(のぼとけの おおきなみみや さえずれり)
熱海に曹洞宗の福泉寺がある。この寺の境内には、高さ2メートルを越える、胸から上だけの珍しい陶製の大仏が安置されている。
これは尾張藩2代、名古屋城主の徳川光友が、母の菩提を弔うために造らせたといわれる釈迦像で、名古屋城内に安置されていたのを、戦後この寺に奉納されたそうである。福泉寺の首大仏と呼ばれている。
仏像としての出来は別としても、400年近く経過しており、歴史的にも技術的にも一見の価値がある。
スミレ
(のぼとけの おおきなみみや さえずれり)
熱海に曹洞宗の福泉寺がある。この寺の境内には、高さ2メートルを越える、胸から上だけの珍しい陶製の大仏が安置されている。
これは尾張藩2代、名古屋城主の徳川光友が、母の菩提を弔うために造らせたといわれる釈迦像で、名古屋城内に安置されていたのを、戦後この寺に奉納されたそうである。福泉寺の首大仏と呼ばれている。
仏像としての出来は別としても、400年近く経過しており、歴史的にも技術的にも一見の価値がある。
スミレ
(おぼろよの てじゃくや からむあいてほし)
「からむ」というのは、①蔓が木に巻き付く、など ②問題が関係して悪い影響を受けるなど ③しつこく文句を言うなど。
驚いたのは、全て悪いことばかりに使われている。絡まれた側は、必ず被害を受けることになってしまう。
実は、この句から、多少色っぽい意味もあるのかな、と思って調べてみたのだが、その気配すらなかった。
つまり、この夜の作者の相手になるのは、かなり危険を孕むことになりそうだから、近づかない方が良さそうだ。たとえ電話であったとしても。
フクジュソウ(福寿草)
(うぐいすもち みてもたべても かんげきや)
「感激」とは、感情が激しくなることだろうが、良い意味にのみ使われる。激昂、激高などは、怒りなどの悪い方にのみ使われる。本来の意味はほとんど同じなのに、使われ方が全く違うなんて面白い。
「わー、すてき、おいしそう・・・・・・・・ほんとにおいしいですねー・・・・・」こういう感激屋になりたいですが、易しそうで結構難しい。特に男は・・・・
ところが世の中には、「天性の感激屋」が時々いるのです。私のような未熟者は羨ましくて、感激屋さんに感激してしまいます。
ヒイラギナンテン(柊南天)
カメには、冬眠する亀としない亀がいる。ウミガメや熱帯の亀は冬眠しない。それ以外の、古来日本に生息するカメは、冬眠するそうだ。
日本の亀は、気温15度以下になると動きが鈍くなり、冬眠を始めるようである。そして、啓蟄になると出て来るそうだが、実際は桜の開花以降ではないのか。
いつだったか、三島大社の池のほんの小さな島に、20センチ前後のカメが、日光浴が目的なのだろう、競って上がろうとしているのを見たことがある。
啓蟄やのらりくらりとぞろぞろと
ヒメオドリコソウ
(おきぬけの きままたいそう はるきざす)
「起きぬけの」とは、起きてすぐの、起きるやいなや、というような意味だろう。「ぬけ」は、「抜け」と同義で、「蒲団から抜け出て」と言う意味にも取れる。しかし、「とことん飲みぬけ」などの「ぬけ」と同じで、どうも別の意味のようなのだ。
私が知りたいのは、①目が覚めて蒲団の中での体操か、②蒲団の外での体操か、③それとも一風呂浴びてからの体操でもいいのか、その辺の時間的解釈が微妙に分らないのだ。
文法的には②だろうが、春が兆した程度ではまだまだ寒く、体操する気にはならないはずだ。現実的には、①か③だろう。
だから、起きぬけの意味が気に掛かるのである。
(まねごとのような ゆきかき はるのゆき)
今年の冬は、例年よりかなり寒かったが、雪の降った回数や量は、例年とそれほど変わらなかった。それでも最高20センチ以上は積もっただろう。
