年08月09日 | 

 「地震・雷・火事・親父」で私は、一番最初の「地震」を軽視していた。しかし、今度の震災でほとんどの人は、考えを改めたのではないか。いやいや、原発推進派がまだまだいるようだから、まだ懲りていないのかもしれない。

 

我が家の2匹の犬は、地震と雷、そして花火には強く反応する。本能的恐怖を感じるのであろう、治まるまで私のそばを離れない。

 

 花火も年一回は許せるとしても、熱海のように年10数回もあると、あほらしくて全部は見ていられない。そうすると、雷と同様まさに音の公害で、犬たちも花火が治まるまで恐怖の態である。

 

 ちなみに、日本三大花火大会の大曲や長岡、三大花火ではないが隅田川など、2万発の花火が1億2千万円だそうである。

見物人を金額で割れば、一人当たりの金額はたかが知れているだろうが、江戸時代からどうしてあんなものに日本中が熱狂するのか、不思議でならない。線香花火などのいわゆる手花火で十分ではないか。

 

巻積雲(イワシ雲?サバ雲?ウロコ雲?)

 

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330  勝ち囲碁となりてみんみん聞こえ出す

2011年08月08日 | 

 (かちいごとなりてみんみんきこえだす)

 

 

今日は立秋で、今日から秋である。今日からは、どんなに暑くても「残暑」である。

 

古くから日本の暦では、立秋は二十四節気の一つで、1年を太陽の運行によって、24分割していた。そして、月の満ち欠けによって、12か月を決めていた。 

これが、太陰太陽暦(旧暦)である。つまり、太陽暦を知っていた上で、月暦を使っていたのである。

 

 

古今和歌集の藤原敏行の立秋に詠った歌に 

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる  

というのがあるが、平安時代から立秋といっても名ばかりで、暦の上では秋でも、秋になった、という実感はなかったようである。

 

 

さて、先日からツクツク法師と共にミンミン蝉が鳴き出した。鳴き声が賑やかだから、夏の季語になっているが、ミンミン蝉はツクツク法師と同様、秋の季語に入れるべきだ。又、ヒグラシは、秋の季語だが、夏に入れるべきだ、と思う。まあ、大した問題ではないが。

 

ゲンノショウコ(現の証拠)

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329 原爆忌路面電車のゆらめき来    和子

2011年08月07日 | 

(げんばくき・ろめんでんしゃのゆらめきく) 

 

第二次世界大戦の敗戦から、66年経った。わずか66年前だ。日本だけで、310万人の死者を出した日本、日本人を評価すれば、「愚か」以外の何物でもない。 

と言うよりも、政治家や軍部、経済界など権力を握った一部の人間が、常軌を逸して暴走したと言った方がいいかもしれない。そして、一般庶民にはそれを防ぐ能力が欠如していた。そういった状況、構図は、今でも全く変わっていない。

 

 原爆の悲惨を知っている唯一の日本人が、平気で原子力発電所を50数基も作ったのも異常だが、今回の大震災の放射能汚染のデータをひた隠しにして、私達一般国民を愚弄している東電、政府の人間に怒りを覚える。 

  

 原発の放射能廃棄物の処理法は、未だに解決しておらず、コンテナに詰めてロシア・シベリアに野積みされている、という。たぶん、安全な処理法などないのであって、直ちに原発は止めねばならない。第二第三の原発事故が起きるのが明らかだからである。  

 

 この句、作者が原爆とどうかかわったのか知る由もないが、「ゆらめき来」から作者の複雑な心境を想像するしかない。

 

地蔵菩薩(日金山東光寺)

 

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328  曳く蟻と乗る蟻もいて蚯蚓曳く

2011年08月06日 | 

(ひくありと のるありもいて みみずひく) 

 

 蟻に限らず、大抵の昆虫類は、自分の何倍もの大きくて重いものを運ぶことができる。

 

 フンコロガシ(糞転がし)なんか、見ていると実に可笑しい。「この先に、結構な段差があるけれど、上げられるだろうか」などと、ついつい心配してしまう。誰に命じられている訳でもないのに、必死に自分の体より大きな糞を転がしているのを見ると、そのエネルギーというか、生命力に感動させられる。道具を持たない彼らは、自分の体だけを使って生活している。

 

 ファーブルもきっとこんな風にわくわくしながら観察していたのだろう。昆虫はえらい、人間より絶対えらい、と私も思う。

 

 さて、4,50匹の蟻が、ミミズを曳いている。よく見ると、ミミズに乗っかっている奴がいる。彼を怠け者と断定するのは簡単だが、何か、特別な役割をしているのかもしれない。

 

 私の想像だが、乗る蟻は、曳く蟻に「それ曳け、やれ曳け」と気合を入れているんじゃないか、と思う。きっとそうに違いない。 

リョウブ(令法

 

