現代の若者は、年2,3冊くらいしか本を読まないという。彼等同様私も、新聞は取っていないし、歳時記や辞書を除けば、年2,3冊組である。勿論理由は、パソコンが本に取って代わったからに他ならない。これは、止められない水の流れであろう。あらゆる情報は、大型コンピューターの中に保存されていて、全ての人間はいつでも自由に閲覧・視聴できるようになるに違いない。いや、ほとんどもうなっているのかもしれない。
断捨離という考え方に従えば、1年以上着ない衣類同様、1年以上読まない本も処分すべきだろう。
現代の若者は、年2,3冊くらいしか本を読まないという。彼等同様私も、新聞は取っていないし、歳時記や辞書を除けば、年2,3冊組である。勿論理由は、パソコンが本に取って代わったからに他ならない。これは、止められない水の流れであろう。あらゆる情報は、大型コンピューターの中に保存されていて、全ての人間はいつでも自由に閲覧・視聴できるようになるに違いない。いや、ほとんどもうなっているのかもしれない。
断捨離という考え方に従えば、1年以上着ない衣類同様、1年以上読まない本も処分すべきだろう。
穴窯の温度測定には、温度計とゼーゲルコーンを使っている。通常、温度計1260度で焚き、ゼーゲルコーンの9番がほぼ倒れる。ところが、今回はそのままでは7番しか倒れず、8番、9番を倒すために1330度まで温度を上げた。
結論は、温度計が壊れたのである。前回の熱電対に続いて、温度計を新しくしなければならない。ゼーゲルコーンがあるのだから、絶対に必要とは限らないが、いづれにしても明後日は、後の祭の窯出しである。
ヤブコウジ(藪柑子)十両とも
包丁の其の先ほどの寒さかな
その人は一つの咳の様に消えた
寂かなりしみじみと見る古暦
備えあり愁いも在りて歳の暮
踏まないで忘れな草を踏まないで
夕焼けて婆の影踏む子等の影
照れ臭し少し長めの半ズボン
なでしこの様な少女に径問われ
勝った子が負けた子つつく運動会
会得せり粧わぬ山と粧ふ山
悠久の時を偲びて墓洗ふ
破荷似合う男の背中かな
立冬や下り続ける男坂
この数日は、寒さも増し風も強く、確かに落葉の量が半端ではない。東京に住む友人の話によると、自宅に欅の大木があって、この時期同様の事態となる。
しかし問題は、「毎日、ゴミ袋一杯の落葉が降って来るので、何とかして欲しい」という、近所からの苦情だという。落葉が季節の風情でもなく、焚けば灰ができるし、堆肥にもなるのだが、都会では単なる迷惑なゴミに過ぎないのだ。
ゴミとは、ビニールやペットボトル、缶やビン、残飯、電気製品などであって、落葉は決してゴミではないと思うのだが、これが通用しない世の中なのだ。
師走の語源としては、
1 1年を為し終える 「為果つ(しはつ)」
2 四季の果てる 「四極つ(しはつ)」
3 年が果てる 「年果つ(しはつ)」
そして、既に平安末期の「色葉字類抄」に
4 師匠の僧がお経を揚げるために、東西を馳せる月「師馳す(しはす)」となっており、更に「師走」に変化したそうである。
いづれにしても、これは日本が旧暦(陰暦、太陰太陽暦)を使っていた江戸時代までの話で、本来は、新暦(太陽暦、グレゴリオ歴)の12月を「師走」と使うべきではない。
(かまびとめて われもうろうの かいせんび)
南九州市の知覧特攻平和会館には、アメリカ艦船に体当たりして玉砕していった青年達の遺品や遺書、本懐を述べた手紙、戦闘機などがある。
全体主義、帝国主義、軍国主義の当時の日本で、若者たちは戦争で死ぬことを選ばざるを得なかったし、死を日本国のため、父母兄弟を守るためと思わざるを得なかった。