雪が降れば、最低でも玄関から門までは雪掻きが必要だ。ところが私達は、雪掻きに慣れていないし、適当な道具もない。せいぜい平スコップ程度だろう。まして、女性となれば2,30分やっただけで息が上がってしまう。
そこで考える。ニュース報道で見たが、今年の雪国の方々は、本当に大変だっただろうと、つくづく思う。それと比べたら、私の雪掻きなんて、真似事に過ぎない。それにしても、雪掻きは大変ですよね。
日本の年間自殺者の数は、3万人を越えたそうである、その中に、医者に見放されて死を待つばかりの苦しんでいた人は、どのくらいいただろうか。
又、元気であっても、これまで十分に生きて来たと思って、そろそろあの世に行きたいと思った人がいても、不思議ではない。
不謹慎と言われるかもしれないが、最近よく報じられる老人の孤独死をそんなに嘆くことはない、と私は思う。せめて私がそうなったら、嘆かず喜んで欲しいくらいだ。
昔、グリーンなんとか、というアメリカ映画の中で、巨大スクリーンに好きな映像、例えば花の咲き乱れる草原を見ながら、好きな音楽を、例えば第6番の田園を聞きながら、安楽死を希望する人たちの施設があった。そういう施設が日本にあればいいのに・・・・・
いつかその日のための七輪を、そろそろ用意しようと思う・・・・・ついでに、最新式の防災グッズと救急医薬品も買って置こうっと。
梅三輪
(へたでよし いや へたがよき はつねかな)
絵手紙の小池邦夫さんが言っていました。「下手でいい、ではないのです。下手がいいのです」・・・・これは名言です。
ウグイスなんかも、下手な時期が面白いのであって、上手く囀り出したらもう興味半減です。ピカソだって、子供のような天真爛漫な絵に戻りたくて、後年わざとヘンテコリンな絵を描いたではありませんか。
学問でも芸術でも、スポーツでもあらゆる分野に通用する「下手が良い」の意味が分かれば、こっちのものです。
「下手では世間に通用しない」ですって。私は評価や人気や経済活動のことを言っているのではないんです。心から人生や生活を楽しむ「こころの持ちよう」のことなんです
ですから「下手でいい」では駄目なんです。「下手がいい」でなければ、駄目なんです。
アオキ(青木)の実
(ぶるーすを おどるてあつき はるのよる)
昔、男女20名づつ募集した公民館のダンス教室に応募し、半年ほど通ったことがある。ブルース・マンボ・ジルバなどほんの初級ダンスを覚えた頃、教室主催のクリスマスダンスパーティーをホテルで開催することになった。
私は、パーティー券20枚を完売したのだが、買ってくれたのはほとんど女性であった。しかしそれが、悲劇 or 喜劇の始まりだったのである。
パーティー当日、先生は生徒を集め、「パーティーでは女性が多く、男性が少ない。女性は壁のシミになりやすいので、男性は教室の女性とは必ず一度は踊ってあげて下さい」との話だった。つまり、私は教室の20名、券を買った20名、計40名の女性と踊らなければならなかったのである。
パーティーが始まった。踊っていると踊っていない女性が壁に立っている。「次はあの人と踊らなければ」などと考えながら踊る。1曲終わると挨拶をして、直ちに次の女性を誘う。その繰り返しで、一度も休まず踊り続け、汗をびっしょりかき、悪夢のパーティーは終わった。しかし、それでも踊ることのできなかった女性がまだいたのだ。
それっきり、私はダンスを止めた。
(うぐいすが さそう さんじになさりませ)
「日本の三鳴鳥」と言われているのは、ウグイス、コマドリ、オオルリ。鳴き声が美しい、と言われているその中で、最もポピュラーなのがウグイスである。
初鳴きからしばらくは、ウグイスが鳴けば、仕事の手を休めて聞き入ることになる。「なさりませ」から、句会でほとんどの人が、この句を女性の句と思ったようだ。