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327 星祭カミオカンデのニユートリノ    炎火

2011年08月04日 | 

 陽子崩壊観測を主目的としたカミオカンデは、Kamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)の略。

  

スーパーカミオカンデは岐阜県の北の外れ、飛騨市神岡町にあり、標高1360mの池の山の地下に巨大な空間を掘って作られた。 

1996年、世界最大、世界最高精度のニュートリノ観測装置「スーパーカミオカンデ」が完成し観測を開始した。そして新しいニュートリノ研究が始まった。

 

 ニュートリノは、人類が発見したものの中で最も小さく最も軽い。その正体を突き止めることは、宇宙や生命の誕生、我々を形作る元素がどのように生成されてきたか、を理解するのに大事な研究である、という。

 

 例えば、太陽から来るニュートリノは、私たちの体の中を1平方センチあたり毎秒660億個も常に通り抜けており、地球さえ通り抜けてしまう、という。

 

 句会での話だが、「ある説によると、原子爆弾の次世代の爆弾は、このニュートリノだとか。そういう意図があっての研究という可能性は十分あるだろう。もはや、それは原子爆弾などと比較できないほど、空恐ろしいものになるだろう」と。

 

 七夕にさえ、ほとんどの日本人が、天の川を眺めることさえ忘れているのに、広大無辺な宇宙研究や、極小のニュートリノ研究は、一個人として実に興味深いものではあるが、果たして地球の生命に害を与えないであろうか。

 

 

カヤツリグサ(蚊帳吊草)

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326 夕顔や人待ち顔の椅子のあり    洋子

2011年08月03日 | 

 (ゆうがおやひとまちがおのいすのあり) 

   

「顔」のつく花と言えば、朝顔、昼顔、浜昼顔、夕顔、夜顔がある。名前の違いは、どうやら咲く時期に由来しているようだ。ということは、花粉を媒介するそれぞれ違う虫を競合しないように選んでいるということか。尚、朝顔と夜顔は、秋の季語。 

 

他はヒルガオ科だが、夕顔だけはウリ科。夕顔の実から干瓢(かんぴょう)ができる。夕顔は、源氏物語にも枕草子にも登場し、平安時代には既に栽培されていた。 

さて、「人待ち顔の椅子」とは何のことだ。そうか、単に夕顔の「顔」とかけた洒落かもしれない。

 

実際に客を待っているのは、この家の主人と夕顔、そして椅子であることに間違いはない。 

オシロイバナ(白粉花)

 

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325  7月 岩戸句会

2011年08月02日 | 

夕顔や人待ち顔の椅子のあり   洋子

夏の雲男座りの少女達

 

星祭りカミオカンデのニュートリノ   炎火

エアコンの広告入りの団扇かな   

 

じゃんけんで六歩進んで片陰に   

初島に金貨のような夏の月

 

朝市のさざえギシギシ港町   歩智

こめかみを押さえる少女氷水

 

炎天や震災の街を憚らず   豊春

山百合よ放射線を検知せよ

 

貝殻を耳に押し当て夏惜しむ   章子

ストローの先ふれ合ふかソーダ水

 

微睡みて風と添い寝の夏座敷   鼓夢

パパの手を兄妹取り合い海開き

 

沁み沁みと二人一つの欠氷   遊石

エビアンで入れ歯洗へば夜の秋

 

遠雷や凶事に慣れて腕まくら   正太

門前の夕日吸込む氷水

 

来世を今日は信じて大夕   雲水

晩夏光樹々を奏でて風渡る

 

天然水を運ぶ男や氷水   稱子

果てしなく湧き立つ雲や梅雨明くる

 

暑い中掃除機かけてる老父かな   空白

夏嵐木の実あの花路の端

 

チダケサシ(乳蕈刺)ユキノシタ科

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324 汗噴きて集めし草の軽きこと  鼓夢

2011年08月01日 | 

  

 

(あせふきてあつめしくさのかるきこと)

 

今年の夏は、梅雨明けも早かったし、日照りのような暑さが続いていた。気温も三十五度はざらで、静かにしていても汗が出るほどであった。しかし、台風が過ぎてから、梅雨が戻ってしまったが、いよいよ8月だ。

 

さて、広い庭を持つと、野菜を作ったり、草花を育てたりと楽しみも多いだろうが、その反面、夏の草取りは暑くて実に大変な作業である。熱中症にでもなったらそれこそ大変だ。

 

草取りで集めた沢山の草の山、晴天が続いたのであろう。からからに乾いて、あの時の汗が嘘のように、運ぶときに軽く感じたのであろう。作者の新鮮な驚きが感じられる。

 

ツユクサ(露草)

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