日本の特攻隊と同じようなことが、イスラムの自爆テロとなって現存している。これは、戦争同様人間の変えられない性と考えるべきであろうか。
窯の火を止めた翌日の今日、私の朦朧とした頭が、そんなことを考えたのであります。
年2回の穴窯の、今年最後の窯焚きが始まった。32年で88回目だから、年平均約3回焚き、1回7トンの松薪を燃やすから、年21トン、通算600トンの薪を燃やしたことになる。実に贅沢な話ではある。
32年間で初めてのことだが、燃料の薪に不自由しなかったが、どういう訳か、今年は来年春に焚く松がない。
たった一杯の新酒で酔っぱらったらしい作者。酒飲みから見たら笑っちゃうけれどもこの句、過去ではなく明日に絡みつかれている、というのが面白い。何故なら、過去に絡まれるのが普通だからである。過去ではなく、明日のことが気になって、素直に酔うに酔えない、可哀想な作者。
明日になれば、問題が解決してきっとゆっくり酔えるはず。
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは、ドストエフスキー、ツルゲーネフと並んで19世紀ロシアを代表する文豪、思想家である。
主な作品に、「戦争と平和」「アンナカレーニナ」「イワンのバカ」「芸術とは何か」「復活」など。
ロシアの伯爵家に生まれ、モスクワの南に位置するヤースナヤ・ポリャーナの広大な土地と資産を18歳で受け継いだトルストイは、長年召使にかしずかれる贅沢な生活を恥じ、夫人との長年の不和に悩んでいた。
1910年、82才のトルストイは、ついに家出を決行するが、鉄道で移動中悪寒を感じ、アスターポヴォ駅(現・レフ・トルストイ駅)で下車した。1週間後、11月20日に駅長官舎にて肺炎により死去。葬儀には1万人を超える参列者があったという。
髪を青く染める。確かにそんな老婦人を見かけたことがある。その老婦人が笑っている、という。その笑い方は美しく上品かもしれないが、なんとなく不気味な感じがするけれど、作者の意図は?
季語の「散紅葉」も気になる。というのは、黄・茶・赤など様々な色の紅葉だが、その中に青い紅葉はない。もしかすると、髪全体ではなくある一部、数か所をむらに染めているのではないか・・・・・そんな気がする。
さて、今朝小鳥の水浴び鉢に、1センチの氷が張った。この冬の初氷である。
フユイチゴ(冬苺)
(しあわせは いぬとまどろむ こたつかな)
この世にも、極楽や天国と思えることがらは沢山ある。例えば、一杯のラーメンをすすることにだって、幸せを感じる人には感じるのだ。
この句のように、誰にも邪魔されず自由に眠れるのは、簡単でありながら誰でもできる、最高の幸福感の一つかもしれない。まして、側に愛犬がいれば尚更である。
幼い頃から贅沢三昧、やりたい放題に暮らしたような人は、早く幸せを使い果たすかもしれない。貧乏や質素に暮らした方が、晩年の老病死を迎えた時の幸福感は豊かかもしれない。
幸せは犬とまどろむ炬燵かな 洋子
古酒の酔いさめやらぬうち帰りゃんせ
尖塔の鴉一声冬来る 豊春
髪青き老婦の笑みや散紅葉
一杯の新酒に明日が絡みつく 一煌
凍星のきらりきらりと峠道
猟銃の一発響く冬の山 炎火
古酒ビールブランデーさえ調味料
さんざめく紅葉と語る人生観 薪
明王は忿怒し山は装えり
手の内に揺れる木洩れ日冬温し 歩智
豊かなる家でなくても柿たわわ
桐一葉シニアホームに友行けり 稱子
客人の今日は来る筈落葉掃く
靄や楷書を彫り陶の文字 鼓夢
時雨やみ車道に流る錦川
置き物の小犬氷雨に打たれけり 余白
たそがれの湯野浜の先山眠る
箱根山紅葉きらめく八十路かな 章子
歳とらぬ夫の遺影に冬りんご
芋食えばおなら出るなり窯の中 雲水
ファミレスのサラダトースト今朝の冬