川ちゃん農園だより 樹齢700年といわれる黄大銀杏と坂東十番札所岩殿観音本堂

農家の遊休土地をお借りしてはじめたものです。カメラも趣味ですので四季の移り変わりを記録して行きたいと思います。
  

川ちゃん農園だより のぼうの城・忍城・行田

2012-11-23 16:31:13 | Weblog

わたしの先祖は、忍城の領地下にあった。古文書資料によれば、江戸寛政、文化、文政時代(1785~1815年)には活躍していたことが分かる、<それ以前の記録は墓石にあるが内容不詳、> 土地取引の様子が残っている。本論に入る、時は豊臣秀吉時代、半ば天下を治め、残るは関東の小田原北条攻めである、小田原北条傘下の支城を先に落とすこと、館林城に次いで忍城攻めにはいる、ときの城主、成田氏長は北条に呼ばれ小田原に出向く、残った従弟、この本日の主役、のぼう様と呼ばれる成田長親である。城主氏長は、関白軍が攻め入ったら無抵抗のまま、開城せよと命じていた、城代だった父の死後、あとを継いで城代となった成田長親は、三成が送った関白軍の使者の横柄な態度に、<忍城下を見下ろす丸墓山立つ、> 関白軍2万に対したったの500騎で迎え撃つのである。 普段から領民に慕われれている 「でくのぼう様」、ともに戦おうとの領民から鬨の声となる、緒戦は忍城軍は勝利したが、次の三成の作戦は水攻めであった、合戦場面、水攻め決壊場面など、その圧倒的なスケール、一大スペクタクルに、興奮と感動をわたし達与えてくれた。、映画公開までに8年間を要したという。わたしはこの歴史をあまり承知していなかったので、わが郷土の歴史を再発見した次第です。


映画にでてくる、さきたま古墳群の丸墓山、その下に石田堤、いま再興された忍城を、さくらの季節とともにおくる。<いわどの山荘主人>


<丸墓山のさくら 2012.4.12>



<現在の忍城 2012.4.12>