「したらどうですか」「したらいかがですか」では長すぎるし、「しませんか」では、“一緒”にという意味が強くなってしまう。
結局「なさりませ」が、丁寧な命令口調でもあり、あの鳴き声にぴったりなのだ。但し「キョキョキョキョ」と鳴く谷渡りのことではない。
4月7日(土) ヘルマンハープとアイリッシュハープのアンサンブル
小野瀬由美子と藤田康子
エーデルワイス・おぼろ月夜・花・・・・・・・・・・他
4月8日(日)フルートとキーボード演奏
佐藤るみ子と中村幸子
荒城の月・さくらさくら・ナイチンゲール・・・・・・・・・・他
4月9日(月) フラダンス
フラ・ハウフ・オ・ハレ・プメ・フラダンス会
(うめにりん けさのひざしに ほどかるる)
今年の春は寒く、ようやく先日我が家の梅もほころんだ。おっとっと、そこで必ず思い浮かぶのが、嵐雪の「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という句だ。有名だから、俳句をやらない人でも、知っているだろう。
これを凌ぐ句など、凡俗の私にできるはずがない、と諦めてしまう。しかしよくよく見ると、一輪ではないぞ、二輪だ、それなら何とかしてみよう、という気になった。
しかし、一輪も二輪もほとんど違いはなく、俳句的には一輪の方が良いに決まっているが、それでも二輪にこだわったのは、私の浅墓な意地に過ぎない。
(けいちつや さちこさおりの そうしゅんふ)
先日、ブログの文章を打っていたら、私の好きなジョルジュ・ムスタキとナナ・ムスクーリをやっていた。最近は、NHKのラジオ深夜便をインターネットの「らじる★らじる」で聞ける。全く雑音がないので、中波はラジオより抜群に聞き易い。
最近、「夜明けのスキャット」を中心とした由紀さおりの歌が、海外で評判になっている。日本人として、オリンピックの金メダルに匹敵するほど、とても嬉しい。しかしそれよりも、あの姉妹の童謡唱歌の方がもっと良い。
我が家にもようやく出たよフキノトウ(蕗の薹)
壷焼とは、焼き物の窯で陶磁器の壷を焼くことではない。サザエ(栄螺)を、殻ごと生きたまま焼き殺す残酷な行為を言う。すると、なんと男の匂いがする、という。
そこで句会の皆さんに、「男の匂い」とは一体どんな匂いかと問うたのだが、どうも判然としない。特に男からは「男には男の匂いなど、分かるはずがない」という意見が出る始末である。女性からは、発言がなかった。質問したかったが、憚られた。
どうやら、作者は観念的に「壷焼」と「男の匂い」を結びつけたようだ、と思ったのだがそうでもないらしい。
作者の解説によると、どうやら歌舞伎の女形(おやま)や男色と関係するらしいのだ。残念ながら、これ以上のことは、私には追求する根拠を持たない。世の中色々です。
マンサク(万作)
(いそぎんちゃくに ねむたきまでの そらがあり)
イソギンチャク(磯巾着)は、刺胞動物門、花虫門綱、六放サンゴ亜綱、イソギンチャク目に属する動物の総称で、柔らかい無脊椎動物で、口の回りに毒のある触手を持つ、とある。
天敵であるヒトデから逃れるために、ゆっくりとではあるが移動するし、中には海中を浮遊して逃げるものもいるそうである。
名前の由来は、巾着に似ているからであるが、別名イソツビ(女性器)という古名や、有明地方では、ワケノシンノス(男性の肛門)と呼ばれているそうである。
英語では、海のアネモネ(Sea anemone)、ドイツ語では、海の薔薇(Searose)と呼ばれているそうである。外国の方が、上品な命名ではある。
いづれにしてもこの句、単純明快であるから下手な解説はいらない。但し、「ねむたき」に「眠たき」ではなく、わざわざ一般的ではない「睡たき」を使う理由は、よく分からない。
先日、今年一番の25センチの積雪があった。